第九話
どうして、あの死霊IN生き霊は現れたのか。
通常、幽霊の類いは薔薇に寄り付かない。お互いに干渉できないからだ。薔薇は全く見えないからフルシカトだし、まれに幽霊がわがアプローチしても微塵も障りを受けないので、意気消沈して消えていく。
だが、今回は違う。
生き霊。
今生きている人間の激烈な感情が作り出す、死霊とは異なる霊的な存在。たいてい、好かれすぎる人か、とても憎まれる人にくっついている。九割は後者、憎しみが産み出す生き霊だ。
当然、憎しみには逆恨みも含まれるし、好意が一方的すぎてストーカーのように害なすことだってある。
今回の薔薇はどちらだろうか? 生きていれば、というか生きているだけでも、恨みは買ってしまうものだ。だが、薔薇が積極的に恨みを買うようなことをするとは思えない。そんなめんどうくさくて、つまらないことを自らやるわけがない。無意識か逆恨みか。
ともかくも、あの生き霊は、薔薇を狙う、中学の関係者だ。死霊に隠れて学外からちょっかいを出すなどという回りくどいことをしたのはなぜなのか、全く分からないが、おそらく正面から呪っても、薔薇がどこ吹く風でピンピンしているので、色々考えてのことなのかもしれない。
「生き霊の本体は、死霊と血縁があるんだろうね」
「うん。かばってたんだと思う」
品出しをしながら、鶺鴒と浮草は見解を確認しあう。
鶺鴒が先代から引き継ぎ、営む「雑貨屋さん」は、日暮れから夜明けまでが開店時間だ。来店するのは、人から人ならざる方々まで、洋の東西をも問わずにやってくる。夕食時は札を下げて家の方に引っ込むが、お客様方のほうが配慮してくれるので食事中に来店することはほとんどない。
就寝前に品の補充や点検を手伝い、やってくるお客様と少し会うのが、浮草のルーティンだ。
浮草は店内を見回す。ここに並ぶのは、基本的には魔道具、呪具などと呼ばれるものだ。職人の一点モノもあれば、魔術に使用する消耗品なども取り揃えており、魔術・魔法道具屋さんともいえる。
ちなみに、この手の魔具も、薔薇には基本的には効かない。ちゃんとした呪いの道具もあるが、薔薇はそれすら効かないのだ。逆に使うこともできない。ちゃんと呪える人形に、薔薇がいくら釘を打とうが、効果が全くでないのだ。まあ、薔薇の場合、怒らせたら本人が殴りにいくので使えなくても関係ないが。
そう。だから生き霊ごときにどうこうされるような人間ではない。ないのだが、家族の周りをよくわからん羽虫が飛び回っていたら、目障りだ。
それに、本当にこのまま何もないとは限らない。血縁者の死霊(しかも地獄行き確定済み)を隠れ蓑にして、怪奇現象を起こす生き霊? 普通ではない。遭遇したこともない。なら、普通ではないことが起こるかもしれない。
カララン
ドアベルが鳴って、客の来店を告げる。
「いらっしゃいませ」
「こんばんは」
鶺鴒の営む「雑貨屋さん」にやってくるのは基本、特殊なお客様。いま現れた客もそう。先代店主の頃からの常連客であり、防人家の方がお世話になることもある。
「あら、浮草くん。こんばんは」
「こんばんは、流火さん」
優しい日溜まりのような笑顔に、浮草もニッコリ笑って頭を下げる。
叢雲流火。見た目は、三十代半ばの日本人女性。長い黒髪をひとつに纏めたシンプルなヘアスタイルだが、彼女の髪には美しいアクセサリーが飾られている。今宵は、陽の光を集めたような美しい宝石が鏤められたバレッタ。少し前までの彼女は、装飾品の類いを全く身に付けなかったのだが、最近すてきな贈り物をもらうようになり、それを身に付けるようになった。鶺鴒の店には、その返礼品を購うためによく来店するようになった。
「何か面白いものあるかな」
「前回は自動筆記してくれる羽根ペンでしたけど、どうでした?」
「あれね! 瓊助よりも黒龍たちがハリポタだって大喜び」
「ははは。出てくるんですか、そういうの」
「さあどうなんだろ…わたしは読んだことがないから。でも西洋の魔法使いっぽさ凄かったものね、あれ」
「作った人、最初の購入者が流火さんで、しかもプレゼント用だと知って大喜びしてましたし、現在完売、受注生産で順番待ちですよ」
「あら、本当に宣伝文句に使ったの? 売り上げに貢献できて良かった」
「それはそうですよ。あの叢雲流火が買ったなんて、つい買っちゃいますよ」
ほのぼのとした店主と客の会話。そろそろ浮草は寝るために引っ込もうと、店と家を繋ぐドアの方へ爪先を向ける。
「ところで、呪詛を打たれてるけど、大丈夫?」
浮草は思わず振り向いた。流火は心配そうに眉根を寄せている。
「あー…。分かりますよね。でも、それがその、ターゲットが薔薇で…」
困り果てた半笑いを浮かべる鶺鴒。
「あら。それじゃあ呪詛返しもできないじゃない。えっ、どうしたらいいんだろう?」
「目下考え中です」
歴戦の叢雲流火ですら困惑する現状を、浮草は改めて思い知る。
呪詛返し。
簡単にいえば、呪いを相手に打ち返すこと。一定の力がある者が、どんな呪詛か正確に調べ、正しく儀式を行えば大概返せる。
今回できない理由もまた簡単。薔薇に呪詛が効いていないからだ。全く害をなしていない。存在しないボールを打ち返せ、といっているようなものである。
「そうすると、直に攻撃してくるまで待つしかないの? それはいくら薔薇ちゃんでもねえ…」
「そうなんですよね、いくらなんでもそれは…」
「なんだか、法律の隙間抜けられて、司法も警察も動けないレベルのストーカーみたいになってるのね」
「そんなところです。すみません、気にせず店を見ていってください」
「そうするけど、でもなんでも相談してね。ちょっとの間とはいえ、薔薇ちゃんはわたしが鍛えたんだから」
「ありがとうございます」
「鶺鴒」
流火と鶺鴒の会話の終わりに、浮草は声を上げた。
「どうした?」
もう決めている顔で店のドアに向かっていく浮草を、鶺鴒の穏やかな問いが追う。
「ちょっとひとりで、でかけてきていい?」
鶺鴒と流火が「お?」と目を丸くする。現在時刻は二十一時を回ろうとしている。
「気を付けるし、すぐ戻るから」
「…じゃあ、半までには帰っておいで」
「うん! いってきます! お店のドア、借りるね!」
パッと表情を輝かせ、浮草はドアを開く。外は、夜にしても暗すぎる闇。そこに、平然と小さな体は消えていった。
残された保護者にして店主と客。しかし流火は、客ではなく旧来の友人の顔になり、優しくたしなめるように言う。
「全く、あなたとあの子はそっくりね」
「そうですか? オレは行方不明になったことはないですが」
「それは隼の仕事だったもんねえ。じゃなくて、平気な顔で真っ暗闇に入っていくところ」
「流火さんでも、真っ暗闇は苦手ですか」
「そりゃそうよ。光と闇は切り離せないけど、闇には光が必要ない。本物の闇は、光がなくても平気だから。そんなところに明かりも持たずに入ってっちゃうとこ」
「それって怖いことですか?」
「……感性の違いだわあ」
こりゃダメだ、とばかりに流火は額に手をやってケラケラ笑い、鶺鴒は変わらず柔らかく微笑んでいた。柱時計が二十一時を告げる。
◆ ◇ ◆
浮草が店のドアを開けて、出たのは古びた公衆電話だった。パチパチと電灯が明滅しており、使うものはほとんどいないだろう。しかし防災の観点から、しっかりした新しいものに取り替えられるらしい。良いことだ。最近、ドアが開けにくくて難儀していた。公衆電話があるのは、小中学校のある山のふもと。急がないと、あっという間に三十分経ってしまう。浮草は小走りにつづら折りの坂道を上り始めた。
何年も通って慣れているとはいえ、小走りはちょっとばかりキツかった。ランドセルがないのが救いだ。撃退グッズいりのスマホポーチはちゃんと持ってきている。
夏の虫が盛んに鳴いている。幸広がいれば、この声は何々だよと教えてくれるだろうなあと考えながら、浮草は黒くそびえる中学校を見上げた。中には入らない。必要ない。ゆっくりと、そしてじっくりと校舎を見渡す。そこここに学校を住み処とする人ならざるモノがうろうろしているのが「みえる」。特に強い力を持つ「七不思議」のいくつかが、浮草に気付いてちょっと驚いたあと、窓越しに手を振ってきたり、頭のなかに直に挨拶してくるのに返事をしつつ、浮草は歩みを進める。
校舎をぐるりと回り込んで見上げたのは、中学校のプールだ。中学の敷地を囲う高いフェンス越しに、無味乾燥なコンクリートで固められた古いプール。浮草の位置から水面は見えない。壁面だけが見えている。ただ酷い悪臭だけは残っていた。
ひとつだけ、浮草は不思議に思うことがあった。
なんでプールが被害にあったのだろう、と。
校内のトイレの逆流や出所不明の天井からの水漏れは、間違いなく薔薇にとって迷惑だ。クサイし、授業中に騒ぎが起きたら落ち着かないし。でもプールは? たしかに、プールの異変の第一発見者は薔薇と栄地だ。でも授業以外でプールを使うことがなく、本気の泳力を発揮するわけにもいかない薔薇にとって、プールが使えないのはむしろ少しお得なくらいだ。クサイのを除けば。
「こんばんは」
ーーーこんばんは
浮草の呼びかけに、声なき「こえ」が返事をした。
このプールに潜む、人ならざるなにかだ。いくつもの気配がこちらへ注意を向けてくるのが浮草には分かる。「きこえる」相手には、当然「きいてもらう」こともできる。
高いフェンスやコンクリートの壁にへだてられ、更に浮草の立っている歩道との間には中学の敷地が数メートルある。だが、物理的な距離は意味を成さない。
「最近、ひどいことされたけど、だいじょうぶ?」
ーーークサイ
ーーー汚い
ーーーなんなん、腹立つ
ーーー中学生になったら、遊ぼうね
プールに住むものたちもお怒りのようだ。
ーーーだから、ありがとうね
ーーーいい気味
ーーースカッとした
ーーー中学生になったら、遊ぼうね
精霊牛の件も知っているらしい。まあ、すぐそこで起きたことだし、この界隈の噂話は凄い速さで伝わる。そりゃあ知ってるだろう。
「なんか知らない? アイツのこと」
ーーーアイツのことは知らない
ーーーでも、アイツの娘なら知ってる
ーーー知ってる知ってる
ーーー中学生になったら、遊ぼうね
「えっ?! 娘?! 知らなくなくない? それは知ってるってことだよ?!」
ーーーそう? じゃあ知ってる
ーーーアイツの娘、泳ぐの速い
ーーー人間だと一番。でも、薔薇の次
ーーー中学生になったら、遊ぼうね
「娘、中三なんだ」
ーーーだからアイツの娘、薔薇のことキライ
ーーー薔薇に勝とうとするとか、ばか
ーーーばかだから、練習もキライになった。練習キライだから、プール汚した
ーーー中学生になったら、遊ぼうね
「ありがとう。いろいろ分かった。速くプールきれいになるといいね」
ーーーオトナ、がんばってる
ーーー可哀想だから、転んだりしないか見てあげてる
ーーーばいばい、浮草
ーーー中学生になったら、遊ぼうね
「遊びのルールをおれが決めて良いなら遊ぶよ。じゃあね」
ーーーふふふ。まってるね
会話に参加していなかった気配も、すーっと夜の闇に溶けていく。
水死者の霊がプールの水を腐らせたのは、薔薇に意識させるためでも攻撃でもなく、自分のーー娘のため。
プールが使えなければ、水泳クラブは練習できない。いや、しなくていいから。
「あっ、やべ、もう帰らなきゃ」
浮草は慌てて、つづら折りの坂道を駆け下りていった。




