王子様の諦観
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初めてミッテンを見たのは、騎士団に入る前の鍛錬場だった。
政を行う王宮の正殿の奥に国王一家の住む場所がある。正殿からは隔絶されている場所で、王と正妃は同じ棟、側妃である母とジュリアスは少し離れた南の棟に居を構えていた。そこは第一閣と呼ばれている。入れる人間が少ない事もあって静かな場所だった。
ジュリアスは母が公爵夫人と偽って王宮にいないことが多かったから、よくグレイス達をまいて、ゲルトルードや時折ライアンや遊びにきたセドリック達と冒険に出掛けた。
その日はゲルトルードと一緒に騎士団のほうへ行こうと、少し離れた騎士団のある正殿の外へ遊びに出掛けていた。
この王宮で子供といえば王子や高位貴族の子供しかいないので、大人の目は光っているものの比較的自由に遊びまわる事ができたのだ。
「あちらで音がしますよ」
「ちょっと待て、トゥルーデ」
近道だというゲルトルードの言葉を信じるとろくな事がないとジュリアスはわかっていたが、ジュリアスもろくでもない道が楽しかった。それこそ冒険をしている気分になる。
宰相である祖父に見つかれば、三時間は小言が続くとわかっていても改めようとはしなかった。
ゲルトルードは、ジュリアスと同じような格好をしているので問題はなかったが、貴族令嬢が茂みの中を四つん這いで進むのはどうかとジュリアスは思っていた。言ってもきかないことはわかっているけれど。
「イタッ。ジュリアス様、そこ枝出てますから気をつけて」
顔に赤い筋をつけてゲルトルードは、こちらの心配をする。同い年とはいえ、女のほうが成長が早いせいかゲルトルードはジュリアスを弟のように思っているようだった。
「お前、女なんだから、もうちょっと気をつけないと顔に傷でも作ってみろ。貰い手がないぞ」
「ええ――。私はこれでも将来美人になると言われているんですよ。ていうかジュリアス様にいわれたくないですけどね」
「何が?」
枝を払いながら進むのは結構骨が折れた。
「女に貰い手がなくなるなんて言ってたら、もてませんよ……」
ジュリアスは一瞬、もてなくなるという言葉に制止した。振り向いていたゲルトルードの顔を見を見て、失敗したと思った。
「ジュリアス様好きな子できたんですか? 誰ですか? いつの間に……」
もてなくなるといわれて、咄嗟にリルティの顔を思いだしたのがまずかったらしい。顔に出ていたのか、ゲルトルードには今のことでばれてしまったらしい。でもそれを言うと絶対見たいとか、興味深々になるに決まっているので、内緒だ。ニヤニヤ笑うゲルトルードに前に進めと命令する。
「お前、昨日俺の部屋のお菓子食べただろう!」
話を変えることにした。
「あれ、ばれてました? あのショコラ美味しいですよね。いいじゃないですか
毒見です、毒見」
毒見して死んだらどうするつもりだとジュリアスは思うが、多分どんなけ言ってもこの女は自分の言う事なんかきかない。
「ここですね。随分人が多いわね。いつもはこの半分の人数がいればいい方なのだけど」
なんとか茂みを抜けると、巨大な屋根のある騎士団の鍛錬場があった。ここでは騎士達が日々の鍛錬を行っている。ジュリアスが望んで話を通せば椅子に座ってゆっくり見ることができるが、それでは楽しくないので、ちょっと遠目だが、掲示板の影に隠れてみる事にした。
「ジュリアス様、剣も大分上手になられたってグレイス様が言ってましたよ」
ゲルトルードは、ジュリアスの乳母をしている母親を様付けで名前で呼んでいる。
「ああ、実践に勝るものはなし」
それこそ歩けるようになった頃からナイフを持たされている。もう自分の体の一部のようになったそれとは別に、十歳を過ぎた頃から長剣の稽古も始まっていた。
放っておいても刺客は来るので、身を守るために随分鍛えられいる。
有難いことに刺客を送ってくる奴等は、宗教の教義とかで刃物に毒を塗るとかいうことをしない。
「そうですか……」
ジュリアスは命を賭けた実践を繰り返していることもあって、手加減が出来ないという欠点があった。余裕がないのだ。しかも卑怯な手を使うこともあるので『王族の剣技』からも遠かった。ジュリアスが剣を習っているのは、古株の騎士、もっぱら戦で功績を挙げてきたものばかりだったのも問題かもしれない。
ジュリアスと一緒にいることが多いので、ゲルトルードもナイフも剣も習っている。それほど得意ではないが、面白そうだということで、最近は長い鞭を習い始めた。問題は、隠せる大きさでないということだろうか。
「トゥルーデは将来鞭とか似合いそうよね」
と冗談で言った側妃シェイラの言葉を真に受けた純真な少女であった。
「ジュリアス様! あの人凄い……」
ゲルトルードが言うまでもなく、ジュリアスも既にその技に見惚れていた。上は支給されている白いシャツだし、下も支給されているトラウザーズで他の誰とも違う格好をしているわけではないのに、目立つのだ。それこそ五十人以上いる中で目をひくということはそれだけで人とは違うなにかをもっているのだろう。
乱暴なのではない剣の一振りが風を切る。風にまで意思があるようにあたってもいないのに相手をしている男が転ぶ。
「魔法みたい……」
ゲルトルードがキラキラを瞳を輝かしながら、そう言って少しづつにじり寄っていった。
「魔法か――」
男の身体にも魔法は掛かっているのか、あれだけの巨躯で回り込む速さはジュリアスが今までみた誰よりも俊敏だった。ジュリアスはそこに立ちすくんだ。
この男を敵には回したくない――。
ジュリアスは本能でそれを感じ取った。味方になれば、誰よりも安心出来るだろうと、たった五分で心酔してしまうほど、彼の剣技は鮮やかだった。
彼を息を飲んでみていると、何故か視界にゲルトルードが映った。
「あれ? 隣にいたはずなのに……」
ゆっくりと歩いていくゲルトルードを騎士達は止める事もできずに、ただ見守った。
ゲルトルードは、その男の前までいくと、「何でこんな所に少女が?」と慌てつつも見守ってしまった騎士達の注目を浴びながら、「貴方の名前を教えてくださる?」と挑むような顔で男に言った。
男はゲルトルードを静かに見詰めて、「ミッテンだ。フラン・ミッテン」と名乗った。
「そう、私ゲルトルード・タウシャーというの。貴方まだ結婚してないわよね?」
ミッテンの指を確認したゲルトルードは、訳もわからず首をかしげる男が頷くのを見ると嬉しそうに「キャ――!」と、ジュリアスが初めて聞く声で喜声を上げた。
ミッテンは、その勢いに驚いて一歩下がったが、ゲルトルードは間合いをつめて、飛び上がった。
「ジュリアス様! 私、この方にお嫁にもらってもらいます!」
ミッテンの首に抱きつくと(でかいのでよじ登っていたが)、何が起こったのかわからずに固まったミッテンにゲルトルードはそっと唇を寄せた。口の端を温かい感触が触れたのを感じて、銅像と化していたミッテンも我に返った。
「な、何を?」
冷静なミッテンの動揺して運動した後の汗ではない大量の汗を流すのをジュリアスはこの時以降みることはなかった。
手を振るゲルトルードをジュリアスは、唖然と見詰めた。
家格とか手回しとか、この乳兄妹には関係がないらしい。
もう一度ゲルトルードが、ミッテンにキスしようと腕に力を入れたところでゲルトルードは引き剥がされた。
「女の子が何をしているんですか!」
ミッテンは怒りか照れかわからないが取りあえず真っ赤になって、ゲルトルードと距離をとって叫んだ。
「トゥルーデって呼んでください」
引き剥がされたのは不本意だが、ゲルトルードは自分を叱るミッテンをうっとりと見詰めた。
次の月にあった闘技会でミッテンが優勝を収め、周囲の勧めでジュリアスが騎士見習いとして指導を受けるのがミッテンになったとき、ゲルトルードの嫉妬は凄かった。
「ミッテンに抱きしめられてましたよね……」
体技の練習で背後から羽交い絞めにされていたことを言っているのかと白い目を向けたが、一向に嫉妬はやまない。
「ミッテンに手取り足取り剣を教えてもらってうらやまじぃ……」
ハンカチを噛みながら訴えられるが、手取り足取り教えられた後、もう地面と友達になりたいくらいみっちり稽古をつけられたのも見ていただろうに。
「もう、お前うっとおしい!」
ミッテンに会えるかもとゲルトルードが付きまとうのもジュリアスには苦痛だった。
闘技会の後、ジュリアスは騎士見習いとして公式に騎士団に入団した。
ジュリアスは母親であるシェイラに「ミッテンは頼りになりますよ」と言われた。
その通りだとジュリアスは頷いたが、余りに素直に頷いた事が心配だったのか、普段は国王や宰相の思惑などジュリアスに話すことのない母が、迷うように告げた言葉にジュリアスは言葉を失った。
「ミッテンは……、ジュリアスを守るためだけにつけられたのではないのよ。お前が貴族の思惑に乗ってライアン様を傷つけるようなことがあった場合に、貴方からライアン様を守るために側にいるの。貴方がライアン様を大事に思っている間は、ミッテンは心から信頼できる守護者だわ。でも……、ミッテンにはミッテンの立場があるということだけ覚えておきなさい」
期待することは裏切られることだと、ジュリアスはまたしても一つ諦めることを強いられた。
誰にも期待してはいけない。自分の役割を全うしなければ、自分という存在は希薄であるとジュリアスはわかっていた。
たった一つの願い。それを叶えるためなら、ジュリアスは自分すら欺いてやると、改めて心に誓ったのだった。
ちょっと五時に間に合いませんでした~。ミッテンとの出会いです。ゲルトルードが残念な感じですかねw。




