置いてきぼりのお姫様
読んで下さってありがとうございます。
「貴方がいらっしゃるとは思いませんでした」
男――ジュリアスは、リルティから取り上げたワインをコクリと飲み「本当に、思わなかった?」と聞いてきた。
来るとは思っていなかったが心の隅に引っかかるくらいの予感はあったかもしれない何故、仮面なんだろうと訝しんだ時に。でもそんなことを言うのは癪だったから、リルティは小さく頷いた。
「そうか――思わなかったのか……」
残念そうな響きで繰り返されるとリルティは居心地が悪い。
「というか、よく私の前に平然といらっしゃいましたね」
どんなけ面の皮が厚いんだと思わないでもない。
「平然と見えるとしたら、君は男を知らなさ過ぎる」
ワインを呷る様に飲み干すと、リルティの仮面の下の表情を窺うようにジュリアスは見つめてきた。
「知りません……」
何故かジュリアスの側にいるとそわそわしてしまう。テオといる時は安らいで自分らしい自分でいられるのに、ジュリアスが側にいるとそれだけで緊張してしまうのだ。挙句、いらないことまでいってしまって、墓穴を掘ることになる。
「メリッサが……メリッサは折角夜会に出ることが出来るのに、私に気を遣って行こうとしないんです。私は、こんなだからいいけど、メリッサは綺麗だし機転もきくし、優しいから……、きっといい人と出会えるはずだと思って……」
お見合いパーティを開いたのはメリッサのためだ。
「君達は本当に嫉妬してしまうほどに互いを愛しているね」
「愛って……っ。そんな移ろいやすいものと一緒にしてほしくないです」
ジュリアスの口から、愛なんて言葉を聞いたら侮辱されたようにメリッサも感じるだろう。
「移ろいやすいものかな?」
「そうでなければ、世の中に別れる恋人や夫婦なんていないでしょう」
仮面というのはいい。目さえ合わせず口元に笑みさえ浮かべていれば、表情を読まれることもない。
「そうだね。でも底が見えないほど深まるのも愛じゃないかな?」
「私はそんな深い愛じゃなくていいです――」
言外に貴方はいらないですと言って、スッとした。
「こんなに痩せてしまったのに?」
手を握られて手首に口付けられるとリルティは慌てて手を振りほどいた。本当に油断も隙もない男だと思う。
「痩せている方が、沢山食べないからと安心して嫁にもらってもらえるようですわ」
そういう考え方もあると聞いたことがあるなとジュリアスは「ふむ」と頷いた。
「俺は沢山食べさせたいな。もうたっぷり太ってくれれば、余所の男に取られないかと冷や冷やすることもないだろう? プリプリになったリルティだって俺は愛せるよ。一筋も嘘偽りなく――」
グッ! と喉が鳴る。どの口がほざくのだと、ひっぱたいてやりたいし、頬を横に引っ張って伸ばしてやりたいという欲求に駆られる。それを息一つでなんとかやり過ごして「この変態っ!」と口汚く投げつけると、ジュリアスはそれこそそれを待っていたのだと気付いた。
ガッシャーン! と広間に陶器の砕け散る音が響いて、リルティもそして会場の面々も一斉にそちらに目をやった。六番の遅れてきた男が皿をいくつかひっくり返してしまったようだった。
「あっ……」
会場の誰もがそちらを注視した瞬間、それを好機とジュリアスはリルティの唇に触れるだけの口付けをした。一瞬のことだったから、リルティは唇の温かさすら感じなかった。
羽毛が触れるようなキスだった。
「酷い……」
リルティはもう呆れたような声しかでなかった。
「言ったよね、変態っていったらキスするって」
全く悪びれていないジュリアスを見ていると悩んでいた自分が馬鹿じゃないかと思えてくるから不思議だ。
「貴方は本当に酷い人ですよね。私のこと虫けらみたいに思ってるんですか?」
「君も酷いよね。変態だとか虫を愛する人だといいたいわけか?」
もしジュリアスが王子様じゃなければ、こんな風に出会って、好き勝手いって……喧嘩別れしてますよね……。
「貴方の愛はもう信じませんから」
「いいよ。ずっと俺は想っているから……」
ジュリアスの言い方では、まるでリルティが悪い事をしているような気持ちになる。
「もう……いいです。好きにしてください」
降参の旗を振ると、ジュリアスは先程より顔を近づけてリルティに囁く。
「しばらく危なくなる。巻き込みたくないならメリッサとは仕事以外では出来るだけ距離をとれ。テオかマリー・プリンズを絶対に側から離すなよ」
意味がわからなくて目で問うと「出来るだけ危険からは遠ざけたいんだ。頼む」とジュリアスは楽しそうな顔を張り付けたままそう言った。リルティは、それに応える様に微笑んだ。
「はい。わかりました」
リルティは意外なくらいあっさりと答えたから、リルティが怒るかわめくかすると思っていたようで、ジュリアスは意外そうに目を瞬く。
「貴方のためじゃありません……。私のことを心配してくれたグレイス様とアンナさんへの気持ちです」
「そうか――。それでもいい。二人に感謝する」
ジュリアスは、それだけ言うと立ち上がった。
「気をつけてください―――」
リルティの声を受けて、ジュリアスは後ろ手を振った。もうリルティのことは見ない。その颯爽と去る後姿に迷いはないようだった。
そのまま中央で誰かと談笑しているマリー・プリンズに話しかけ、二人はそのまま店の外に消えていった。それにつられる様に何組かが一緒に帰っていくのを送って、「ではそろそろお開きにしましょう」とテオは閉会を告げた。
意気投合したとしても一緒に帰ろうといえない人もいる。そんな人は、テオに繋ぎをとってもらうことになっている。
「リル、帰りましょう」
「メリッサ、一緒に帰らなかったの?」
驚いたリルティは、メリッサの後ろを見てそこに『機械仕掛けの宰相補佐官』の姿をみとめた。
「こんばんわ。お話できませんでしたね。馬車を呼んであるので、一緒に乗って帰りましょう」
テオのほうをみると、先に帰っていいと手を振られた。
「でも……」
「一緒に帰りましょう。ね、リルティ」
メリッサがそう言って手を握るので、リルティも頷いた。お邪魔な気がして仕方がないのだけれど。
「お願いします」
メリッサがリルティを置いていく事などないだろうから、そこは甘えておく事にした。
「リル、この前のパーティは盛況だったわね」
楽しかったと告げたのはカレンだ。笑窪の彼とはどうなったのだろうかと、興味本位で尋ねたら「今度一緒に街でランチをしようって誘ってくれたわ」と嬉しそうに教えてくれた。
「皆好きだった人とか、そうじゃなくてもとてもいい人と出会えたって喜んでいたわ。さすがテオ様よね」
「そう、よかった」
カレンは、特に王族付きの侍女ではない。けれどその真面目な勤務態度とだれとでも仲良く喋れる持ち前の明るさがリルティには好ましく思えた。笑窪の彼とはいいカップルになるだろう。
「でも、あの日、結局付き合うことにならなかったのは、リルティとマリーだけじゃないかしら?」
カレンの何気ない一言に、リルティは軽くショックを受けた。
「え、二人だけなの?」
上擦った声にカレンが驚いたようだった。
「ええ、確かそうよ。メリッサもあの遅れてきた人とお付き合いすることになったんでしょう?」
リルティは頷いた。『機械仕掛けの宰相補佐官』様と約束したと嬉しそうに着ていく服を選んでいた。
「リルティ……折角私も声をかけてもらったのにこういうのはなんだけど……。あなたも辛い恋は忘れて、幸せにならなきゃだめよ。女の時間は短いのよ?」
二十代中頃のカレンの言葉は重みがあった。
「そうね。ええ、気をつけるわ。ありがとう、カレン」
心配してくれるカレンと別れて、リルティはテオを捜した。
一人で行動するなと言われたからマリーかテオを捜さなければならない。今、リルティのショックを和らげてくれるのは、甘いお菓子しかないような気がした。きっと叔父は、リルティを今一番人気のスイーツショップに案内してくれるだろう。
リルティは置いてきぼりを食らったような気持ちで、騎士団への道を急ぐのだった。
えへへ。感想もらって嬉しくて、続き書いちゃいました。今回のお見合いパーティはここで終わりです。そろそろシリアスに戻らないと。また間が空いたらごめんなさい。