ある侍女からみた王子様 1
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アンナは、ここ数日の主であるジュリアス王子の言動を思い起こしてクスクスと笑った。
「アンナ? どうしたの、思い出し笑いなんて」
もう眠っていると思っていた妻がいきなり笑い出したので、夫であるトーマスは驚いたようだ。アンナは、「ごめんなさい」と言いながら、やはり笑いが止まらなかった。
「ジュリアス様って可愛らしいかただったのね」
アンナの言葉にトーマスは驚いていた。「可愛い?」と疑問系で聞いてくる。アンナの言葉の意味がわからないようだった。
「もっと怖いというか冷たい人だと思っていたわ」
そういうと、意味がわかったようだった。
ジュリアスは、損をしていると常々思っていたトーマスだから、アンナがそう言ったのを嬉しそうに頷いた。
アンナは、ジュリアス王子が隣国であるアルハーツ国に外交のために来た国の王宮の侍女だった。
ゴットホルト国は右にライアン王太子の母の国であるエウリカ皇国、左にアルハーツ国、下にイウリア公国がある。エウリカ皇国とゴットホルト国は領土争いをしていた歴史がある。ライアンの母が嫁いできたのも二つの国の友好という名の半分人質のようなものだった。
アルハーツ国も、戦争していた当時ゴットホルト国とは仲がよくなかった。ゴットホルトの今の国王であるレイサークは、執拗にエウリカ皇国を狙っていた父王を弑逆して、エウリカ皇国の姫を娶った。アルハーツ国やイウリア公国とも友好のための努力を惜しまなかった。その甲斐もあって随分仲良くなった隣国である、アルハーツ国にジュリアスが行ったときには、花嫁探しにきたと思われていた。
漆黒の髪、闇のような瞳を持つ美貌の王子様に随分宮廷の淑女達は黄色い悲鳴をあげたものだった。
けれど、王子様は誰にも靡かなかった。彼は自国では騎士団に所属していたせいか、男達との友情を育むために、力試しをし、酒を飲み交わし、沢山のシンパを作ったが、ついぞ女性と噂になることはなかった。
「王宮で、ジュリアス様は、男が好きなんだといわれていたわ……」
アンナがそういうと、トーマスは何を想像したのか真っ赤になってゴホゴホを咽た。夫の背中を撫でながら、アンナは当時のことを思い出して溜息を吐いた。
だからといってジュリアスが男とだけ遊んでいたわけではない。勿論外交にきているのだから、国のあらゆる場所を視察させてもらい、貴族達と交流をしていた。どこにいっても王子妃になりたい候補の女性はひっきりなしだったし、彼もあからさまに嫌がることなどしなかった。
だた、「私には婚約者がおります」と見た事もないようなほっこりした笑顔で告げたものだから、周りはがっくりと肩を落とし、ジュリアスにそんな女性がいないことを知っている面々には随分慌てさせたものだった。
アンナはその時にトーマスと知り合い、恋をして、彼が帰る前に求婚してくれたので一緒になって、こちらの国に来たのだった。
結婚したからといって、知り合いのほとんどいないこの国で家にこもるのは嫌だったし、トーマスの家があまり裕福ではない男爵家だったこともあって、アンナはジュリアスの侍女になった。いずれ子供でも出来れば、家にはいることになるが、それまでは二人で夫婦用の仕官の部屋に住んでいるのだった。
王宮にいたのは一週間ほどだろうか――。
いきなり、夫に「グレイス様について行って」と言われた。
グレイス様ってだれ?
まだ、家の片付けとジュリアス様の離宮を調えることでバタバタしていたので、アルハーツ国に来ていたジュリアスの供以外はよくわかっていなかった。
「ジュリアス様の乳母君で、母上である側妃様の女官長だよ。俺はもう行かないと。ジュリアス様、いきなりライアン王太子様のバカンスについていくって……。あ、ゲルトルード様には内緒だから。二週間分の自分の荷物を持って、グレイス様のところに行って。向こうで直ぐ会えるから」
優しくキスしてくる夫にそれ以外のことを聞き出せないまま、アンナはグレイス様のところにいくことになったのだった。
初めてお会いした側妃様はこういってはなんだが、結構地味な人だった。分厚い眼鏡をかけて、殴ったら人を殺せそうな辞書を片手に(力持ちだなと思った)挨拶してくださって、恐縮した。
「あなたがアンナね。よろしく」
グレイス様は、キリリとした美人だった。年齢はアンナの母と変わらないだろうが、溌剌としていて、麗しい。どちらかというと、こちらのほうが側妃様といわれたほうがしっくりする。
「はじめてまして。アンナ・モートンです」
「トーマスのお嫁さんね。こんな可愛い人を捕まえるなんて、トーマスもやるわね」
「まだ坊やだと思っていたのに男の子の成長は早いものだわ」
側妃様と女官長様はおっしゃった。そうやって話していると姉妹のようだった。
「わたくしからグレイスを取り上げるなんて、ジュリアスったら酷いわ」
「二週間でございますよ。わたくしは楽しみにしております」
二人はニッコリと何かを含むように笑った。
二人になった女官長様は、「わたくしのことはグレイスと呼んで頂戴ね。今から忙しいわよ」と、張り切っておっしゃった。
アンナは、グレイスについて街に下りた。沢山の買い物があった。
「わたくし、顔はみていなのよね」
やっとその頃になって、私達が後続としてついていく場所にジュリアス様の大事な方がいる事を知った。その方のお世話をするためにいくらしいのだが。
「それならトゥルーデのほうが適任でしょうに」
アンナがぼやくように、ジュリアスの側近の名前をだしたら、グレイスは落ち着いた口調で、それは無理だといった。
「トゥルーデは、その方のことを気に入ったんですって。ジュリアス様の邪魔をしそうだから内緒にしてくれっていってたのよ」
グレイスの口からゲルトルードの愛称がでて、そういえばとアンナは思い出した。
ゲルトルードはジュリアスの乳兄妹だというのだから、グレイスはもしかしなくてもゲルトルードの母親ではないかと気付いた。
グレイスは、服を取り出した。女官が着るお仕着せだった。
「これと同じサイズで揃えて頂戴。勿論小物もね。マダム・サリー、下着や夜着もあったわよね」
そこは王宮でも御用達のドレスをしつらえる店だった。急遽用意しなくてはならないことも王宮ではあるので、全てそこでそろえることが出来た。
花嫁でもさらっていくのかしら?
目の端に映った金額に目をアンナは目を剥いた。
「宝石の類はどうなされますか? 貸し出しもあります」
マダム・サリーは、そう言ったがグレイスは首を振った。
「それは用意しておりますわ」
アンナが不思議そうに首を傾げると、「それもあってわたくしが来たのよ。側妃さまの宝石をなくしたら大変ですからね」と言った。
どんなご令嬢なのだろうかと、アンナは驚いた。
この豪華な衣装を用意されて、側妃さまが宝石をお貸しする女性……。
実際のリルティを見るまで、アンナは本当にドキドキしていたのだ。
出会った女性は、可愛いけれどジュリアスが傾倒されるような美女には見えなかった。どちらかというと大人しい人で、ジュリアスの愛情を全く信じておらず、贈り物にも困惑されていた。
知らない場所で心細くなっているリルティを少しでも慰めたいと、アンナは思うのだった。