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周りから、声が聞こえてくる。
「きゃー、どうしよう! 春人くんがいる! なんか、眠そうだし、大丈夫かな? 移動するときに失敗しちゃったのかな?」
ああ、これは……初めて会った時か。そうか、この日が俺たちのスタートだったんだな。
「ふふー、春人くん知らないだろうけど、私たち姉弟っていう設定なんだよ。変な感じだよね。私たち、付き合ってたのに」
これは、もしかしてその時に夏希が持っていた感情か。だとしたら、今のは?
「はー、春人くん、また他の女の子とお話してるよ。せっかく一緒にいれるのになー」
俺が蒼井たちと会話していたときや、その時々の瞬間が、映像が頭に流れ込んでくる。
そのどれもが、夏希が俺の事を考えていてくれた瞬間だった。
「あと一日かー。……うん、でも春人くんには本当のことは言わないほうがいいよね。春人くん優しいから、きっと私に同情しちゃう……」
これは……昨日の夜の記憶か? 何も、悩んでる素振りはなかったのに……。一体何で悩んでるんだ?
『この世界で、あなたは生きていって』
「春人くんはもう十分に頑張ったもんね。この世界が好きになってくれて良かった。あとは私一人で頑張ればいいもんね。……今まで、好きでいてくれてありがとう。春人くんが私を忘れても私は忘れないから。ずっと、好きだから。この世界でも、魔王のいた、あの世界でも」
ああ、やっぱり、お前は……。
急激に意識が覚醒していく。
気がつくと、さっきいた場所で目を覚ました。どうやら、現実の世界に戻ってきたようだ。
夏希の息が乱れている。相当な魔力を消耗させてしまったんだろうか。
呼吸を整えてから、夏希が声を発する。
「見た……よね?」
それが今の世界を意味することは俺にもわかる。
「ああ、見た」
俺の返事を聞いて「そっか」と小さく呟いた。
しばらく沈黙が続き、俺から口火を切った。
「やっぱり……お前は、夏希、だったんだな」
俺がそう尋ねると、今まで作ってきた仮面が崩壊するように、昔の二人でいた時の夏希に戻っていた。
「……うん」
「なんで、黙ってたんだ?」
「だって、きっと春人くんは躊躇うから」
「躊躇う? 何をだ?」
「……」
夏希が言いたいことは俺にも伝わっていた。だけど、俺はもうやるべきことを決めていた。
俺の気持ちはもう十分に伝わっているであろう夏希は、そっと俺に質問をした。
「記憶、どうしたい?」
もう時間がないのは俺が一番よくわかっている。だから俺は、少し焦り気味に返答していた。
「夏希、俺の記憶を、無くさないでくれ」
「わかった。春人くんが決意してくれたのは、私の心の声に同情してくれたわけじゃない……というのは、目を見ればわかった」
「ああ」
俺はその言葉に応じる。
だから俺はさっき、二人にお別れを言ってきた。
おそらく、この記憶を忘れるのを止める、という作業は世界の潮流に逆らうことになる。だとしたら、何かしらのリスクは承知だ。
俺がどれだけ苦しくなろうが、構わない。こいつが今生きていてくれてるんなら。
「だから、私も決意するね」
そう言うと、彼女の足元に今まで見たことのないほど大きな魔法陣が現れた。だが、周りの人達は誰も気付いていない。パレードに気を取られているのか、それとも……。
「今から起こることは全て真実だよ。そして、私が、私たちがこの世界に来た理由も全て教えるね!」
「ああ!」
返事をした瞬間、俺は強い光に飲み込まれていった。
気がつくと、今度は先ほどの何もなかった世界とは打って変わって、巨大な城のような場所の中にいた。いや、正確には俺は透明になって宙に浮いているので、「いる」という表現が正しいのかはわからないが。
まるで、幽霊にでもなった感覚だ。
周りを見渡すと、ちょうどフロアの中心部に、醜い光を放ち、全てを飲み込もうとしているかのような雰囲気を醸し出している紫色のオーブが浮いている。
「あれは……」
俺が言葉を続けようとした瞬間、入口から数名の冒険者たちが入ってきた。
巨大な大剣を持った男、双剣使い、ヒーラーの聖女、アーチャー、ランサー、魔術師……全ての要素を一通り揃えた理想的な隊だった。だが、その前衛にいたやつを見て得心がいく。そこには、まさに俺が立っていたからだ。
この世界において「最強」とまで言われた俺たちの隊の最終決戦のまさにその瞬間だった。
◇◇◇◇◇
俺たちが扉に入った瞬間、入り口のドアは締まり、そこから大量の魔物が現れる。
それを見た俺たちは極めて冷静に、前衛と後衛を夏希を中心に円のような形で配置させた。奇襲を受けたときなど、相手が正面から向かってこない時の俺たちの基本の陣形だったからだ。
俺たちはものの数分でそこにいた魔物たちを全滅させた。だが、待つ時間もないほど一瞬で、そいつらは再び初めの数倍の数をなして湧いてきた。全滅させても出てくる、いわゆる俺たちを消耗させるためだけの存在のようだ。
「おい、こいつらは一体どうすればいいんだ?」
俺が叫ぶ。
「わかんねーが、ひとまず片付けながら考えるしかねーだろ! 今まで誰もこの場にたどり着いたことがねーんだから」
ランサーが応じた。
確かにその通りだ。だからこそ、たどり着ける可能性の低いこの局面だからこそ、俺たちがやり遂げなくちゃいけない。みんなを守るために……!
と、その時、アーチャーが中心部を指差した。
「あのオーブに攻撃を仕掛けるんだ!」
全てを射抜く必中の眼を持った彼女だ。きっと、何かを感じ取ったのだろう。
「よし、前衛は俺に続け!」
俺立ちは走り出す。
中心に向かうに連れて大量の敵が現れるが、もはや俺たちを阻めるものは無かった。大量の敵をなぎ払い、俺たちが多少のミスをしても後衛がカバーをしてくれる。お互いがお互いを完全に信頼し合っているからこそ行える特攻だった。
「もらっったぁーー!」
俺は右上段から斜め左に剣を振り、中心部にあったオーブをついに切り裂いた……つもりだった。
「え?」
俺に続いていた奴らも驚いていた。今まで全てのものを切り裂いてきた俺のひと振りで全く傷ついた様子がなかったからだ。
その一瞬の隙を付いて魔物が俺に押し寄せてくる。
「危ない!」
アーチャーが間一髪の所でそいつらを仕留めてくれた。
「気を抜くな!」
俺はその一言で意識を戻し、大きくバックステップをして体制を立て直した。
……だが、どうすればいいんだ。
今まで誰も辿り着いた事のない決戦、故に魔王の出現方法については何も情報がなかった。俺たちが持っている情報は……。
もしかして。
俺がその思考にたどり着いたのと同時に後衛の夏希から俺に直通のリンクが届いた。
「春人くん、もしかして……」
「ああ、おそらく、俺も同じ考えだ。ひとまず試してみてくれ!」
俺はそのまま後衛の布陣まで戻って来、夏希のサポートに回った。他の仲間たちも俺の行動を見て、それに合わせるように移動してくれたようだ。
サポートに回って間もなく、詠唱を唱え終わった夏希から声が発せられた。
「セイクリッド・ライト!」
フロアすべての魔物に対して聖なる光が発せられる。基本的にこの攻撃にはダメージがなく、確率で悪しきものを浄化するためだけの技だ。そのフロアにいた二割程度の魔物が浄化されて消えていった。
だが、狙いはそこではない。
フロアの中央ではオーブが反応を示し、紫の光が強く放たれた。
そして、気づいた次の瞬間には、文献で見たままの禍々しい姿をした魔王の姿がそこにはあった。
「よし!」
俺たちの狙いは、聖女である夏希の攻撃をぶつけることにあった。封印が聖女のオーブでしか出来ないのであれば、出現もその方法であると考えたためだ。
セイクリッド・ライトを使用したのはただ単にあの攻撃が必中であるという事を利用しただけだ。効果の発動は確率だが、それは気にする必要がなかった。
「……さて」
想像を絶する大きさ。青紫色の体躯をし、まさに悪魔と呼ぶにふさわしいその風貌。また頭部からはねじれた巨大な角が生えている。
俺たちは一度同じ場所に集まり、体制を立て直しに戻った。
完全に未知な存在。何が起こるかわからない。まずは仲間たちと動きの確認を……。
そう思った瞬間、俺たちに声がした。
「ここまで来たか」
「!?」
全員が硬直した。
俺自身も何が起こったのかわからず、すぐに反応することが出来なかった。
かろうじて最初に声を出したのは、アーチャーだった。
「しゃべ……った?」
「ああ、確かに今……」
ランサーがそう続いた。
「なんだ、余が話すことがそれほどおかしいか?」
こいつは……。
「お前……知性を持っているのか」
「ふん、当たり前であろう」
俺の質問に即座に応えた。やはり、そうか。いや、魔物たちを操り、俺たちを襲わせていた時点でその程度の可能性はもちろんあった。だが、今まで出会ったどの存在も「会話」を出来る存在などいなかった。
間違いなくコイツは最大に危険な存在であると、本能が告げていた。
「ここまで辿り着いた人間はお前たちが初めてだ」
「ああ、当たり前だろう。お前がまだ生きているんだから」
俺のその言葉に、喉の奥から出しているような、笑い声が発せられた。
「貴様……中々面白いな」
「ありがとうよ! さて、お喋りはこの辺で、そろそろ決着をつけようぜ!」
俺はそう叫び、仲間たちに合図を送った。すぐさま魔王を円形に囲む。
だが俺たちのそんな様子を全く微動だにせず眺めていた。
「勇ましいな、勇者よ」
「まだ、話すことでもあるのか」
「……貴様たちは、なぜ余を殺しに来たのだ?」
「……は?」
何を言っているんだ、コイツは。自分が今まで何をしてきたのかわかっているのか。
母さんを含め、俺の身内は全滅させられ、仲間たちだって俺と似たような境遇だ。知性を有しているコイツがそれを理解していないはずがない。
「貴様たちが……」
魔王が何かを告げようとしたとき、魔王の首筋に一本の光の矢が突き刺さった。俺が放った存在に視線を向けると、そこには明らかな怒りを見せたアーチャーが弓を放った体制で立っていた。
「……御託はいいから、さっさと死ね!」
ランサーも含め前衛組はそのまま魔王の足元まで詰め、攻撃を開始する。事実、この瞬間に本当の最終決戦が開幕した。
俺はすぐには飛び出さず、後陣の盾をしながら戦略に思考を走らせた。
仲間たちの攻撃は魔王の巨躯のあらゆる場所に命中していた。そのどれもが致命傷にはなりえないだろうが、少しずつ弱らせていっている事は感じられた。
おそらく、長期戦になる。俺は素早く指示を出し、前線にダッシュで加わった。
そこからは、本当に長かった。一体何時間たったのかもわからないほど、俺たちは一進一退の攻防を繰り返していた。仲間たちも全員疲労を蓄積し、今まで集めてきた全てのアイテムもすでに使用しきっていた。
だが、どうしても最後の一撃が決めきれない。
くそ……何が足りないんだ。
俺は心の中でそう呟きながら、もう一度魔王についての情報をまとめた。
確か文献に記されていたのは、魔王の封印を成功させるには聖女のマナが必要だということだけだ。そして、封印は倒したあとに現れるオーブに向かってしなければならない。肉体は通常の攻撃でも破壊できるがオーブを最終的に破壊しなければ……。
いや、待てよ。一番初めに俺が攻撃を加えた時には確かに反応はなかったが、夏希の魔法にだけは……。
いつも通り仲間の回復を最優先で行っていた夏希に向かって言った。
「夏希! もう一度最初に使った魔法をやってくれ!」
俺のその声に少し驚いた顔をしたが、すぐに引き締めなおすと頷き、詠唱に入った。
オーブが反応を示すのは夏希の攻撃だけだ。そして、そのオーブを発見して直接夏希のマナをまとった攻撃を与えることができれば……!
夏希からの合図が入ると、俺は急いで仲間たちに向かって叫んだ。
「全員、後退!」
全員が俺の声に反応し、即座にバックステップを取ったその刹那、再び夏希の声がフロアに響いた。
「セイクリッド・ライト!」
全てを包み込む眩い光が魔王の身体を包み込む。魔王は即死の効果が幾何に存在なので効果は確かにない……が。
その時、魔王の下腹部に一際大きな紫の光を放つものがあった。
……あれだ!
俺はそこに向かって走り出した。
「夏希、お前のマナを俺の剣に!」
「うん!」
俺は眩い光に一時的に停止していた魔王の懐へ飛び込んだ。
これで、終わりだ。
「うぉぉおぉぉおおおおお!!!」
◆◇◇◇◇
そして、最後の瞬間が来た。俺の大剣があいつの懐を貫いたのだ。
仲間たちはその瞬間を息を飲んで見守っていた。俺は今、俺自身が過去に経験した事実を極めて客観的に見ていた。仲間たちは、俺の一撃によって魔王が滅びたとわかると一瞬嬉しそうな顔をしたが、すぐに暗い表情に戻った。聖女―夏希が前に歩き出したからだ。最後の封印の瞬間だ。
俺は咄嗟に目を逸らしたい衝動に駆られたが、夏希が与えてくれた瞬間を一秒でも逃してはいけないと思い、その情景に視線を向け続けた。
そして、聖女は言った。
「私を、殺して」
◇◇◇◇◇
俺は黙ったまま彼女から目を逸らした。
俺がここで魔王のオーブを破壊する事は確かにこの世界を救うことになる。だが、それは聖女である彼女を殺すことと同義だ。なぜなら、聖女のオーブを纏った勇者の剣でのみ魔王のオーブは破壊することが出来る、と定められているからだ。
……できない。
世界を救うために最愛の人を殺すということは、正しいことなのだろうか。
いや、正しい正しくないの問題ではない。俺は純粋に心から、その行為を行うことを拒絶してしまっている。
それほどまでに、彼女のことを愛してしまっていた。
「俺は……」
俺の震える手を両手でそっと包んで、彼女は言った。
「あなたなら……ううん、他の誰でもない、勇者であるあなたにしかこれは出来ないこと。だから……」
「違う! そうじゃないんだ!」
そんなことはわかっている。だけど、俺が聞きたいのは……。
俺は剣から手を離し、彼女の両肩を掴みながら言った。
「お前は、本当に……本当にこれでいいのかよ!? 大丈夫なんて……なんでそんなに平然としてられるんだよ…………俺は、お前が一言、死にたくないって言ってくれたら……お前のためなら――」
「――っ!!」
パシッ。
突然俺の頬に衝撃が走った。何が起こったのか、彼女の声を聞くまで、俺にはわからなかった。
「しっかりしなさい!」
彼女は俺をビンタした手をもう片方の手でそっと触れながら続けた。
「……お願いだから、わたしの決意を……想いを、無駄にしないで」
そして、初めて見た涙だった。
「わたしは、あなたがいる世界だから……だから、守りたいって想ったんだよ。ずっと嫌だったこの聖女という立場も、あなたと出会えたから、よかったって想えたんだよ。だから……」
今まで一度も見せなかった弱さ。……いや、そうじゃない。
俺はなぜかこの時に悲しみと同時に安堵を感じていた。
きっと俺は、彼女が使命感だけで命を賭けようとしているかもしれない、という部分が嫌だったんだろう。彼女がそうではなく、心から言ってくれているんなら、俺は……。
俺は彼女をまっすぐに見て言った。
「わかった」
剣をゆっくりと握り、マナを少しずつ纏っていくイメージをした。そして、俺は聖女の命の証であるマナを一度切り裂いた。
仲間たちも息を飲んで見守っている。
これが、「彼女を殺す」という意味につながるからだ。
彼女はそっと「ありがとう」と呟き、マナの供給がなくなった身体で詠唱を始めた。
俺は前を向き直し、自分に言い聞かせる。絶対に無駄にはしないと。
俺の剣が優しい光に包まれてくる。それは、全ての邪気を祓うような神秘的な光だった。
俺は、今から魔王を封印する。
……ただ、これだけは許して欲しい。
強がって見せていた勇者らしい顔はもう消え去り、ひたすらに流れる涙を止める事は出来なかった。
俺はゆっくりと魔王のオーブに近づいていきながら言葉を紡いだ。
「きっと、いつかまた会おう!」
静かにオーブの前で停止する。
「俺たちは絶対に、また会える! ……例えそれが」
右手に持っている剣を後ろに引く。
「この世界じゃなかったとしても!」
大きく叫びながら剣を振るう。
オーブと金色の光を帯びた剣が接触をした瞬間に信じられないほどの光の粒子が飛び散った。それから、紫色の魔王のオーブにはヒビが入り、一気に砕け散った。
砕ける瞬間、一瞬だけ彼女の笑顔が見えた気がした。
◇◇◇◇◇
ここまでが、俺の記憶に残っていた欠片の部分だ。
ここから先は、そもそも俺の今の記憶に残っていない仮の記憶の部分。仮の未来の姿。だけど、俺は見る必要があると感じた。きっとそこに俺たちが空間を移動した秘密が隠されているから。
だから……