第8話 安全のための解体
安全工事は、安全確認が終わる前に始まった。午前六時四十分。監理庁の中止命令が現場へ届く二分前、グランドアークの作業班が転移中継器の基礎固定具を外した。
魔力圧の均衡が崩れた。東三層全体が、獣のように低く鳴った。
「全作業員、退避!」
白峰朱莉の声が区画放送へ響く。保全のため早朝から待機していた第五救難班が、工事区画へ突入した。黒瀬と環は監理庁の立会室にいたが、最初の揺れで天井の照明が落ちた。
『中央通路崩落。作業員六名、探索者四名が区画内に残留!』
黒瀬は設備図を床へ広げた。
「固定具を外す順番が逆です。中継器が支えていた魔力流が、北側の空洞へ集中している」
『予測範囲は』
「三分以内に第二崩落。東西の退避路が同時に落ちます」
『止める方法は』
環が制御記録を開く。
「中継器を再起動すれば、流れを戻せます。でも工事班が制御核を抜いてる」
黒瀬は立会室の壁へ手を当てた。この区画には、過去の現象が残っている。半年前の小崩落時、転移中継器が一度だけ非常再接続された。その入力を限定再演すれば、制御核がなくても過去の接続状態を数秒間だけ戻せる。
「中継器を再演します。接続が戻る間に、内部記録を吸い出せる」
「魔力流も止まる?」
「一時的には」
環が転送ケーブルをつないだ。
『西通路、崩落開始!』
画面に、作業員たちが映る。朱莉の結界が落石を受け止めていた。透明な天井に亀裂が走る。十人を二つの退避路へ分けようとしたところで、両方が塞がれた。北側では若い作業員が倒れていた。外した固定具が脚へ落ち、動けない。二人が両脇から抱えたが、曲がった足場に靴が引っかかる。
「置いていってください!」
作業員が叫んだ。
「固定具を外したの、俺です。俺が順番を確認しなかったから」
「反省は地上でしてください!」
朱莉が結界を片手で支え、もう一方の手で固定具を持ち上げた。救難隊員が作業員の脚を抜き、止血帯を巻く。
『東側、魔力火災!』
退避路の一つへ青い炎が走った。探索者が水術を放とうとする。
「使わないで! 蒸気爆発になります。結界の内側へ集まって!」
現場映像だけ見れば、通路はまだ残っている。だが朱莉は壁の振動と炎の色から、その先の空洞まで熱が回ったと判断していた。
十五秒後、その通路が内側から爆ぜた。黒瀬の予測だけで救助が進んでいるのではない。現場で変化する危険を読み、人を動かしているのは朱莉だった。
「負傷者一名、搬送に二人必要。三分では退避できません」
環が残り距離から計算した。中継器の再演で魔力流を戻せても、安全な時間は推定十二秒。負傷者を残さず二本の退避路へ分ける案は、すでに成立しなくなっていた。
『黒瀬さん、防災結界は動かせませんか』
区画の中央には、大規模災害用の防災結界がある。しかし制御核を抜いた影響で、こちらも停止していた。黒瀬は結界塔の残響を探った。二年前の地震で一度、実際に作動している。区画を覆い、落石の方向を外周へ逃がした強い現象。
再演できる。
中継器を再演すれば、強制転移とノイズアンカーの接続記録を確保できる。魔力流も数秒戻るが、その間に全員を退避させられる保証はない。防災結界を再演すれば、十人の上に安全な空間を作れる。だが中継器は次の崩落に呑まれ、記録も接続部も失われる。
二つの残響は、同じ魔力基点を使う。
両方は選べない。
「中継器の再演準備、完了」
環が言った。転送画面には、事故当日の未整理ログ領域が表示されている。あと一度、入力を戻せば取れる。
『結界、残り二十秒!』
朱莉の膝が床についた。作業員が、頭上の結界を両手で支えようとしている。意味のない動作だった。それでも、朱莉一人へ重さを負わせまいとしていた。
黒瀬は中継器の転送ケーブルを抜いた。
「防災結界を再演します」
環が振り向く。
「記録は失います」
「はい」
「城戸につながる物証です」
「十人が下にいる」
黒瀬は測定杭を結界塔の基点へ打ち込んだ。
「白峰隊長。全員を中央の白線内へ」
『聞こえました。必要時間は』
「十秒」
『八秒で集めます』
朱莉は自分の結界を傾けた。落石の流れを片側へ誘導し、その隙に作業員と探索者を中央へ走らせる。
一人が転んだ。朱莉が戻り、襟をつかんで引きずる。
『全員、白線内!』
黒瀬は二年前の残響へ触れた。
地面が持ち上がる感覚。
天井が割れる音。
結界塔へ非常電源が入り、区画全体を覆う半球が展開する。
その中から、結界の作動だけを現在へ引き戻す。
測定杭が砕けた。
白い光が、工事区画を包む。
直後、第二崩落が起きた。何千トンもの岩盤が落ち、防災結界の表面を流れていく。中継器が基礎ごと折れ、黒い杭の導線も制御路も、岩の下へ消えた。結界の中心で、朱莉が十人を数える。
「一、二、三……十。全員います!」
黒瀬には、その声が水の底から聞こえた。
強すぎる現象が、神経を逆流する。
右の視界が黒く欠けた。
鼻血が床へ落ちる。息を吸うたび、胸に鋭い痛みが走った。結界塔の破片が飛び、肋骨に当たっている。それでも、再演を切らなかった。
「退避路が開くまで、四十秒」
自分の声かどうかも分からない。
「三十九」
環が背後から黒瀬の身体を支えた。
「数えるのは私がやります。あなたは結界だけ」
朱莉たちが落石の止んだ南側へ移動する。
最後の一人が白線を越えた。
黒瀬は再演を解除した。
防災結界が消える。
同時に意識も途切れた。
***
黒瀬が次に目を開けたとき、救難用担架の上だった。右目には遮光布。胸は固定され、呼吸が浅い。
「全員は」
最初に出た言葉へ、朱莉が答えた。
「生きて帰しました。作業員六名、探索者四名、救難隊員五名、技術顧問一名」
「私はまだ帰っていません」
「担架で帰宅途中です」
朱莉の頬にも切り傷があった。
「中継器は」
「完全に埋没。接続記録は回収不能です」
黒瀬は目を閉じた。選び直せたとしても、同じ選択をする。だが失った証拠の重さまで、軽くなるわけではない。搬送車の画面では、城戸が緊急声明を出していた。
『資格停止申請中の黒瀬氏が無謀な能力使用を行い、工事区画の魔力均衡を破壊した可能性があります』
「工事が原因ではないと?」
記者の問いに、城戸は沈痛な表情を作った。
『原因は監理庁の調査を待ちます。ただ、現場で独断の魔術が使われたことは事実です』
環が画面を消した。
「見なくていいです。それより、崩落直前に工事命令パケットを拾いました」
黒瀬は左目を開ける。
「署名は」
「管理者識別番号、KD―01」
環は保存済みのパケットを見せた。
「城戸統吾、本人の番号です」




