お姫様たちは篭城する
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ジュリアスはふと、人の気配を感じた。
「侯爵、あなたはリリーに謝りたいのですね――」
先程から知っている不穏な気配に肌があわ立つのを抑えて、ジュリアスは途方に暮れたような老人に言葉をかけた。
「ええ――。私はエウリカ皇国の人間が許せませんでした。私からリリーを奪った宰相も。リリーが死んでから国王を殺したあなたの父親も、そして当然のようにリリーの娘を追いやった王妃も許せませんでした……」
「あなたは、それをリリーが望むと思ってらっしゃる?」
マストウェル侯爵の恨みがまさか祖母から来ているとは思っていなかったジュリアスだったが、酷く冷静にそんな言葉が口から出る。
マストウェルは、留まれると思ったからだ。
「いいえ、あなたと話していて思い出しました。リリーがあんなに辛い思いをした戦場に戻ったのは子供達に争いのない未来を与えたかったから。伝令であった少年を庇ったことをリリーは後悔していないでしょう。あなたが、私の思っていたような方ではなかったのは残念なのか、嬉しいのかわかりませんが――」
老人とも思えない素早さでマストウェルはジュリアスに近寄ると、「逃げてください。ここにはあなたが望まな……っ!」
危ない――!
ジュリアスの琴線にひっかかったのは警告のような痺れ。指先が震えた。
ジュリアスは、慌ててマストウェル侯爵を突き飛ばした。老人の腕にナイフが突き刺さり、温かい飛沫がジュリアスの頬にかかった。
「ジュリアス様! お逃げください」
地面に縫い付けられたように動けないマストウェル侯爵が、必死に叫ぶ。
ジュリアスは、クラクラする頭を押さえ、片膝をついた。
「駄目だよ。まったくジュリアスは、何気に人をたらすのが上手いんだから――」
聞き覚えのある声、その神経質そうな指先でナイフを回すのは、ジュリアスの幼馴染であるセドリックだった。芝生の上を優雅に歩いてくる姿は見るからに高位貴族の風格があり、ナイフは似合わない。
だが、ジュリアスは知っている。ジュリアスほどではないが、セドリックはかなりの使い手だということを。
何故今まで疑問に思わなかったのだろうと、自分のらしからぬ失態に声を上げて笑いそうになる。ライアンを崇拝しているその目は、自分と同じだと思っていたのに、全く自分は見る目がない――。
「大丈夫、死なないよ。君の耐性はわかっているから、普通の人の倍は入れたけどただの痺れ薬だから――。全く、侯爵には呆れるね。そんな簡単に改心するならやらなきゃいいのに」
嘲るような声でマストウェルの腕に刺さるナイフを足で踏みつける。
「ぐぁああ――」
獣じみた声をあげる老人をセドリックは無視して、朦朧とするジュリアスに向き直る。
「大丈夫、おれは意識のある君に近寄ったりしないよ。自分をわきまえてる。マストウェル侯爵を丁寧に監禁しろ。適当な部屋に放り込んでおけばそのうち死にそうだけどね。さぁ、おれ達と一緒に新しい国を作ろう――」
「お前……、ライアン……のことを裏切るのか……」
唇まで震えるのを堪え、ジュリアスは仲のいい幼馴染だと思っていたセドリックを睨みつけた。
セドリックは一度目をそらしたが、目を瞑ったかと思うとジュリアスに笑顔を向けた。
馬鹿にされているのだとジュリアスはカッと霞む目を見開き、セドリックの足元に唾を吐いた。セドリックは、それを見つめ、ジュリアスを真摯に見つめる。その瞳に国を揺るがそうとする意気のようなものは見られない。
「ライアン様は、素晴らしい方だと思っている。尊敬申し上げているよ。だけど、血がいけない――。血を半分抜いてしまえば、いいのだけどね――」
狂っている。セドリックはどうやってこの狂気を隠していたのだろうとジュリアスは、噛みしめた唇から鉄の味を味わう。
「セドリック様、もういっそ、ジュリアス殿下もご退場いただいて、あなたがフレイア様を娶ってしまわれるのもいいかもしれま……っ!」
セドリックは最後までその男に言わせることはなかった。自身が血まみれになるのも構わず、男の首筋にナイフを走らせたのだ。
「汚い――。汚いよ。こんな男が同士だって……」
笑いながらセドリックは配下のものに命じて、男を簡単に始末した。それをジュリアスは目の端で認めながら、息を吐き、意識が暗闇に落ちていくのを感じた。
失ったものが大きすぎて、ジュリアスの夢見は最悪だろうと思われた。
「セドリック様、伯爵を殺してしまってはお爺様に怒られてしまいませんか?」
目に見えるおびえを必死に隠しながら、男はセドリックに言った。
勇気があるものだな――と、周りのものは男の台詞を硬直しながら聞いた。
「いや、もう既に決まっている事をごちゃごちゃ言われては計画も何もあったものではないだろう」
セドリックは、渡された温かいタオルで自身に掛かった血を拭う。
「ジュリアス様はどうされますか?」
「おれが運ぶといいたい所だが……お前達、丁重にお運びしろ。あらかじめ決めていた部屋だ」
セドリックの狂気じみた顔は、既に見えない。
「城もそろそろ事を起こしているはずだ」
城のある方向を見つめる目に緊張感はない。
「おれたちはおれたちの王をお守りするだけだ――」
誰からとは聞かない。賽は投げられたのだ。
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「リル、フレイア様、早くこちらに! セリア・マキシム夫人、後は頼みました」
城に警戒の音が鳴った。何か異常な事態が起こったのだとリルティにもわかった。
フレイア王女とお喋りしながら、マリー・プリンズとセリア・マキシム夫人とリルティは刺繍をしていたのだ。最近は何故かメリッサと仕事の時間がずれてしまい、一緒に行動が出来ていなかった。ジュリアスから言われたとおり、不審がるメリッサには悪いとは思ったがマリー・プリンズと行動を共にしている。リルティも寂しくてたまらないが、メリッサの命に関わるといわれれば、諦めるしかなかった。
立ち上がったのはマリー・プリンズが一番はやかった。リルティとフレイア王女を連れて奥の部屋に入る。何が起きたかわからないが、警戒態勢をとるためにフレイア王女の寝室に入る。この後、セリア・マキシム夫人率いる侍女達が部屋の扉の前に難攻不落の城砦かと思われるほどの家具でバリケードをつくる。窓には内側から格子をはめ、侵入を防ぐのだ。扉の外側はフレイア様付きの騎士が警備にあたる。
「何故私まで……」
命令される声に従いフレイア王女についてきてしまったが、よく考えればそれはおかしい。
寝室はいざというときのために窓もない。いざと言うのはこのような警戒態勢の時のこともあるが、夜這いなどを防ぐためでもある。
「セリア・マキシム夫人は他の人を指令する立場にあります。あなたには、フレイア様のお世話を」
リルティが不安からギュッとフレイア王女を抱きしめると、フレイアはまだ子供だというのに落ち着いた声で「リル、大丈夫よ。安心して」と護る立場の彼女に慰められてしまった。
「はい――。ありがとうございます」
恥ずかしいけれど、リルティはその声に少しだけ落ち着いた。
「マリー……、いいえ、トゥルーデ。その眼鏡、外したら?」
え? とリルティが首を傾げるのと同時にマリー・プリンズは眼鏡をとって、侍女らしくまとめていた髪を解いた。首筋の後ろで一つにまとめた髪と前髪を上げるその女性は、リルティの知るゲルトルードだった。
「え、トゥルーデ?」
「え……リル、気付いてなかったの? ジュリアス様、リルには話したっていってたのに」
「知らないわ……。行動はマリーとしなさいって言われただけで……」
「通りで。リルが私のことを知りながら、何故話しかけないのかと思っていたのよ」
ゲルトルードは、お見合いパーティの日にジュリアスと帰っていったが、そのときに「リルにはお前の事を言っておいた」と言ったらしい。なのに、マリー・プリンズとしてしか話掛けてこないから、おかしいと思っていたらしい。
「お兄様ったら、トゥルーデにヤキモチ焼いているのね。リルと一緒にいれるからうらやましいなんて……」
クスクスと笑うフレイアの言葉に、リルティは不意をつかれて真っ赤になった。
「わざとですね……。今度は紅茶になにいれてやろうかしら」
ゲルトルードは、バジル紅茶は飲ませましたよと言った。
「あの、でも、トゥルーデ。わざとじゃないと思うの……。もう変なものは入れないで上げて……」
リルティが困ったようにいうから、思わずゲルトルードはリルティを抱きしめてしまう。
「もう、リル、可愛すぎるわ!」
呆れたような目をする小さな主の視線にリルティは思わず天井を見上げて途方に暮れてしまうのだった。
比較的早めに・・・とは思うのですが、シリアスなのでノロノロスピードです。まだ少しドロドロしますね。ちなみに警戒態勢は宰相が銃で撃たれたことによって発令されました。