氷の王子様
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リルティは、ロクサーヌとテオとデザートの沢山置いているテーブルに来て、「ああ、叔父様の天国がここにある」と思った。
ロクサーヌも甘いものは好きなようで、どれが一番美味しいかと叔父と話しているから、そこにあったレモンのタルトを一皿とって、リルティは手を振って呼んでくれたマリアンヌたちのところにいった。
「あら、レモンのタルト美味しそうね」
シンシアがそう言ってリルティの手元を覗き込んだ。
「食べる?」
少々お行儀が悪いが皿を差し出すと、逡巡した末に、シンシアは一口フォークで刺して食べた。
「美味しいわ」
シンシアを見ていると、いつも母に連れられて訪れていた故郷の教会に預けられていた子供達を思い出す。そんなことを言ったら、シンシアは怒って口も聞いてくれなくなるだろうから、言わないけれど。
「いいわね、馬に乗っていたでしょう? 私も乗りたかったわ」
ジョセフィーヌは思ったより行動派のようだった。あまり貴婦人は馬に乗ったりはしない。
「楽しそうだったわね」
沢山の馬車が二人の馬を追い越していったから、きっと何か言われるだろうとリルティも思っていた。
「ええ。私が乗った事ある馬より背中が高くて、視界が広がったのが楽しかったわ」
「あら、てっきりジュリアス様と一緒に乗ってるのが楽しいのかと思っていたのだけど」
ジョセフィーヌの言葉にリルティは頬を紅潮させ、何もいえなくなってしまった。
「ふふ、リルティったら、真っ赤になってるわよ」
マリアンヌは、冷たいレモン水をリルティに渡してくれた。一口飲んで、ほっと息を吐く。
「ジュリアス様もとても楽しそうだったわね。あんな風に笑うなんて。こう言っては失礼にあたるかもしれないけれど、もっと怜悧なイメージの方だったのよ」
ジョセフィーヌがそういうからには、周りからそう見られているのだろう。リルティからみれば、熱すぎて甘すぎるくらいの男なのに。
「ジュリアスは氷の王子様って言われているのよ。笑うでしょ」
テオと一緒にロクサーヌがやってくると、慌てて三人は立ち上がってお淑やかに礼をした。
「ああ、いいのよ。私達もまぜてくださいな」
テオに椅子をひいてもらってロクサーヌが座ると、三人は少しだけ恐縮しながらも嬉しそうに頷いた。
「氷の王子様ですか?」
確かに怒ったジュリアスは、氷点下だったけれど……。
「ロクサーヌ様はジュリアス様と幼馴染でらっしゃるんですよね」
ロクサーヌは二十六歳でライアンより一つ上だった。
「ジュリアスとは、親戚になるのよ。小さい頃からよく遊んだわ」
「ジュリアス様は小さい時どんな感じだったんですか?」
自分達の知らない王子様の姿を知りたいと三人は身を乗り出す。リルティも勿論聞きたかった。
「ジュリアスはね、頑固だったわ。怒られてご飯抜きにされても、外に出されても決して自分を曲げないの。だから祖父である宰相様にはよく怒られていたわ。毎日説教されていたと思うのだけど」
ね、と後ろに控えるグレイスに微笑む。
「ええ、そうでございましたね。ライアン様とお友達のマルクス様とセドリック様とよく冒険にでては、怪我をして帰ってらして……今日は無事かと毎日おそろしかったですわ」
グレイスの溜息とともに告げられたのは、王子様も普通の男の子だったというほんわかした思い出ばかりだった。
「ジュリアスが大人しくなったのは、騎士団に入る前よね。何かあったのかしら?」
「ええ、その頃ですわね。それ以降、氷の王子さまと呼ばれるようになりましたね。大事なものができたのだとおっしゃってましたわ」
その頃といえば、王女殿下が生まれた頃だろうか……とリルティは思った。
「子供から大人におなりあそばしたのね」
ジョセフィーヌの言葉にロクサーヌとグレイスはリルティに微笑み、頷いたのだった。
昼を前に狩りに出ていた男性達が次々と獲物を持って帰ってきた。
リルティは、ジュリアスが怪我をしないか心配だった。狩りにでて怪我をする人が少なくないことをリルティも知っていたからだ。
帰ってきたライアンたちを囲むように男性も女性も寄っていく。
「リルティ様もいってらっしゃいませ」
グレイスがそう言ったが、その囲んでいるものたちの中にリリアナがいるのを見てしまって、リルティは動けなかった。
「リル!」
人ごみを分けて、ジュリアスがリルティを見つけて大股で歩いてきた。背後にリリアナの憎悪のこもった瞳をみてしまい、リルティはザッと鳥肌をたてた。無意識にたった腕をさすると、ジュリアスの瞳が心配そうに眇められた。
「どうしたんだ? 具合でも悪いのか?」
葡萄畑で苦しむリルティを見てから、ジュリアスはリルティの体調に敏感に反応するようになった。
「いえ、少し寒さを感じてしまって……」
まさかジュリアスに想いを寄せてる少女の怨念が……ともいえずごまかすと、ジュリアスは余計に心配になったようだった。
「リルは、本当にか弱いんだな」
自分の羽織っていた外套を脱いで、リルティの肩にかけると、手をひいて歩き始めた。
「火のそばに……」
いくつか焚き火をつくっていたので、その側に椅子を用意させてリルティに暖をとらせる。
「寒くないか? 寒いならもう戻ろうか」
「いえ、大丈夫です」
だって、本当は寒くなかった。鳥肌を立てた理由を話せなかっただけだから。
「獲物をしとめることができなかったんだ。その代わりといってはなんだが……」
ジュリアスはリルティに摘んできたセージの小さなブーケを手渡した。
驚いてリルティは、もらったブーケから眼を離せなかった。ジュリアスの視線を感じると、頬が紅潮するのがわかった。
「リルは、ドレスや宝石より花のほうが嬉しいのか……」
ジュリアスは赤くなって微笑むリルティにそう言って、そっと掠めるようなキスをしてしまった。
「あ……」
言葉はリルティではなく、ジュリアスの口から漏れた。
花に喜ぶリルティが可愛くてしかなたないと思った瞬間、思わず口付けてしまったのだった。
「す、すまない……」
固まったリルティにいい訳すべきだと思っているのに、出たのはそんな謝罪だけだった。
「……いえ……」
リルティは自分の唇に触れたのがジュリアスの唇だと謝罪の言葉で気がついた。
驚くと人間は思考が停止するのだと、リルティは知った。
いえってなんだ? と思っても他に何も浮かばなかったから仕方ない。周りを見渡すと、火の方を向いてのと、人が沢山いるところからは離れていたせいか、二人の行動に不審をもつものはいないようだった。
「ごほっ!! ごほっ!!」
グレイスが咳き込んだので、リルティは慌てて立ち上がった。
「グレイス様、火にあたったほうがいいのは私じゃなくて……」
朝から咳き込んでいたのにとリルティは申し訳なく思う。
「グレイス、大丈夫か?」
ジュリアスは、心配をするリルティにあわせてそう言ったが、グレイスの目を見ることは怖ろしくて、出来なかった。
何故リルティだと、冷静になれないんだろうと、ジュリアスは落ち込む。
ジュリアスは怖くて見なかったが、グレイスの目は嬉しそうに笑っているのだった。