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金さえ積めば、この国をデバッグしてやってもいいが? ~守銭奴ハッカーの国家再起動~  作者: おぷっち


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金こそ正義、国家はバグ

二〇二五年、冬。世界は、悲鳴の上げ方さえ忘れたようだった。

俺の部屋を埋め尽くすマルチモニターが映し出すのは、断末魔のチャート。垂直に近い角度で奈落へ突き進む日経平均株価の赤いラインを、俺は冷めたコーヒーを片手に眺めていた。巷では『タワー・ショック』と呼ばれているらしい。かの大国の大統領が宣言した『全輸入品への一律関税バリア』という名の経済的鎖国政策。その余波は世界を巡り、資源なき貿易立国・日本にとどめを刺した。

街では失業者と物価高騰を嘆くデモが暴徒化し、テレビでは経済評論家どもが「想定外だ」と繰り返す。馬鹿馬鹿しい。これは天災じゃない、人災だ。予測可能なシステムエラー、回避不能なバグの顕在化にすぎん。



「予測可能なバグは、最高のビジネスチャンスだ」



俺は独りごち、最後のエンターキーを叩いた。画面に表示されるのは、天文学的な数字の利益確定通知。この国の崩壊に賭けた巨額の空売りが、今、結実した。無機質な数字の羅列だけが、俺の心をわずかに満たす。

金だけは裏切らない。かつて、病んだ母親と無力な父親が、なけなしの金と共に崩壊していく様を、俺はただ見ていることしかできなかった。あの無力感、飢餓感。二度とごめんだ。だから俺は信じる。人を、理想を、国家ではなく、ただ数字だけを。



その時だった。けたたましいアラートが、俺の思考を遮った。

メインモニターの隅に、見慣れない通信要求のウィンドウが点滅している。通常なら即座にゴミ箱行きだが、俺の指は止まった。そのプロトコルは異常だった。国家最高レベルの暗号化。それも、幾重にも偽装が重ねられている。

無視を決め込み、別の作業に戻ろうとした瞬間、ウィンドウの表示が書き換わった。



『――Firewall Breached. Unit731, Silent.』



俺は眉をひそめた。ユニット731。それはサイバー防衛隊が誇る、対侵入防壁システムのコードネームだ。それを『挨拶』代わりに突破してきただと?

これは単なる通信要求じゃない。挑戦状だ。俺の構築したプライベートネットワークの心臓部、その一歩手前まで、相手は音もなく到達している。

非効率な挑発だが、その技術力は本物だ。予測不能なバグには、解析欲求が疼く。損得勘定を抜きにした、純粋な好奇心。俺の中に唯一残された、人間的な欠陥。

舌打ち一つ、俺は通信を許可した。



「……何の用だ。勧誘なら時間の無駄だぞ」



モニターに映し出されたのは、ノイズの向こうにいる一人の女性だった。年の頃は四十代だろうか。無駄なく切りそろえられた髪、鋭いが感情を読み取らせない瞳。背景から、ここが首相官邸の執務室であることが見て取れた。

そして、その顔には見覚えがあった。連日ニュースで神妙な顔を晒している、この沈みゆく国の船長。内閣総理大臣、鷹司早紀。



『はじめまして、雨宮零。いいえ――お久しぶり、と言うべきでしょうか』

静かで、どこか冷たい響きを持つ声だった。

「人違いだな。俺はただの個人投資家だ」

『その個人投資家が、なぜ国家レベルの防壁を自前のセキュリティに組み込んでいるのでしょう?』



探るような視線。俺は肩をすくめてみせる。

『単刀直入に申し上げます。この国は、あと数週間でデフォルト、国家債務不履行に陥ります』

鷹司は淡々と、まるで天気の話でもするかのように告げた。

「だろうな。優秀な船長のおかげで、見事な沈没っぷりだ」

『ええ。もはや、通常の手段でこの沈没を止めることはできません。議会も、官僚も、もはや機能不全に陥ったバグの集合体です』

「……何が言いたい?」



鷹司はわずかに間を置き、モニター越しに俺の目を真っ直ぐに見据えた。

『国家の存亡に、綺麗事は不要です。雨宮零。あなたには、バグだらけのこの国を…デバッグしていただきたい』



一瞬、何を言われたのか理解できなかった。国家の、デバッグ?

荒唐無稽。非論理的。狂人の戯言だ。

俺は思わず、乾いた笑いを漏らした。

「正気か? 政治ごっこに付き合う気はない。俺の時間単価を理解しているのか、総理大臣サマ」



『ええ、理解しています。だからこそ、あなたに依頼している』

鷹司は俺の嘲笑をものともせず、続けた。その声のトーンが、わずかに、だが確実に変わる。

『三年前の、あの忌まわしいサイバーテロ……『オペレーション・ラグナロク』。あなたは、その中心にいた』



その名を聞いた瞬間、俺の全身の血が逆流する錯覚に陥った。

脳裏に焼き付いて離れない、あの日の光景。鳴り響く警報、飛び交う怒号、そして、信頼していたはずの仲間の、あの裏切りの笑み――。

俺が俺でなくなった、あの日。世界から色が消え、すべてが信じるに値しないガラクタになった、始まりの日。

呼吸が浅くなる。指先が、わずかに震える。

クソが。長年、分厚いコンクリートで蓋をしてきたはずの記憶の澱が、いとも容易くこじ開けられた。



「……何の、話だか」

かろうじて絞り出した声が、自分でも驚くほど上擦っていた。だが、鷹司はそれを見逃さない。

『全て把握しています。あなたの過去も、その卓越した能力も。そして、あなたが何に飢えているのかも』

この女、俺をただの駒として、最初からその掌で転がすつもりだったのか。

俺は深く息を吸い、無理やり思考を冷却する。怒りも、過去も、今は交渉のノイズでしかない。冷静になれ。相手は一国の宰相。感情で動けば食い殺される。

そうだ、これはビジネスだ。いつもの、ただの取引。リスクとリターンを計算し、最大利益を引き出すゲームだ。



「……いいだろう。話だけは聞いてやる」

俺は椅子に深く座り直し、足を組んだ。「ただし、ボランティアじゃない。リスクに見合うリターンを提示しろ」

『国家機密費から、捻出できる最高額をお支払いします』

「曖昧だな。数字で言え」

鷹司は一瞬だけ口ごもる。国家予算というものは、国民の税金で成り立っている。彼女が独断で動かせる額など、たかが知れている。



「この国がデフォルトするより、あんたの財布がデフォルトする方が先なんじゃないのか? 総理大臣」

皮肉を込めて言い放つと、彼女は静かに目を伏せた。だが、それは降参の合図ではなかった。むしろ、覚悟を決めた者の静けさだった。



「いいか。あんたがやらせたいのは、国家の延命措置だ。下手をすれば、俺は全世界のハッカーと、それこそクロノスのような巨大資本を敵に回すことになる。生半可な額じゃ、割に合わん」

俺はモニターに表示された日本の国家予算の数字を睨みつける。百兆円を超える、天文学的な数字。国民一人一人の希望と絶望が積み重なった、虚構の塔。



「いいだろう。金さえ積めば、この国をデバッグしてやってもいい」



俺は、鷹司に向かって宣言した。

これは、俺がこのゲームの主導権を握るための、最初の一手だ。



「報酬は、本年度国家予算の〇・一パーセント。成功報酬だ。支払えなければ、この話は聞かなかったことにする」



〇・一パーセント。

金額にして、千億円以上。

常識的にも、物理的にも、一人の人間に支払われる報酬ではない。ふっかけるにも程がある、狂気の要求。これで怯むか、あるいは激昂するか。どちらにせよ、この交渉は終わりだ。

そう、思っていた。



鷹司は、数秒間、ただ黙って俺を見ていた。表情に変化はない。その底なしの瞳が、俺の覚悟と、値踏みしている俺自身の本質を、見透かしているようだった。

やがて、彼女はゆっくりと口を開いた。



「……分かりました。その条件、飲みましょう」



一切の動揺も、躊躇もなかった。

まるで、近所のスーパーで野菜を一つ買うかのように、彼女は国家予算の〇・一パーセントを、俺に支払うと即答したのだ。



俺の方が、言葉を失った。

なんだ、この女は。この国は、俺が想像している以上に、崖っぷちにいるというのか。

驚愕に目を見開く俺を意にも介さず、鷹司は静かに続けた。



「ただし、あなたには監視をつけさせていただきます」



その言葉と同時に、彼女の背後のモニターに、一人の女性の顔写真が表示された。

凛とした顔立ちの、制服を着た若い女。その瞳には、強い意志と、どこか悲しみの色が滲んでいた。



「サイバー防衛隊所属、桜井美咲。あなたの行動は、全て彼女を通して我々に報告されます。契約の一部です」



国家という巨大な『獲物』を前に、俺は不敵な笑みを浮かべていたはずだった。だが、その笑みは、モニターに映る女の、真っ直ぐな視線によって、わずかに引き攣っていた。

新しいバグの出現は、いつも俺の予測を超えてくる。

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