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夏希は新しい世界に来た俺に初日に言った。
『この世界にあなたを調和させるために、記憶や周りとの友好関係なども全て世界が調整しているから』
この世界自体が、俺たちに干渉し矛盾や間違いが内容に調整してくるのだ。それは、記憶などの場合は消しさればいい。だけど、もしそれが実在する存在であるならば、実際に何かを使って消さなければならない。
聖女。俺たちはその存在を魔王を封印するために生まれた神秘的な存在だと考えていた。だが、そうじゃなかった。そうじゃなくて、本当は逆だったんだ。
魔王こそが聖女を消し去るために生まれた世界の化身であったんだ。
夏希は、おそらく一人でこの事を抱え込んでいたのだろう。
こちらの世界に来て、いなくなることがよくあった。
それは、この世界の文献を読んで、世界が救われた時の記述を読んでいたのだろう。
そして、一人でその答えに至って、一人で苦しんで……。
聖女という存在は魔王を封印する能力を持っているだけで魔王を倒すための存在ではなかった。
俺は、夏希を見た。
同情なんて言葉で表せないほどの、愛おしさが身体の奥底から湧き出るように俺を満たしていく。
何か、言ってあげなければ……。
俺は声を振り絞った。
「つまりお前、は……おまえは」
ダメだ、ここは我慢しなければ。俺のこの気持ちの何倍の決意でこいつは俺に向き合ってくれていると思ってるんだ。コイツの気持ちを無駄にしちゃダメだ。
俺は自分の下唇を噛み締め……血が出ても構わず、必死に我慢をして言葉を紡いだ。
「俺たちの、為に……お前は……」
ダメだ、ごめん。
「死ぬため、に、うま……うまれ、たって……のか?」
瞳から溢れ出す。
俺は、この世界に来て初日に泣いていた。
あれは、本当は世界を救えなかった自分の弱さと仲間、夏希への申し訳なさで泣いていたんだって事に今気がついた。
だけどコイツは今、そんな俺とは比べ物にならないほどの決意をして……。
笑っている。
なんて、強い子なんだろう。
なんて、優しい子なんだろう。
なんて……なんて……
愛しいんだろう。
俺は心の底から湧き上がってくるこの感情を抑えることが出来なかった。
こんなタイミングで、こんなところで、するべきものじゃない、だけど……。
気が付いたときには夏希の唇に俺は自分の唇を当てていた。
夏希は一瞬だけ驚いた顔をしたけど、すぐに微笑んで、瞳を閉じてくれた。
男の俺が号泣して、夏希が笑っている。
なんて、なんて、不格好なキスなんだろう。でも、それでも今の俺たちにふさわしいキスだった。そんな気がする。
何分こうしていただろうか。
永遠とやっていたようにも感じるし、刹那のときだったようにも感じる。
「ありがとう」
唇を話したあとに先に口火を切ってくれたのは、夏希だった。
「いや、こんなときにゴメン……。ありがとう」
俺が黙ると、夏希は少しおどけたように言った。
「あーあ、まさかこんな異世界ともよくわからないところで、春人くんにファーストキス奪われるとはなー」
「おい……まぁ、それは、申し訳ない」
俺はあの世界では夏希の手を握ることすらしなかった。
そんなことをする場合じゃないって思ってたし……だけど。
「もっと、色々しておけばよかったな……」
俺が真面目にそう呟いたのに、
「……春人くんのえっち」
よくわからない返しをしてくる。
こんななんでもない日常が本当は一番欲しかったのかもしれない。
「ねぇ、春人くん」
「ん?」
俺がぼーっと考え事をしていると、夏希は真剣に尋ねてきた。
「一番大事なもの……生きている間で、一番大切なものってなんだと思う?」
大切なもの。人が望むものは多くある。
お金、時間、地位、名誉。だが、最後に俺たちが望むものはそういうものではないだろう。
俺は自分の中で答えを出したあとに、言った。
「想い……だと思う」
「想い……」
俺の言葉を反芻する。
「能力とか金銭的な裕福さだとか……本当にたくさんの、人が欲しがるものが俺たちの世界にはある。俺はどの考えも否定しないし、お金が大切だと考えて実践しきっている奴も立派だと思う。もちろん、時間とかも含めて他のものもな。だけど、時間なんかは特にそうだと思うけど、寿命が長ければいいのか? 本当にやりたいこと、やるべきことを見つけられずにのうのうと長く生きるぐらいなら、俺は例え今死んでも、俺の望むようにして死にたい」
俺のその言葉を目を閉じてゆっくりと、まるで心に染み込ませるようにして聞いている。
俺は少しだけ照れくささがあったが、少しでもこいつに多くのことを伝えてあげたかった。
「だから俺は、想いっていうのをいつでも大切にしている。俺がそうしたい、それが必要だって心の底から思えるんならその行動は常に行う」
俺がそう返事をした後少しの間沈黙が続いた。
少し、恥ずかしかったな。
そんな事を思い始めていた俺に、夏希は小さな声で言った。
「やっぱり春人くんはカッコいいや」
そして両目を開けたかと思うと、元気よく両手をパシッと叩いて言った。
「よし、じゃあそろそろ行こっか!」
「おお、もう……行くのか」
俺がその決意の速さに少したじろぐと、笑って言った。
「大事なのは、時間の長さじゃないでしょ」
俺はその言葉に笑顔で返し、初めて彼女の手を握った。
「さぁ、行こう。俺たちの仲間を救いに」