お姫様の不安
こんばんわ。いつも読んでくださってありがとうございます。
牛は何人かの剣を持った男たちによって捕獲されたようだった。
「だれか、医者はいませんか!」
牛の通った後には、幾人ものけが人が倒れている。人の多い通りだけに逃げきれなかったもの達が多かったようだ。
店の主も声を張り上げて怪我の手当のできるものを探している。
「――リル、屋敷に戻るんだ」
顔を上げたリルティの目に小さな子供が倒れているが映った。その瞬間、冷たい汗のせいか震えていた身体から強張りが溶けた。
顔色の悪いリルティを帰そうと思ったテオは、リルティの目の奥にある意思に微笑んだ。
「・・・・・・それでこそリルティだ――」
「テオ様! リルティ様っ!」
アンナの焦った声を背に、リルティは店外の倒れている子供と泣いている母親に近付いた。
「大丈夫、落ち着いて? お子さんの名前は?」
リルティだけではない、街の人々は負傷者を寄せて、応急手当を始めていた。
「ミーアです」
「名前を呼んでくださいね」
リルティは小さい頃から教会にいて、怪我や病気の処置の仕方を僅かながら学んでいた。
「意識はなし、気道確保、心音は大丈夫。脈拍も大丈夫。飛ばされて頭を打ったのね」
「ミーア! ミーア!」
母親の泣き叫ぶ声は娘の名を呼び続ける。
「あ、意識が戻るわ」
瞼を上げて眼球を見ていたリルティは、そう母親に告げた。瞬間、ミーアの泣き声が上がって、リルティはホッと安堵の息を吐いた。
身体のあちこちを触わり、折れていないのを確かめる。
「大丈夫そうね。たんこぶが痛々しいけれど、アンナ、近くのお店から氷を布に包んで持ってきて。お母さん、それをこの子の頭のポッコリした部分にあてて、冷やしてあげてくださいね。吐いたりしないようだったら、大丈夫だと思います」
リルティの言葉に母親は何度も頷き、「ありがとうございます」とお礼を言いながらホッと娘を抱きしめるのだった。
「リルティ様、屋敷にお連れ致します」
牛を捕獲したのはジュリアスが秘かにつけていたリルティの護衛だったようだ。男は三人いて、リルティの前で頭を下げた。
テオは、骨を折った男の治療をしている。アンナは氷を運んだり、血が出ている人に包帯を巻いたりしているというのに、何を言うのだろうと呆れた眼差しでリルティは男達を見上げた。
「帰りません。けが人がいるんですよ。あなた達もけが人の手当をしてあげてください」
「私たちの仕事は貴女の安全を守ることです。お戻りください」
リルティは護衛達に背中を向けて、倒れている老人に駆け寄った。酷くはないが、倒れた瞬間に足首をひねったのか蹲っている。
「リルティ様!」
「ここで、苦しんでいる人達を放って屋敷に帰えれと? 私はここで言われるままに帰ってしまったら、一生自分を許せないし、無理やり帰されたら、ジュリアスを恨むと思うわ――」
勿論脅迫のつもりはない。リルティは丁寧に老人の足に固定するための硬い包帯を巻きながら思うまま告げた。
「痺れてませんか?」と訊ねると、老人は「すまないね。お嬢さん、ありがとう」と痛みに顔を顰めながらもリルティに礼を言った。
「あなたは・・・・・・、高貴な方はそんなことをされません――」
執拗に言い募る男たちの言い分もわからないでもないが、このけが人が沢山いる現場で何故弱い人を無視できるのかリルティにはわからなかった。
「私は高貴じゃないから仕方ないわね」
リルティは、振り返り微笑んだ。本当のことだ、ジュリアスは高貴な人かもしれないが、自分は高貴ではない。ここで自分の意志を曲げるくらいなら、高貴である必要もないと思えた。
「リルティ様!」
「お願いだから・・・・・・この状況を見て頂戴――」
リルティが困りながら腕を押さえている女性に向かう。
「いい加減にあきらめたらどうだ。お前達、さっさとけが人の手当をしろ」
骨折をした人の治療を終えて、テオがリルティの側にいる護衛に命じた。テオは騎士団に所属していて、王太子の間近で使える身だ。近衛の地位も高い。リルティはあまり見たことはないが、命令することには慣れている。
「ですが、私たちは――」
「リルティは言い出したら聞かないぞ。あんまりしつこいと、リルティも頑固になるからな。困るのは、ジュリアス様だと思うんだが――」
目で合図しあって、どうするかと迷っている男たちは、迷っているうちに「ああ、ちょうどいいところに男手があったわ」と豪快そうな女性に引っ張っていかれた。酷い怪我の人を運ぶのを手伝わされそうになっている。
「これでいいんだろ?」
「ええ、ありがとう叔父様」
「どういたしまして――。でも本当に気をつけてくれよ」
「もちろんよ」
リルティは胸を張って言う。呆れ交じりにテオも笑う。それでも人のために何かをしたいと考えるリルティをテオは誇りに思っているのだった。
「テオさん、こっちの骨折もお願いします」
テオは騎士団を引退しても食べていけるんじゃないかと思えるほど手際よく骨折や捻挫の手当をしていった。
「リルティ様、怪我の手当の方法なんてよくご存じでしたね」
「・・・・・・そうね。覚えているものね」
「ジュリアス様がリルティ様を溺愛されるのも頷けますわ」
ふと、リルティはアンナを見つめた。アンナは他国の人間だったからだろうか、リルティがジュリアスに相応しいと思っているようだった。
「そういってもらえると嬉しいのだけれど・・・・・・、私は何故ジュリアスが私のことを愛していると言ってくれているのか・・・・・・わからないのよ」
リルティが真剣にそう思っていると気付いたアンナは驚きに言葉が出なかった。
「私は平凡だわ。顔だって、頭だってよくないと思うの。ダンスが上手いわけでもないし。歌は好きだけど、それで人を感動させることなんて出来ない。貴族といっても田舎の小さな領主だと叔父様は言っていたし。ジュリアスとは違うわ――。侯爵子息というけれど、とても高い地位についているんじゃないかしら。とても・・・・・・頭もいいし、容姿もすぐれていると思うの。ジュリアスに見つめられると心臓が壊れるんじゃないかって思うくらいドキドキするの。この人が私の旦那様になるなんて私は夢をみているんじゃないかしらって・・・・・・思うの。なんていうか現実感がないのよ。ジュリアスが私のことを深窓のお姫様みたいに扱うときに時折感じる違和感は、夢の証拠なんじゃないのかしら・・・・・・」
リルティの中の齟齬は、少しづつ積み重なっていった。現実ではないかもしれないという笑い話のような思いをアンナは笑うことが出来なかった。
「リルティ様・・・・・・」
「ごめんなさい。馬鹿なことを言ってるわね。困らせたいわけじゃないのよ」
リルティも自分で言い出しながらおかしいなことを言っているとわかっていた。けれど、違和感があるたびに不安になるのだ。
ここは自分の居場所ではないかもしれない――と。
不安の原因は、ジュリアスがリルティを愛しすぎていることかな?(笑)。