王子様の権利
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指を握る力もしっかりしている。痛みは酷いようだが、骨が折れているようではなかった。話を聞くと、それが奇跡のようだと医師は告げた。酷い打ち身とあちこちにある裂傷、それでも身体の痛みは一月もすれば跡形もなくなるだろうという。
眠るリルティを見下ろして、ジュリアスはその顔をそっと撫でた。
診察が終わってジュリアスとゲルトルードが部屋に通された時、医師は眉間に皺を寄せていた。
「痛みが酷いので、薬で眠っていただきました」
ジュリアスが寝台に眠るリルティの側により、その額に口付るのをグレイスは止めなかった。
「傷は?」
「骨は折れていません。激しい打ち身と裂傷はありますが、治るのに一月も掛からないでしょう」
「投石には爆薬がついていて、粉々になっていてもおかしくなかった……」
ジュリアスの言葉に部屋にいた人々は息を飲んだ。
「弾き飛ばされた寝台のマットが盾になったのだと思います」
ゲルトルードがそう呟いて、「なるほど」と医師は納得する。
「リルティは無事なんだな?」
ジュリアスには部屋を出る前のリルティの瞳が気になった。痛みに顰めていただけではないような気がしたのだ。
「無事……とはいいきれません。頭を強打したのか、あなた達のことも、ご自分のことすら、わからないようです」
「それでも、命があるのが奇跡と思わなくてはなりません」
医師の言葉に目をむいたジュリアスが問いただそうとした時にグレイスは、静かにそう言った。
確かにその通りであった。あの惨状をみて、フレイアの無事に神に感謝を捧げたセリア・マキシム夫人やリルティが目覚めて思わず祈ったゲルトルードの言葉のとおり、神が与えた奇跡といっても過言ではないのだ。
「リルティは……」
「いつ治るかそれはわかりません。次目覚めたときに治っているかもしれませんし、一生記憶が戻る事がないかもしれません。これだけは、私達ではどうしようもないのです」
ジュリアスは、リルティの頬に触れて、その温かさを感じて言葉なく、一筋涙を流した。
自分にも涙というものがあったのかと、ジュリアスは我が事ながら信じられなかった。一筋だけ落として、「生きていてくれてありがとう……」と目覚めないリルティにそっと囁いた。
角度からグレイスしか見えなかったジュリアスの涙だが、それをみて、グレイスは一つ心に決めた。
「アンナ、医師にお薬をいただいてきてちょうだい。医師、トゥルーデの足も診てもらえませんか?」
グレイスは、娘の立ち姿に足を痛めていることに気付いていたので、長年の知り合いである医師に頼んで、診てもらうようにお願いした。
グレイスは、差し迫っての危機ではないと判断して、ジュリアスとリルティを二人にして部屋を出た。
リルティの白い頬をそっと撫でた。
もう変態と呼んだジュリアスのことも、嫌いではなかったはずのジェフリーのことも覚えていないのだと思うと、どうしていいのかわからなくなる。
ジュリアスとして嫌われていた時ですら、こんな気持ちになったことはない。
リルティは、もう自分の知っているリルティではないのかもしれないと思うと、それだけで恐怖に近い感情が溢れそうになった。
「リル、まだ……愛しているも言ってない。離したくない――」
無事にこの騒動が終われば、薔薇の花束をもって、リルティに愛を乞おうと思っていた。信じてもらえるか心配だったが、リルティだけが自分の心のよりどころだったと伝えたかった。このままだとリルティは、病気扱いで家に帰ってしまうだろう。もう、顔すら見れない。声すら聞けない。
リリアナの機嫌をとっているときですら、ジュリアスは監視をまいて、リルティを遠くから見つめていたのに、それすら叶わなくなるのだ。
細い指に自分の節だった指を絡めれば、折れそうで怖かった。リルティはきっとそんなに繊細じゃない。爆発にだって耐えれる身体だといえばさすがに怒られそうだが、深窓の令嬢とは言い難い。けれど、ジュリアスにとって好きな女といえば真っ先に浮かぶのがリルティで、それは小さい頃からずっと思い描いてきたリルティとは変わっていても心が離れることなどなかった。
「もう離さないといったら、自分勝手だと怒られそうだな」
抱きかかえて、浚ってしまいたい。もう自分の仕事は大方片付いたはずだった。
未来のライアンの即位に障害などない。宰相には、ずっと行方知れずと思われていた息子が側にいるはずだった。王と宰相の手先となってジュリアスの母であるシェイラと同じように名を偽りながら国のために働いていたのだろう。もし叔父が宰相を継がなくても、その子供のセージがいる。名前はセージではないかもしれないが。
「ジュリアス様、陛下がお呼びです」
グレイスは、躊躇いながらもジュリアスに国王の招請を告げた。
「……行かないと駄目か?」
ジュリアスの常ではない子供のような問いかけにグレイスは戸惑った。子供のころでさえ、ジュリアスは聡明で、わかりきっていることを聞くことはなかったからだ。
「ジュリアス様、リルティ様の記憶が戻るまで、どこかで静養させては如何でしょうか。勿論わたくしもついて参ります。記憶がないからといって、リルティ様を手放すおつもりはないのでしょう?」
グレイスが決めた事は、ジュリアスについて行って、リルティの回復に手を貸すことだ。
リルティはフレイアを身を挺して救ったのだ。それくらいのことは許されるべきだと思っていた。きっとリルティは、庇おうとかそんな気持ちなどなかったのだろう、リルティは小さいもの自分より弱いものを護ろうとする心を昔からもっていたようだし。
「グレイス、愚問だ――」
「では、さっさと陛下に告げてらしてくださいませ。しばらく第二王子は返上すると」
この騒動の中で、そんなことを言ってしまえるグレイスが頼もしい。
「ああ、言ってやる――。忙しくなるな」
ジュリアスは目を醒まさないリルティの頬に手を伸ばし、そっと体温を確かめてから「頼んだ」とグレイスを見た。乳母であるグレイスは、満足そうに微笑んでジュリアスを送りだすのだった。
***
リルティの移動に許可が下りたのは二週間後のことだった。
王に呼ばれ、そこに老グレンバースの生首を確かめたジュリアスは、この内乱が終わったことを確信した。
「てっきり死んだとおもってたんですが、ピンピンされてますね」
「ジュリアス!」
王の傍らに立つ宰相に目を向けてそういうと、少し離れたところにいたシェイラが怒ったような声を上げた。
「まだくるなと妻が言うものでね」
胸元のペンダントを弄る宰相の顔は、少々残念そうだ。胸元のペンダントには、リリーマリージュの最後の手紙が入っている。分厚いものなのだ。ペンダントというには、でかすぎるが、それをずっと胸元に入れていることは、ジュリアスも知っている。狙撃した男は、衝撃で跳ね飛んだ宰相が、起き上がって驚いたことだろう。腕利きすぎたことがあだになったのだろう。年齢からいっても腹に一発で死んだだろうにと、ジュリアスは不謹慎に思った。
「マストウェル侯爵が先に会いにいったということですね」
だから、嫌味だけはいっておく。
「ふん、あんな男が何度求愛してもリリーは私のものだ――」
ああ嫌だ。なんてことだ、こんなところで宰相と血のつながりを感じてしまうなんて。
ジュリアスはマストウェル侯爵のたくらみが何故宰相にバレていたのか理解した。グレンバースの存在がはっきりしないのにマストウェルだけはやけに簡単にばれていたなと不思議だったのだ。
「ジュリアス、よくやった。城の周りはお前が蹴散らしたと報告を受けている」
何故だろう、ずっとこの国王である父親に褒められたいと思っていたはずなのに、認められたいと切望していたはずなのに、全く心が打ち震えないのだ。
「これで、やっと長い戦いに終止符が打たれた……」
独白するような王の呟きは、ジュリアスたちの知らない長い鬱屈からきているのだろう。
「リリアナとセドリックはどうしました?」
宰相は、首謀者の身内である二人の名前を挙げる。
「さぁ、リリアナもセドリックも屋敷では見ませんでした。事を起す前に逃して落ち着いたら呼び戻す気だったんでしょう」
ジュリアスは、気負いもなく嘘をつける自分が嫌いだった。けれど今だけはそれに感謝している。セドリックのことはすぐにバレるだろう。逃した先が宰相の屋敷なのだから。
「俺は、しばらく城を出ます」
「何を言っているんだ?」
王は唐突といってもいいジュリアスの言葉に首を傾げた。
「好きな女を護ることに理由がいりますか?」
意表を疲れたように王と宰相は目を見開いた。
「いいだろう、お前に認めた唯一つの権利だ」
王は何か考えた後、ニヤリと微笑んでジュリアスに向って言った。
ジュリアスは、老グレンバースのもはや何も言わない生首を一瞥したのち、部屋を退出したのだった。
どの愛も歪で、ジュリアスにはわからないものだったが、死者達には意味があったのだろう。愛は狂気と表裏一体だと、ジュリアスにだってわかっている。
城は今、そんな狂気が去った後の嵐の次の日のような有様だった――。
もうそのまま終われよ……と思わないでもないのですが、すいませんもう少し続いてしまいます。え、記憶喪失ネタって萌えませんか?(笑)。
後は甘いだけになると思います。