破壊された王子様の部屋
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国王とその義理の父でもある宰相は、壊れたワゴンを片付けさせた後、窺うように入ってきた控えで待っていた三人を次々相手に仕事をこなした。どれも大した案件ではなかったが、国王は漏れる溜息を隠さなかったので、彼らは挙動不審に国王を窺い見た。
国王の顔は一切の感情を表していなかったが、溜息からは言いようの無い疲れのようなものがあった。それはその後の宰相との地味な戦いを思い浮かべてのことだったが、彼らにはわからない。
国王の署名が必要なものにサインをもらい、三人は入れ替わり立ち代り早々に退出していった。ちなみに三人は外相補佐、軍務団長補佐、警吏部事務官であった。
どちらかが先ほどのジュリアスについて話を振れば、それが負けのようで、執務机の上に置かれた銃と剣を見ないようにしている。人が切れたところで侍従が運んできた紅茶とお茶請けのクッキーをつまみ、ソファにだらしなく伸びた国王に、宰相は何も言わなかった。
紅茶は喉を潤しはするが、それだけだ。お茶は最高級の茶葉だといのにもったいないことこの上ないと国王は思っていた。出来ればお茶を一緒に頂くのは、宰相でない方がよかったが、この後のことも考えると逃げ出すことも退出を勧めることも出来ない。
コンコン! と軽いノックをされた扉を見つめて、国王は立ちあがり自ら鍵を開けた。その扉は、廊下側ではなく、国王の執務机の横にあった。向こうからも鍵は開けられるのだが、彼女が自分でその扉の鍵を開けたことは未だかつてない。
「あら、お父様もいらっしゃったのね……。それで二人して、ジュリアスを苛めて、それをお茶受けにしているのかしら」
「シェイラ……」
開口一番、側妃は辛らつだった。普段とは違う彼女の態度に国王はおや? と珍しそうな顔つきで見つめた。
「もう大変よ。ゲルトルードがやってきて、ジュリアスを何とかしてほしいっていうのだけど、どうせ原因は陛下かと思ってやってきたのだけど。当たってたようね……」
ジュリアスは前国王とそっくりだといわれているが、確かに側妃シェイラの息子であるとわかるくらいには似ていた。だが、ジュリアス程に大きな子供がいるようには見えない。少し年の開いた姉のように若々しい。その瞳が誰もがひれ伏す男二人を睨みつけていた。
「で、何を言ったの――? 我慢強いあの子が自棄になるなんてよっぽどの事よね」
勧められたのは国王の横だったが、彼女は敢えて二人の挙動がつぶさに見える横のソファに座って睥睨する。
「シェイラ、聞いて欲しい。確かに私が悪かった。だが、あいつはちょっと気が短すぎるのではないか?」
執務机に視線をやるので、シェイラもそちらを見ると、見覚えのある銃と剣が見えた。
「まさか!」
シェイラは、それを驚愕の眼差しで見つめた。
それは、ジュリアスが騎士として叙勲された十八の誕生日に国王陛下から贈られたものだった。贈られたときからジュリアスは片時もそれを離さず、腕を磨き、それを大事にしていたのをシェイラも知っている。だからこそ、瞬きを繰り返し、やはりそれがジュリアスのものだと認識すると、頭を抱えた。
「側妃様……」
声を掛けた父親である宰相に「お父様、だれもいないのですから、シェイラと呼んでください。返事しませんよ」と強く言った。
三人は一様に声を出さずに、相手の出方を待った。
そして十分も沈黙が続くと、流石に時間がもったいないので、シェイラが言葉を発した。
「で? どうしたんですの?」
国王の方に聞いたのは、どうせ国王の指示なくては宰相が言う事はないとわかっていたからだ
「国内の貴族に不穏な動きがあるのは、お前が調べてくれただろう。それを探っていたら、マストウィル侯爵が浮上してきた――」
国内で有力な侯爵の名前にシャイラも言葉をなくした。
「マストウィル侯爵は以前より孫娘とジュリアス様の結婚を望んでおりました。ライアン様を亡き者にした後ジュリアス様を王太子に、長じては王にということでしょう。ですから、尻尾を出させるために、ジュリアス様にはおとりになっていただこうと……、ご相談しようと思っておりましたが……」
「話の最初に剣と銃を放り投げていったよ――」
青褪めたまま、シェイラは「なんておっしゃったの?」と尋ねた。国王と宰相は、誤魔化しきれなかったかと、シェイラを頼もしく思いながらも、言い渋った。
「ジュリアスに……見合い話があると――」
バン! と間にあるローテーブルに持ち出した扇子を叩きつけて、シェイラは二人を交互に睨みつけた。扇子は薄い木に彫刻をほどこしたものだったが、勢いに負けてバキリと中央あたりで折れた。
「そんなことを言いましたの? ジュリアスにはリルティ様がいるのに! ジュリアスが怒るのは当然ですわ。陛下、ジュリアスにはたった一つの願いすら叶える価値はないとお思いですの?」
シェイラは、悔しくて、そこにあった紅茶のセットを手で薙ぎ払って、怒りを表した。
自分が王妃ではなく、側妃になるのだと知らされた時ですら、シェイラはそこまで怒りはしなかった。だが、これは酷い裏切りだと思った。
納得したからといって、傷つかなかったわけではないのだ。王太子の婚約者として過ごしてきたのは決して短い時間ではなかった。その分、心無い人々に嘲られる痛みに耐えてきたのだ。
「ジュリアスに後悔させるために、私は側妃となったのではありませんわ」
国王は、自らの妻に再度惚れ直すことになるとは思わなかった。普段は理知的で、感情の起伏をさほど表さないシェイラだったが、怒りで燃えたように瞳を輝かせる妻は美しかった。
「わかっている――。だが、このままそのお嬢さんを嫁にしたところで、あっという間に命を狙われて、傷を負うのはジュリアス様だ――」
宰相の声は宰相ではなく、父親のものであり、祖父のものだった。諭すように、娘に語りかけると、シェイラは戸惑いながら、「でも、私はこれ以上あの子から奪えないわ。あの子が嫌だといったら……私はあの子の応援しかするつもりはありません」と答えた。
少しだけ落ち着いた妻の様子に、国王はホッと肩を下ろすのだった。
そして、宰相がここにいてよかったと少しだけ思うのだった。
激しく陶器やガラスの砕ける音と、木が折れる音を耳にしたゲルトルードは慌てたが、扉をあけようとノブを回した瞬間に扉に何かが当たって砕ける音がしたので、部屋に入る事は諦めた。
「どうしたの? 何があったの?」
慌てふためく侍女や侍従に尋ねても、帰ってきて部屋に鍵を掛けた後からずっとこんな風に暴れているとしかわからなかった。
どうしたらいいのか相談できる母もミッテンも帰ってきているのかどうかもわからなかった。
もしかしたら、母が帰っているかもしれないし、側妃であるジュリアスの母に何か聞けるかもしれないと、ゲルトルードは側妃シェイラの部屋へ急いだ。その後しばらく国王陛下の執務室にこもり、何があったのかわからなかったが、戻ってきたシェイラの腕にはジュリアスのものと思われる剣と銃が布に包まれてあった。
「私が持ちます」
ゲルトルードに微笑み、シェイラは首を横に振った。
「ありがとう。でもこれは私があの子に返してあげないと……」
シェイラの顔色は悪かった。余程の事があったのだと、ゲルトルードは一週間近くメリッサと一緒に文句を言っていたジュリアスのことが心配になった。
二人が戻ると離宮の中は静かになっていた。扉の周りには心配している召使達が心配そうに部屋を窺っていたが、シェイラの顔を見ると、安心したようにホッと胸を撫で下ろした。
シェイラは、心を静めるように大きく息を吐いて、扉をノックした。
「ジュリアス、開けて頂戴」
凛と響くシェイラの呼びかけに、しばらくすると扉が少しだけ開けられた。
シェイラは、その扉を開けて、「心配しないで、待ってて」と中に入っていった。ゲルトルードはその声に仕方なく留まることにした。本当は入っていって文句も言ってやりたいし、大丈夫かと声も掛けてあげたかったが、シェイラはそれをとめたのだ。
理由があるのだろうとわかってはいても、蚊帳の外のような気がして、少しだけ寂しく思った。
だたいま、真面目に生きてきた男の遅すぎる反抗期ですw。