お姫様が最強です
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恐る恐る目を開けたリルティは、「余計なことを――」というジュリアスの忌々し気な声を聞いた。
まさか・・・・・・と、僅かな期待の目を階下に向けると、リルティに安心していいと笑うテオの腕の中に気を失ったリリアナが収まっていた。
「叔父様――っ、良かった・・・・・・」
「リルはどこまでお人よしなんだ。殺されかけたんだぞ――」
ジュリアスが今までのような少し距離の置いたものではない強い力でリルティを抱きよせた。
「痛いわ・・・・・・ジュリアス様・・・・・・」
文句を言いながらもリルティはジュリアスに身体を預けた。
「リル、もしかして――記憶が戻っている?」
自分を様付けで呼ぶのに、今更ながら気付いたジュリアスはリルティを抱く力を少しだけ緩めて、顔を覗きこんだ。
「ええ、さっき落ちかけた時に――。多分・・・・・・」
リルティは、落ちそうになった時に夢を見たような気がしていたが、それは記憶を失っていた間の出来事なのだと思った。部分的にしか思い出せないのが歯がゆいけれど、その中にジュリアスも登場していた。
安らいだ顔をしたジュリアスが優しく笑いかけてくれていた。
王子でもない、侍女でもない、普通に出会っていたら、再会していたら・・・・・・、こんな風だったのかしら。
ジュリアスも、そして自分も飾ることも偽ることもなく、ただ幸せな時間だったと信じられる部分的な記憶に、リルティは微笑んだ。
「リル――。良かった――」
そっと自分の頬を撫でるジュリアスの手が心地よくて、リルティは目を閉じた。
夢の中では、音もないし感触もなかった。それでも、この手が気持ちいいとリルティは知っていた。
「リル・・・・・・それは反則だ・・・・・・」
目の前で愛してやまない女が、微笑みながら目を閉じているのを見て我慢が出来る男がいるだろうか。いるかもしれないが、それはジュリアスではなかった。
撫でていた手を顔に添えるとリルティは驚いたように目を開いた。
ジュリアスの唇が自分の唇に触れるのを不思議な気持ちでリルティは見つめた。
前のように嫌ではなかった、というのがリルティの正直な気持ちだった。それは馬鹿にされているとか、揶揄われているとか思えない真剣なジュリアスの顔つきのせいなのかもしれない。
これで実はリルティのことを想っていないというのなら、ジュリアスは希代の詐欺師だとリルティは思う。
何度も触れては離れる唇にもどかしささえ感じて「ぁ・・・・・・」と甘えたような声が出てしまって、リルティは赤面してしまった。自分の声だとは思えない。
と、何度か口付けを繰り返したジュリアスが、「リル、どうしたんだ。殴りもしないなんて――」と、感激したように言うから、恥ずかしさのあまり逃げるように下を向くと、ジュリアスはそのまま優しく抱きしめて、背中を撫でてくれた。
「おめでとうございます!」
「おめでとう!」
「幸せに――」
そんな声が下の方から聞こえて、驚いて舞台下を見たリルティは赤かった顔を青く染めた。人前で、しかもこんな人に見られるためにある場所、しかも事故が起こった直後だというのに、なんて不謹慎なことをしてしまったのだろうとクラクラとしてしまう。
「ありがとう」
ジュリアスは観衆に手を振って、リルティを抱きしめると肩に担ぎあげて梯子を降り始めた。
「ジュリアス様、自分で降りれるわ」
「駄目、震えているのに――」
そこでリルティは、初めて自分の足に力が入らないことに気が付いた。
「怖い思いをしたし、記憶が蘇って混乱しているんだろう――。恥ずかしいかもしれないけど、我慢してくれ」
梯子を降りきると、多分リリアナの侍女であったのだろう姉役の女と品の良さそうな騎士が額づいていた。
「ジュリアス殿下、リリアナ様は悪くはないのです。全て、私が指示したのです」
騎士は必死の形相でリリアナを擁護しようとしていた。
「実行犯という言葉を知っているのなら、人を侮るのもいい加減にしろ」
ジュリアスは、敢えて吐き捨てるように言った。
「リリアナ様は、あなた様の愛を疑いもせず、ずっと――」
「お前のいう愛とは、自己満足のために人を試すことをいうのか? 見世物のように連れまわし、相手の迷惑を顧みずに押しかけてくることをいうのか? そんなものは愛じゃない。それを知らなかったリリアナは愚かだし、可愛い可愛いと教えなかったのはお前達じゃないのか――。迷惑だと、俺は何度か言ったはずだぞ――」
リリアナがジュリアスの婚約者として振る舞っていた間、ジュリアスは計画のために忍耐を強いられていたが、それでも何度かリリアナを諫めたことがある。その度に、リリアナの周りのものは、リリアナに根気強くいい聞かせるのではなく、リリアナは可愛いからジュリアスもきっと許すだろうと慰めていたのを知っている。
その度にジュリアスは、リリアナと正反対のリルティを思い出さずにはいられなかった。
幼かったリルティですら、今のリリアナよりも人を思いやるということを知っていたのにと、笑顔の下でジュリアスはリリアナを蛇蝎の如く嫌っていたが、そこまで言うつもりはもちろんない。
「ジュリアス殿下・・・・・・」
騎士はそれ以上懇願することは出来なかったのか、項垂れるようにして地面に伏した。トーマス達ジュリアスの護衛が捕らえていくのをリルティは何も言えずに見守った。
「ジュリアス様、怪我人が――」
「大丈夫、ちゃんと医師も人手も手配している」
「私はもう大丈夫。ジュリアス様はお仕事をして下さい」
ジュリアスがリルティから離れがたく思っていることはわかっていたが、リルティはそう言ってジュリアスの首に抱き着いて、腕から下してもらった。
「私にもまだ手伝えることはあると思うの」
リルティは心配して涙が出ているアンナの眦を拭って「ね」と微笑んだ。
ジュリアスは、「わかった・・・・・・テオの側は離れないでくれ」とテオからリリアナを受け取る。
「リル・・・・・・生きていてくれて嬉しい。愛してる――」
その瞬間、周りの人間の口笛やはやし立てるような声が二人を包んだ。
リルティはジュリアスに聞こえるか聞こえないかくらいの小さな声で、「私も――」と答えて、ジュリアスから離れてまだ怪我人のいる方へと駆けだした。
「ま、待ってくれ――、リル、もう一度・・・・・・」
ジュリアスは、自分の耳が幻聴を拾ったのかと思った。それくらいに信じられない言葉だった。記憶を失っている間、ジュリアスが与えたまやかしの関係の間ならともかく、今のリルティは、ジュリアスが自分の婚約者でないことも(既に婚約はすましているが)国のためとはいえ酷い裏切りをしたことも、全て覚えているはずなのに。
リルティは、アンナとテオを連れてあっという間に人混みに消えてしまって、ジュリアスは抱えているリリアナを放り出していくことも、仕事を投げ出していくことも出来ずに踏鞴を踏んだ。
「参った――、やっぱりリルにはかなわない――」
ジュリアスは、失わなかった大事なものを想って、微笑んだ。
それを見た女達が黄色い声を上げているのにも、部下達が驚いた顔で自分を見ていることにも全く気付かなかったジュリアスは、夜の舞踏会が恐ろしいことになることに、未だこの時は予想もしていないのだった。