溺愛オオカミさんは死にたがり!呪いを解くのは愛と弾丸!?
家の前に、大人のひとが落ちていた。
「た、たすけて……」
詳しく言うと、私こと伊座利まどかの家の前に、芋なジャージ姿の女の人が大の字でひっくり返っていた。
「……そこの人、どうかたすけてくださぁい」
「え? えーっ?」
か細い声で助けを求めるその人と目が合っちゃって、困ってしまう私。このままじゃ家にも入れないし、ほっとくわけにもいかないからとりあえず救急車を呼ぼうとしたんだけど、
「待って!」
女の人がゴロン、バタンと寝返りを打って、私のスカートの裾を掴んで止めて来た。思わず震え上がる。
「ひいっ!!」
「病院は結構です……ちょっとお腹が空いて動けないだけなのでぇ……何か食べさせて貰えませんか……? ちょっとした物でいいんですぅ」
「……そうなの?」
手元でダイヤルしかけた119番がもう少しで110番になるところだったけど、女の人の目がポメラニアンみたいにうるうるしていてあまりに可哀想だったので、私は彼女を家に入れてあげることにした。
まさかこれで泥棒なんてことないだろうしね。
「うち、普通の家だから何もないよ?」
「ありがとうございます……大丈夫、ありふれたもので構いません。ありふれた、大皿いっぱいのビーフ炒麺でもあれば……」
しれっと要求デカいなこの人。
〜〜〜
① まず、スーパーで80円だったカップの油そばを普通に2人前作る。
② ごま油をひいた深めのフライパンに、余り物の肉と野菜を入れ、しつこめに炒める。ニラがあればなお良し。
③ そこに油そばの麺をあけ、適当に炒め合わせたら付属のタレを絡める。味が足りなければ鶏ガラスープか醤油を足す。
以上で、お手軽ガッツリ中華風やきそばの完成だ。ママが何もかも嫌な時によくやるメニューを、隣で観察していたのが役に立った。
「できたよ。起きて」
「……はっ!!」
テーブルに突っ伏して微動だにしない女の人の前にやきそばを持って行くと、彼女は音を立てて跳ね起きた。
「なんとジャンクな香り……いただきます!」
手を合わせるや、箸を取って豪快に麺をすすり始める。髪色が薄いから外国の人かと思ったけど、一応日本人なのかな。私はテーブルの向かいに座り、彼女の食べる姿を見守る。
「ん~~〜! 麺はブヨブヨな上に全くタレに絡んでないし、野菜に至っては火が通りすぎて食感ゼロ! でも世界一おいしいです!」
褒めてるのか貶してるのかどっちなの。喜んではくれてるみたいだけど。
「そんなにお腹空いてたんだ」
「はい……お恥ずかしながら。普段あまりお腹は空かない方なんですけど、それだけについ食事を忘れがちでして」
「えっ、倒れるまで空腹に気付かなかったってこと? 何日食べてなかったの?」
「う〜ん、そうですねぇ。最後に食べたのがロンドンのチャイナタウンだから……恐らく2ヶ月ほど!」
なんだそれ。ギャグなのか。どうやら少し変わった人のようだ。
「お嬢さん、お名前は?」
大皿を持ち上げてガフガフ食べながら、女の人が尋ねて来た。お嬢さんて。キザだなぁ。
「伊座利だけど」
「フルネームください。あと年齢と職歴を」
「……伊座利まどか。16歳。高校生だから仕事はしてないよ」
減るもんじゃないから答えたけど、なんか面接始まってる?
「まどかさん……素敵なお名前ですね。恋人って居ますか?」
セクハラ始まってた。
「お迎えはパトカーでいいよね」
「ああああ待って! 今のナシでお願いします」
スマホに手を伸ばす私を、女の人が慌てて制止する。何なのこの人。
「じゃあ、これだけ教えてください。まどかさんは、どうして私を助けてくれたんですか?」
もうとっとと食べてどっか行って欲しいんだけど……彼女の目がちょっと真剣だったので私は無下にできず、プイと目を逸らしてこう答えた。
「別に、助けてって言われたから助けただけだよ。家の前だし、あの場面で無視とかあり得ないでしょ」
その判断を今は1ミリぐらい後悔してるけどね。
「そうですか……」
何やら俯いて考え込む女の人。たっぷりとした前髪が垂れて顔を覆い、彼女の表情は見えない。その状態が数十秒は続いた。
「……あの、私何か変なこと言」
「決めました!」
と、私が沈黙に耐えかねて口を開いたのに被せるように、女の人が顔を上げた。続いて彼女はジャージの懐をごそごそとまさぐって、何やら重みのありそうなものを取り出した。
「これは貴女に託しましょう」
ゴトリ、という音が私の胸に緊張を走らせる。彼女がテーブルに置いたのは、小さくも物々しい拳銃だった。
「申し遅れました。わたしの名前は藤枝玲亜といいます。年齢は232歳。救いを求めてこの世をさすらう、呪われた人狼です」
まるで面接で自己紹介をするかのように明朗な口調で、その人……藤枝玲亜さんは私に告げた。
「伊座利まどかさん、どうかわたしを殺してくださいませんか?」
「やっぱお迎え要るよね」
「待って待って」
再び110番をダイヤルしかけた私の手を、玲亜さんが必死に押さえ込んだ。いや普通に触んないでよ。不同意わいせつ罪がオマケにつくぞ。
「話を聞いてください! 私、殺されなきゃ死なないんです」
「……当たり前のことじゃ?」
「そうではなくて、これと定めた人の手で殺されない限り、何をやっても死ねないんですよ。もちろん、老いや病気も私を死へと導いてはくれません」
老いですら死なないって、さっき年齢が232歳って言ってたのはそういうこと? 永遠に若いまま生き続けるってことなのだろうか。本気で言ってるの?
「一旦それを信じるとして、人狼っていうのは何? お姉さんオオカミ男なの?」
「やだなぁまどかさんてば、それを言うならオオカミ女ですよ。確かにスラッとしてて並みの男よりよっぽど美丈夫だとまで言われたわたしですけどぉ」
ちょっと間違えただけなのにやかましいが過ぎる。私がムカついてスルーすると、玲亜さんは何事もなかったかのように続きを話し出した。
「人狼症は治りません。治るタイプもありますが、わたしのは違う。夜毎にやって来る飢えと渇き、破壊と殺戮の衝動に耐えながら永遠に生きていかなくてはなりません。その苦しみから逃れる方法はただひとつ。それは……」
「それは?」
「わたしのことを心から愛してくれる人の手で、この胸を撃ち抜かれることです」
銃口に見立てた人差し指を自分の左胸に当て、玲亜さんはうっとりした顔でそう言った。
「拳銃返すね」
「待って諦めないで。どうぞそのままお持ちくださいな!」
拳銃を突き返そうとした私の手を玲亜さんが上から包み込み、グリップを握らせて来る。
「だから触んないで……いや力強っ」
椅子から立ち上がった玲亜さんはちょっとした日影ができるぐらい背が高くて、大きな手は指までスラッと長くて……それに気を取られた私は一瞬抵抗を忘れ、しっかり拳銃を握らされた上トリガーに指までかけさせられてしまった。
「お姉さん頭おかしいよ!」
「ええ、仰る通りです。人の身に余る長寿を生きるうちに、もう普通の人間の感覚なんて忘れてしまいましたから」
そういう話ではないんだけどな。
「貴女は優しい方です。見ず知らずのわたしに温かい食事を振る舞ってくれた上に、こうして話まで聞いてくれている。きっと貴女なら、わたしの呪われた身の上も憐れみ、慈しんでくれることでしょう」
「勝手に決めないで。人のことそんなお人好しみたいに言われても、困る」
「あそこで行き倒れていたわたしの前を、何人のひとが通り過ぎたと思います? 貴女だけでしたよ、わたしに手を差し伸べてくれたのは」
「たまたまでしょ……もう、わけわかんないこと言ってないでとっとと帰ってよ!」
と、私が玲亜さんの手を強引に振りほどこうとした瞬間だった。トリガーにかかっていた指が弾みで押し込まれ、カチリという感触と共に撃鉄が倒れた。
パァン!!
乾いた発砲音がして、玲亜さんの体がビクッと震えた。続いて立ち上る火薬の匂い。小さな銃口から飛び出した弾丸は、テーブルから身を乗り出していた玲亜さんのお腹にまっすぐ命中していた。
「えっ……は? 弾入って……え?」
あまりのことに混乱する私。冷や汗やばい。手の震えが止まらない。私、撃っちゃった。わざとじゃないけど、人を撃っちゃったんだ。目の前のこの人を、私は。
「あ、ああ……! こ、殺しっ……」
「心配ご無用ですっ」
と、頭が真っ白になりかけた私の手を、玲亜さんがぎゅっと握った。
「ぎゃあああああああああああああ!!」
パァン!!
びっくりした拍子にもう一発弾が出た。いや何してくれちゃってんの。てかなんで生きてんの玲亜さんは。思いっきり弾が当たってたよね?
「お〜いたた。まどかさんてば、流石に2発はお茶目が過ぎますよぉ。教会特製の銀弾は数に限りがあるんですから、大事に使っていただきませんと」
なんてケラケラ笑いながら、玲亜さんがジャージの裾をめくる。シュッと縦筋の入った健康的なお腹には、確かに弾丸が2発めり込んでいた。
「むんっ」
しかし、私が見ている前でその銃創の周りの肉がモコモコと盛り上がり、弾丸を押し出して傷口を塞いでしまった。信じられないことだが、玲亜さんには銃で撃たれるぐらいどうってことないらしい。
「ね?」
「……ね、じゃない! 勘弁してよもう」
今ので寿命が2年は縮んだ気がする。私としてはいい加減頭痛がして来る頃合いだけど、玲亜さんは違うらしい。
「この通り、並大抵のことでわたしは死にません。恐らくこの街一円が空爆で焼き払われたとしても、灰の中から立ち上がってまた彷徨い歩くことでしょう。……愛だけなんです。愛だけが、わたしを終わらない苦しみから解放してくれるんです」
そう語りながら、玲亜さんが私の顔に手を伸ばす。折り曲げた指で横髪を掻き分け、頬にも触れる。
「まどかさん。わたしは貴女を好ましく思います。だからお願いします。どうかわたしのことを好きになって……その愛でわたしの生を終わらせてください」
玲亜さんが微笑む。その笑顔は無邪気なようでありながらどこか悲しげで、儚くて、見ていると吸い込まれそうになるほどで。それを見た私は……
「……でっ、出てけーーーーーーっ!!」
見惚れる余裕もなくブチ切れをかまし、玲亜さんを家から叩き出したのだった。
「ハァ、ハァ……ひどい目に遭った。ほんと何なのあの人……!?」
玄関の外で玲亜さんがまだ何か言ってたけど、そんなの知らない。やがて彼女が諦めて立ち去るまで、私はただ乱れた息を整え、早鐘のように鳴る胸の鼓動を抑えることしかできなかった。
「……拳銃、返しそびれちゃった。最悪」
〜〜〜
次の日。
「そーかそーか、そりゃ大変だったな。で、それ何て動画?」
「実話だよ!!」
学校の昼休み、私は仲の良い椎野先生に昨日の玲亜さんのことを話していた。白い壁の面談室に、私の憤慨する声が反響する。
「そうなん? でも家の前に倒れてた不審者に飯食わせて惚れられてって、ぶっ飛び過ぎ……うぷぷ、流石におもろいわ」
教育者とも思えない態度で私の相談をあしらう椎野先生。私は下の名前で奈帆ちゃんと呼んでいる。科目は世界史。ざっくりした性格で親しみやすいのが良いんだけど、今は真面目に聞いて欲しい。
「……奈帆ちゃんのバーカ。いいよ信じなくて。でも一個だけ教えてくれる? 人狼症って本当にあるの?」
「じんろーしょー、ねぇ。それってやっぱりウェアウルフとかルーガルーとか、それ系のこと言ってるんだよな?」
うぇ、うぇあ……るが……? 知らない単語が二つも出て来たけど、多分それだ。
「人が狼に変身する、所謂人狼の伝説は西洋に古くからあるぞ。神の怒りに触れて狼に変えられた人間の物語だとか、魔女や悪魔の呪いによるものだったりとか。日本にも狗神憑きなんていう広義の人狼の伝承があったりするな」
記憶の引き出しを手繰るように奈帆ちゃんが話す。
「もっとも、それらの正体は現実の差別や宗教的弾圧の表れだったり、病気による錯乱だったりで説明がついてしまうというのが通説だ。もちろん、アタシも同意見なわけで、人狼症なんてのはあくまで伝説だと言わざるを得ないなー」
「そっか……やっぱそうだよね。うん」
「だからさ、その藤枝玲亜って人が言ってたことは気にしなくていーよ。間違いなくおかしい人だし、すぐ警察に捕まって二度と現れることないって。実在の人物であればだけど! うぷぷ」
奈帆ちゃんの回答は常識的で、私を安心させてくれるものだった。
でも、奈帆ちゃんには伝えていないことがある。玲亜さんが拳銃で撃たれてもピンピンしていたことを、私は話していないのだ。だって撃ったのが私である以上、話すと何か法的に責められるかもしれないから。
「あ、そうそう。変わり種もあるぞ。チベット原産のマリフェザって花の毒で人狼化するなんてバリエーションも……」
「ストップストップ、もういいや。ありがとね奈帆ちゃん」
愛以外では決して死なないと語った玲亜さん。私がこの目で見てしまった彼女の不死身ぶりには、一体どう説明をつければいいんだろう。言い知れぬモヤモヤを抱えたまま、私は会話を切り上げて席を立った。
「いいってことよ。ま、どうしても不安なら夜歩きなんかは避けるこったな。最近は通り魔やら変質者も多いし。伊座利はか弱い乙女だし。パクっと食べられたりすんなよー? 後がめんどいから」
心配の方向性がおよそ教育者のそれではない奈帆ちゃんの見送りに対し、私は曖昧に手を振って応えた。
『どうかわたしのことを好きになって……』
儚い微笑みでそう訴えた玲亜さんの顔が、何故か頭から離れなかった。
〜〜〜
玲亜さんの置いて行った拳銃は、今私の勉強机の引き出しに入っている。
「どうしようこれ……」
明らかに実銃だとわかっていても、私はまだそれをどこにも持って行くことができないでいた。
大人や、それこそ警察に託すのが一番なのだが、そうすると私がこれを所持するに至った経緯を話さなくてはならない。その一点が、私に行動を躊躇させていた。
「さりとて、だよなぁ。このまま持っててもなぁ。しょうがないんだよなぁ」
ベッドの上でゴロゴロ転がりながら、私は悩んだ。いくら保身に心が傾いていても、こんな物騒なものをずっと持っているのは嫌だ。
『貴女は優しい方です……わたしは貴女を好ましく思います』
「どわっ!?」
それに、拳銃がそこにあると思うと嫌でも玲亜さんの顔が浮かんでしまう。昨日の強烈な体験と、彼女の甘くも切ない言葉が思い出されてしまうのだ。
『愛だけです。愛だけが、わたしを終わらない苦しみから解放してくれるんです』
ええいうるさい。消えろ消えろ。
『まどかさん、愛しています』
消えろと言うに! って、あれ? 玲亜さんこんなこと言ってたっけ?
「ああもうわけわかんな〜い!!」
頭を抱えて悶える私。止めどなく溢れる雑念に耐えかね、私はとうとう一つの決断をした。
「……こうなったら、埋めに行くか!」
〜〜〜
深夜1時ともなれば、近所のちょっとした山でも真っ暗だった。
「うう〜肌寒い。テキトーに埋めて早く帰ろ」
家事を終えたママが寝入ったのを確認した後、私はチャリを飛ばしてここまで来た。一応、公園みたいに整備されてはいるけど、道を外れれば普通に原生林が広がっている。私は持って来た懐中電灯を点け、木々の中へ分け入って行った。
「……この辺でいいかな。いやもうちょい奥まで」
街灯の光が背後に遠ざかり、草や土の匂いが多くなっていく。少し帰り道が不安になりかける手前で、私は足を止めた。スコップを取り出し、忌々しい拳銃を埋める穴を掘り始める。
と、その時だった。
ガサガサッ!
唐突に近くで物音がした。
「ひいっ!?」
びっくりして反射的に懐中電灯を向ける私。すると、光に照らされたのは思いも寄らない人物だった。
「だはっ……誰かと思えば伊座利かよ。何してんだぁ?」
「え、奈帆ちゃん!?」
そう、昼間学校で話した奈帆ちゃんが、昼間と同じパンツスーツ姿で森の中に立っていた。
「ち、違うの奈帆ちゃん! これはさ、何というか散歩? じゃなくて! たまには静かな場所で自分を見つめてみようかな〜、なんて……ん?」
深夜の外出を教師に見られたという状況から、咄嗟に言い訳が口をついて出る私。しかし、懐中電灯の光の輪の中に居る奈帆ちゃんの様子に違和感を覚えて言葉を止めた。
「なーに眠いこと言ってんだか。フツーに駄目だろ子どもがこんな時間に」
そう私をたしなめる奈帆ちゃんの、スーツの襟元から覗くシャツ……その白い布地に赤い斑点のようなシミが見える。よくよく見ると、ジャケットやスラックスにも赤黒いものが染み込んでまだらになっている。
「うぷぷ……まあ伊座利は思春期の乙女だからなー。眠れぬ夜もあるかもしれんが、だからって山歩きはイカつすぎんだろ。親御さんにバレて騒がれんうちにとっとと帰……あ? どした?」
「あの……あの、さ」
私は恐る恐る、彼女に指を差した。
「奈帆ちゃん、それ……」
絵の具やケチャップなんかとはまるで違う、気持ちの悪い色合いの赤。この人、全身血まみれだ。
「何、してたの……?」
聞かなきゃ良かった。そう思ったのは既に私の口がそう動いた後だった。一方の奈帆ちゃんは自分の衣服を見下ろして、そのあまりの汚れっぷりに気付いたらしい。
「はぁー……」
彼女の溜息が、夜風に乗って私に届く。どうしてだろう。すごく生臭い。
「困っちまうんだよなー。よりによってこんな時に出くわすとか」
少し掠れた声でそう言いながら、奈帆ちゃんが前髪をかき上げる。光を反射する白い顔に、黒い毛がざわざわと生えて来る。
「血が滾る夜は、山に入るんだ。ここなら誰にも迷惑はかけんし、その辺の小動物でも狩れりゃー多少は胸も空く。持って来いだったんだけどなー……人狼症の発作をやり過ごすには」
毛に覆われて真っ黒になった奈帆ちゃんの顔。今度はその鼻から口にかけてがメリメリと音を立てて前方へ張り出し、獲物を噛み殺すのに適したマズルを形作る。ってか今、人狼症って言った!?
「でもまあ、伊座利が悪いよな。そんなにも……そんなにも、美味しそうなツラして歩いて来るから。パクッと食べられても文句言えないよな」
「あわわわわ……!」
懐中電灯を持つ手が震えて、光の輪が揺れる。その瞬きの中で、奈帆ちゃんの顔は完全な狼のそれに変貌を遂げた。
「オオオオオオオオオオン!!」
身の毛もよだつような声で、奈帆ちゃんが咆哮を上げる。狼の遠吠えとも人間の悲鳴ともつかない、耳障りな叫びだ。
「うそでしょーっ!?」
堪らず踵を返して逃げ出そうとする私。だが、私の足が前に進むより前に奈帆ちゃんの爪が背中に届いた。
バリィッ!!
音を立ててリュックサックが引き裂かれ、中のものが地面にばら撒かれる。背中はまだ無事だ。背負って来て良かったと言いたいところだけど、当の私はびっくりしてバランスを崩し、盛大にすっ転んでしまった。
「ぎゃんっ!!」
前のめりに倒れ込み、落ち葉にヘッドスライディングする私。口に入った土をペッペッと吐き出している間に、奈帆ちゃんが背後に迫る。
「人を殺すと骨まで食べなきゃ足がつくからめんどいんだけどなー。めんどいんだけど、やっぱ目の前にすると我慢できないわ!」
唸り声の混じった不気味な声で言いながら、奈帆ちゃんが私を見下ろす。服の袖から出ている手もすっかり狼の手になって、最早私の知る奈帆ちゃんではない。
「もお……もお何なのよおっ! あっちもこっちも人狼だとか殺すとか……冗談やめていつもの奈帆ちゃんに戻ってよおっ……!」
動転して泣きが入る私。奈帆ちゃんはそんな私を見て少し困ったように「ごめんなー」と言った。
「こんな体質になってセンセも不本意なんだ。けど、この快感を知ったらもう戻れない。しょうがない」
「な、何の快感……?」
「そりゃもう、この手で命を断ち切る快感」
「タスケテーーーーーーーーーッ!!」
懐中電灯はどこかへ飛んで行った。私が張り上げた悲鳴も、こんな夜の山中では誰にも届かず消えていくんだろう。あるのはただ、奈帆ちゃんの荒い息遣いと……私の命を奪う爪と牙が月光を反射するそのゆらめきだけだ。
三日月。
空を仰いだ私はふと気付いた。木々の梢の向こうに見える夜空には、細く張り詰めた三日月が浮かんでいた。めちゃくちゃに壊れて霧散しそうだった私の理性が、その冴え渡るような輝きに辛くも繋ぎ止められる。
「観念したか? じゃ、さよーなら!」
泣き喚くのをやめた私に向かって、奈帆ちゃんが牙をむき出して飛びかかる。しかして、その瞬間はやって来た。
「させません!!」
明朗な声が山中にこだまし、同時に長い脚が奈帆ちゃんを横合いから蹴り飛ばした。
「ギャウッ!!」
悲鳴を上げて吹っ飛び、地面を転がる奈帆ちゃん。すぐに体勢を立て直し、邪魔立てをした相手の顔をキッと睨む。
「クソッ……誰だお前!?」
「あなたに名乗る名はありませんが……ここに居る可愛らしい方に向けて、もう一度名乗らせていただきましょうか」
声の主が、私を庇うように前へ出る。月の光を浴びて、芋なジャージ姿が凛としたシルエットとなって屹立する。その人物の名を私は知っていた。
「わたしの名前は藤枝玲亜。今はまどかさんの愛を求めて彷徨う、呪われた人狼です!!」
「玲亜さああああああんっ!!」
思いもよらなかった救援の登場に、私は感極まって叫んでしまった。玲亜さんは玲亜さんでヤバい人だけど、この際良い。すごく嬉しい。できればこのまま連れて逃げて欲しいなーなんて思うんだけど、
「まどかさん、お怪我はありませんか? 可哀想に……さぞ恐ろしかったことでしょう。今からあの曲者をぱぱっと畳んじゃいますから、安心してくださいね!」
玲亜さんは何だかやる気みたい。この人、わざわざ深夜の山ん中に喧嘩しに来たの? そういうのいいから、早くこの場を離れたいんだけどな〜!?
「人狼だぁー?」
一方の奈帆ちゃんは、目を凝らして玲亜さんのことを訝しげに見ている。
「突然しゃしゃって来て、適当言うんじゃないぞ。牙も爪もない、狼特有の匂いもしない、お前のどこが人狼だって?」
確かに。私は心の中で同意してしまった。人狼と言えば普通は今の奈帆ちゃんのように狼に変身した姿を言うんじゃないか。今の玲亜さんは、一応姿は普通の人間に見えるけど……?
「あは、これは失礼。月齢が浅いもので」
そう言いながら、玲亜さんが自分の頭をくしくしと整える。乱れていた髪がまとめられると、頭の左右から髪束とは違う何かがピンと立ち上がっているのがわかった。
……え、それってもしかして!
「発作が起きても、耳しか変わらないんですよね」
やっぱ狼の耳だった。なんと玲亜さんは人間の体に狼の耳が生えた、半獣人と言える姿になっていたのである。
か、可愛いかも……!
「ハッ! 何だか知らんけど、人狼としては半人前……でき損ないみてーだな」
密かにときめく私をよそに、奈帆ちゃんがぐっと身を屈める。もう玲亜さんに対する警戒は見受けられない。
「まずはおめーを殺してやるよーっ!!」
地を蹴る音も荒々しく、奈帆ちゃんが玲亜さんに飛びかかった。鋭い爪を持つ手が玲亜さんの喉元を捉え、そのまま地面に引き倒す。
「玲亜さんっ!」
驚く私の目の前で、玲亜さんがなす術なく組み伏せられる。恐るべき狼の身体能力。私には突進の瞬間が目で追えなかった。
「じゃーな」
そして奈帆ちゃんは一瞬ニヤリと笑ったのち、容赦なく玲亜さんの首に噛みついた。ブシュッ、と肉の裂ける音がし、鮮血が辺りに飛び散る。
「ひいっ!!」
思わず目を背ける私。が、次の瞬間、
「心配ご無用ですっ」
朗らかな声と共に玲亜さんが起き上がり、奈帆ちゃんの上顎と下顎を両手でがっしりと掴んだ。
「はがっ!? はががっ」
完全に意表を突かれ、奈帆ちゃんが目を白黒させる。彼女の眼前では、玲亜さんの首の傷が……痛々しく引き裂かれた喉笛がみるみるうちに癒着していき、やがて完全に再生してしまった。
私も目にした玲亜さんの特異な体質だけど、まさかあんな深い傷まで瞬く間に治癒するなんて。どうやら本当に恐るべきはこっちの方だったみたい。
「い、一体何が……はががあっ!?」
「言ったでしょう。わたしは呪われた人狼だと」
狼狽する奈帆ちゃんの顎を、玲亜さんが腕力で押し広げる。およそ人間のものとは思えないその力で、顎の骨がミシミシと軋み始める。
「がぎぎぎ……よ、よせっ、ぐ、がが……!」
「何者であろうと、わたしを殺すことはできません。ただ一つ……まどかさんの愛を除いては。それ以外の相手に、負ける道理はありませんっ!!」
玲亜さんの気合いと共に満身の力が込められ、奈帆ちゃんの顎が関節ごと砕かれた。
「ごがあっ!?」
喉の奥から悲鳴が絞り出され、それを最後に奈帆ちゃんの四肢が脱力する。玲亜さんが手を離すと、彼女の体は土の上にドサリと墜落した。
「ふう……終わりましたよ、まどかさん」
「……へっ?」
戦いに勝利した玲亜さんが私の方を振り返り、微笑む。私はというとあまりに壮絶な光景に放心してしまっており、しばし返事が遅れた。
「あー……すみません。怖がらせてしまいましたよね」
私の反応が芳しくないのを見て、玲亜さんの眉根がシュンと下がる。私は慌てて「違うっ」と言葉を差し込んだ。
「別に、玲亜さんが怖いとかないよ。助けてくれたんだし……でもその、ただ、びっくりして……さ」
実際、玲亜さんが駆けつけてくれた時はすごく心強かった。私の前で軽口を叩く姿に、気持ちがほぐれたんだ。だから、私は素直に思うままを伝えることにした。
「……ありがと。来てくれて嬉しかった」
「まどかさん」
玲亜さんが目を丸くする。まるで、そんな答えは予想だにしてなかったとでも言いたげな顔だけど、私そんな変なこと言ったかなぁ?
「やっぱり、貴女は優しい方ですね」
言いながら、玲亜さんが私に手を差し伸べてくれる。少し血のついたその手を取って引っ張り上げて貰うと、彼女の表情は晴れやかなものに戻っていた。
「わたしの目に狂いはありませんでした。思えば昨日、まどかさんの家の前で倒れたのはきっと運命だったんでしょうね。わたしの大切な、運命の天使……」
「ばっ……!」
馬鹿。運命て。天使て。本当にキザだなこの人。そんなこと言われたら意味もなく顔が熱くなるから勘弁して欲しい。
「そ、そんなことより! 奈帆ちゃんは大丈夫なの? あの人、私の友達……ってかよく話す先生なんだけど……もしかして死んじゃった……?」
奈帆ちゃんは私を殺そうとしたけど、死んでしまったら流石にショックだ。
私が恐る恐る聞くと、玲亜さんは倒れている奈帆ちゃんの傍へトコトコ歩いて行き、彼女の腕や足、砕かれた顎なんかをツンツン触って確かめた。
「……うん、生きてます。辛うじて」
「辛うじて!?」
めっちゃ大雑把だけど大丈夫なのそれ。
「ご心配なく。この薬で体力も補えますので……まあ、目が覚めたら自力で病院に行ってくれるでしょう」
そう言って玲亜さんは、ジャージの懐から何やら薄べったいケースを取り出した。パカッと開けると、中には小さな注射器が入っていた。
「何それ」
「人狼症を治す薬です」
「は?」
思わず素の「は?」が出てしまった私。いやあなた、人狼症で困ってるんだよね。それ使えばよくない?
「人狼症にも色々ありまして。わたしのは治りませんが、この方のは治るタイプですね」
玲亜さんは奈帆ちゃんのシャツの袖を引き裂いて毛むくじゃらの腕を露わにすると、慣れた手つきで彼女の二の腕に注射針を突き刺した。
「マリフェザの花粉に含まれる毒素が原因で起こる人狼化……これは同じくマリフェザの蜜から精製した薬で発作を止めることが可能です。上手く行けば投与一回で完治もしますよ。……わたしも、これくらい簡単なら良かったのですが」
薬液の注入を終え、注射器をしまいながら玲亜さんが悲しげに笑った。
「本当に治らないの? その……愛ってやつ以外では」
「ええ。治りません」
玲亜さん人狼症には詳しそうなのに、それでもどうにもならないものなのか。
「今から200年前、ある人のかけた強い呪いのためにわたしは人狼になりました。以来、その呪いはわたしの魂を現世に縛り続けています。呪いとは即ち人の思い……別の思いで上書きしない限り、解くことはできないんですよ。それこそ、愛とか」
愛とか、の部分で玲亜さんが露骨に私を見る。いや、良いこと言った感出してるけど私に振られても困るからね。玲亜さんの願いを聞くってことは、つまり最終的に玲亜さんを殺すってことじゃん。
玲亜さん、そんなに死にたいのかな。
「……私に、人なんか殺せないよ」
「そうですか? 昨日の拳銃の弾、良い所に当たってましたけど」
「ぐうっ……!」
それを言わないで欲しいんだけどな。
「わたし、まどかさんを守りました。それでも……駄目ですか? 好きになってくれませんか?」
急に恩に着せようとして来るし。
「ねぇ〜まどかさぁ〜ん、わたしのこと嫌いなんですかぁ〜?」
三角の耳をぴこぴこ動かしながら、玲亜さんが訴えて来る。ポメラニアンのようにつぶらな瞳が、私を絆そうとめいっぱい潤んでいる。この人、本当に大人なのか!?
「ぐぬ……か、可愛く言っても駄目っ」
縋り付いて来そうな勢いの玲亜さんに背を向け、私は道のある方へ歩き出した。玲亜さんは「ま、待ってぇ」と慌てながら私の後をとことこついて来る。
「お願いしますよ〜、まどかさんが良いんです。貴女に愛されて、貴女にこそ殺されたいんです!」
いや重いよ。怖いこと言わないでよ。
「まどかさん銃撃のセンスありますし大丈夫ですって! これも経験だと思って」
残るのは経験じゃなくて前科なんだよ。あとそこ褒められても嬉しくない。
「むむむ……わたし、殺してくれるまで付き纏いますよ? 何年だって待てます。わたしに寿命はありませんから」
それなら、私は玲亜さんが諦めるまで突っぱね続けるだけだ。現役JKの塩対応スキル舐めんなよ。
「試しに一発! 一発だけ撃ってみません? 拳銃、まだ持ってるんでしょう?」
「ああもうしつこーーーーい!!」
玲亜さんを一喝しながら私は顔を上げ、火照った頬を夜風に晒した。軽々しく言わないで欲しい。玲亜さんを撃つなんて、試しでもやっちゃいけないことだ。
だって、今撃ったら殺せちゃいそうだから!
《おわり》




