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金さえ積めば、この国をデバッグしてやってもいいが? ~守銭奴ハッカーの国家再起動~  作者: おぷっち


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ゼロ・アワー

ガァン! 鈍い衝撃音がアジトの強化扉を揺らし、天井からパラパラとコンクリートの粉塵が舞い落ちる。非常用電源が供給する頼りない光が、俺の顔を青白く照らしていた。


「突入まで、残り六十秒!」


扉の向こう側から、拡声器を通した黒田健の冷静な声が響く。まるで死刑執行のカウントダウンだ。モニターの隅に表示された時計の数字が、無慈悲に時を刻んでいる。


「雨宮さん……!」


受話器の向こうで、桜井美咲の息を呑む音が聞こえた。物理的な拘束と、プランZ実行のタイムリミット。二つの破滅が、秒単位で俺に迫っていた。

ジンへの復讐心。桜井を道連れにする罪悪感。過去のトラウマが呼び覚ます恐怖。脳内でいくつもの感情がせめぎ合うが、俺の口から出た言葉は、どこまでも冷徹だった。


「パスワードは『リデルの涙』。間違いないな?」

「……はい」

「壊して、再生リブートする。それが一番効率的だ。やれ、桜井! 躊躇うな、もう後戻りはできない!」


俺は吼える。それは彼女にではなく、過去の裏切りに震える自分自身に言い聞かせるための言葉だった。


安全な別拠点にいるはずの桜井の、震える呼吸が回線越しに伝わってくる。彼女は、正義の番人としての自分を、今、この手で殺そうとしているのだ。


「私は……今日、全てを殺すんですね。秩序も…過去の自分も」


震える声で彼女は呟いた。脳裏に浮かんでいるのだろう。三年前、婚約者を『オペレーション・ラグナロク』で奪ったあのサイバーテロの惨状が。ここで何もしなければ、また同じ悲劇が、いや、それ以上の混沌が世界を覆う。その絶望が、彼女の指を動かす最後の引き金となった。


ディスプレイに映るターミナル画面で、パスワード入力欄にアスタリスクが並び、最後の文字が打ち込まれる。

彼女の指が、エンターキーの上に静止した。


その瞬間。


ズガアァァン!


凄まじい爆音と共に、アジトの強化扉が内側へ向かって吹き飛んだ。閃光が目を焼き、轟音が鼓膜を突き破る。俺は咄嗟に身を伏せ、熱風と破片から頭部を庇った。

煙と埃が舞う中、黒い戦闘服に身を包んだ黒田の部隊が、雪崩れ込むように突入してくる。


「雨宮零! 確保しろ!」


怒号が飛び交う。だが、俺は顔を上げた。銃口がこちらを向くのも構わず、ただ目の前の巨大モニターの変化を、食い入るように見つめていた。生存本能より、ハッカーとしての矜持が勝っていた。


世界中の金融市場を示す、真っ赤なチャートが、一斉に砂嵐のようなノイズに変わる。

東京、ニューヨーク、ロンドン。あらゆる市場の暴落を示すアラートが狂ったように鳴り響き――次の瞬間、その全てが、音もなく消えた。


ブラックアウト。


世界は、死んだ。


鳴り響いていた全てのアラートは止み、アジトを支配していたのは突入部隊の荒い息遣いと、モニターが沈黙した不気味な静寂だけだった。俺は自らが引き起こした世界の『死』を目の当たりにし、その漆黒の画面に映る自分の顔を見た。そこには何の感情も浮かんでいなかった。背徳的な高揚感も、絶望的な空虚感すらも。


「動くな!」


冷たい銃口がこめかみに押し付けられ、俺はゆっくりと両手を上げた。部隊員たちが俺の動きを封じる。勝ったのか。負けたのか。それすらも分からない。


その時だった。完全に沈黙したはずのモニターの一つが、不意に点灯した。

そこに浮かび上がったのは、見慣れたドクロのマーク。そして、タイプライターで打たれるように、一文字ずつメッセージが現れる。


『まだ俺のゲーム盤の上だ、ゼロ。お前が使ったそのコード、覚えてるか?』


脳を殴られたような衝撃。

そうだ。このプランZの根幹を成すアルゴリズムは。市場の取引システムに汚染を拡散させる、その美しいまでに破壊的なコードは。あれは、三年前の『オペレーション・ラグナロク』よりも前に、まだ互いを信じていた頃に、俺とジンが共同で開発したものだった。

分かっていたはずの罠。だが、その本当の毒は今、この瞬間に牙を剥いたのだ。俺は、俺自身の過去に撃たれた。戦慄が背筋を駆け上った。


時を同じくして、別のモニターが緊急会見の映像を映し出した。総理官邸の会見場に立つ、鷹司早紀の姿。

「たった今、我が国の金融市場を含む全世界の市場機能が、大規模なサイバーテロにより完全に停止しました」

彼女は冷静な声で語る。

「これは未曾有の国難です。しかし、政府はこの事態を想定していました。これより、国民の皆様の全金融資産を国家の保護下に置き、安全に管理するための新システムを起動します。これは破壊ではありません。新たなる日本のための『創生』です。プロジェクト『GENESIS』、本日をもって発動します」


そうか。俺の破壊すら、この女の計画のための『整地』に過ぎなかったのか。国家予算の0.1%という破格の報酬も、全ては計算の内。俺の過去と能力を詳細に把握した上で、この筋書きを描いていたというわけか。クロノスも、ジンも、そしてこの俺も。全てが鷹司の掌の上で踊らされていた。国家にさえ、裏切られた。

俺の唇から、乾いた絶望的な笑いが漏れた。


「連れて行け」

黒田の冷たい命令が下る。両腕を掴まれ、引きずられるように立たされた、その寸前。


俺は最後の思考を振り絞り、足元の床を強く蹴りつけた。

ガコン、と音を立てて隠しパネルが外れる。この『城』を構えた初日に、最悪の事態を想定して仕込んだ脱出ルートだ。本来は大型サーバーを搬出入するための垂直リフトシャフトだが、裏の業者に大金を掴ませて緊急脱出用に改造させていた。費用は嵩んだが、こういう時のための保険だった。

躊躇は一瞬もなかった。俺は暗く、口を開けた緊急廃棄用のシュートへと身を投じる。


「待て!」


部隊員の怒声が遠ざかる。桜井との通信は、もう聞こえない。

俺は再び、ただ一人の孤独な逃亡者となった。


埃と汚臭に満ちた地下道を、俺は一人、よろめきながら進む。

世界を壊し、国に裏切られ、仲間もいない。全てを失った。合理的な判断など、もはやどこにも存在しない。


その時、ポケットの奥で、アンナ・ベルから渡されたあの忌々しいスマートフォンが、一度だけ静かに振動した。

通常の回線は死んでいる。だが、この端末だけは別だ。

震える手で取り出し、画面を見る。

暗号化されたメッセージ。本文は、一言だけだった。


『次のステージへようこそ、ゼロ』

ふざけるな。

心の中で吐き捨てた言葉は、音にはならなかった。ステージだと? 俺の人生を、俺たちの戦いを、まるで盤上のゲームか何かのように語るな。

怒りに任せて端末を壁に叩きつけようとして、寸でのところで思いとどまる。これが唯一の外部との接点になる可能性を、まだ捨てきれなかったからだ。アンナ・ベルの掌の上で踊るのは癪だが、情報がないままでは犬死にするだけだ。その程度の合理性は、まだ俺の中に残っていた。


「ゼロ」。

久しく忘れていた、あるいは忘れたふりをしていた呼び名。全てを失い、何者でもなくなった俺への、的確すぎる皮肉か。あるいは、彼女なりの歓迎の挨拶のつもりか。どちらにせよ、胸糞が悪いことに変わりはなかった。


アンナ・ベルはどこまで知っている?

黒田の裏切りも、桜井の変節も、全てお見通しだったというのか。俺たちが国家という巨大なシステムの中で駒として使い潰されることさえも、彼女の描いた筋書き通りだったとでも言うのか。

考えれば考えるほど、思考は暗い沼に沈んでいく。一体、誰が本当の敵で、誰が味方だったのか。桜井が最後に何かを言いかけたのは、わずかに残った罪悪感からか、それとも最後の情けだったのか。あの時、彼の瞳に宿っていたのは、本当に俺への裏切りだけだったのだろうか。

いや、もうよせ。感傷に浸っている暇はない。信じた結果がこれだ。ならば、もう誰も信じない。自分自身さえも。


俺はスマートフォンを乱暴にポケットに押し込み、再び壁に手をついて歩き始めた。

地下道はどこまでも続いているように思えた。滴り落ちる水滴の音が、不気味なほど大きく反響する。カビと汚泥の混じった悪臭が鼻をつき、浅い呼吸を繰り返すたびに肺がひりついた。

シュートに飛び込んだ際に打った脇腹が、じくじくと熱を持って痛みを主張し始める。アドレナリンが切れかけた体は鉛のように重く、一歩進むごとに足がもつれた。

それでも、止まるわけにはいかなかった。黒田の部隊が、この脱出ルートの存在に気づいていないはずがない。出口を固められている可能性も高い。だが、ここで朽ち果てるよりは万倍マシだった。


暗闇に目が慣れてくると、壁を這う無数の配管や、時折足元を横切るネズミの黒い影が見えるようになった。かつて俺が守ろうとした世界の、光の当たらない裏側。今やここが、俺の唯一の居場所だった。

世界を壊したのは、俺じゃない。世界が、俺を壊したんだ。

込み上げてくる乾いた笑いを、奥歯を噛みしめて殺す。

アンナ・ベル。黒田。そして、桜井。

一人一人の顔を思い浮かべる。そのたびに、胸の奥で冷たい炎が燃え上がるのを感じた。失ったものはもう戻らない。だが、このまま終わるつもりは毛頭なかった。

彼らが望んだのが『次のステージ』だというのなら、上等だ。

役者不足だろうが何だろうが、最後まで付き合ってやる。


俺はよろめく足に力を込め、暗闇の先を睨みつけた。出口の光は、まだ見えない。だが、進むしかなかった。この汚泥の中から這い上がって、全てを始めた奴らの喉元に食らいつく、その時までは。

ただ、今は生き延びる。それだけが、俺に残された唯一の目的だった。

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