第四話
薔薇の見た夢は、真実、ただの悪夢である。幼少期の深い心の傷が見せた悪い夢。
だからこそ浮草はなにもしてあげられなかった。この世のモノでないナニカがちょっかいを出しているのなら、浮草がしてあげられることがあるはず。しかし、そうではないから、困っていた。
薔薇自身は、二夜連続で人生最悪の記憶を見せられたわけだが、緋水の助言でしっかり体を休めることができたので、体そのものは元気で、今朝はいつものように肉に反応していた。だから、心配だが、安全だ。
いっしょに登校しながら、浮草がうんざりしているのは、昨日と同じく二人の後ろをズルズルとついてくるもの。
昨日、薔薇の学校で起きたことを、浮草は小学校から「みて」いたし、なんなら臭ってきて小学校も少し騒ぎになったし、帰ってから話も聞いた。
犯人は、夏の明るい日差しの中、水気たっぷりにズルズル歩く死霊だ。
「こちら側」と「あちら側」の基本的なルールのひとつに、「あんまりみない方が良い」というものがある。「みる」ということは、「みられる」ことでもあるからだ。有名な怪談でも「見えてるくせに」などと霊から言われる場合があるが、霊のみならず、生きた人でも動物でも、ジロジロ見たらトラブルに繋がる。根本的にはそういう話なのだ。
だから浮草は、鶺鴒をはじめ、「みえる」先輩たちから、「あんまりみるな」と教えられてきた。
だが、今回は少し「よくみて」みることにした。
なにしろ実害が出ている。水にまつわる死に方をした霊が、下水に干渉するのはまあ、できなくはないが、そうそうあることでもない。だから今回は「みておいた方が良い」と判断した。
まあ、ぶっちゃけ目障りだから睨み付けてやった、という方が近いのだが。
薔薇がクラスメイトを見つけてそちらに意識を向けたので、浮草はギロリと背後の霊に視線を向けた。
単純に見た目。これは初めてみた時から変わっていない。大人の女性。元が何色かわからないTシャツとズボン。長過ぎはしないが、今のように俯いていれば顔を覆い尽くす長い髪。藻や水草、汚れた水を纏い、片足にだけ安物のサンダルをはいている。
よく、みる。みつめる。
死霊は、生前霊感が強かったことが、まとう霊気の濃さから分かる。また、何か強い未練があり、この世に残りたいと強く思っている。あっちこっちでお盆の儀式が行われているため、ふだんよりもこっち側に残りやすくなっているから、なおのことだ。
鶺鴒や「あっち側の管理をするひとたち」から聞いたことだが、この世に残るのは、実は死霊の自由だという。基本的には、誰かが迎えに来てくれたり、気付いたときには既に「あっち側」にいるらしい。元から霊的な力が強かったり、この世に残りたいという強い未練があってこそ残るのだという。強い未練もなく、迎えも来ないで彷徨うことになる霊もいるが、それはひとまず別の話。
この霊が、溜まり水の中で死んだのも、強めの悪霊になりつつある要因のようだ。水は、「あっち側」と「こっち側」の繋がりのひとつだからだ。おそらく沼なのだと思うが、なんだか妙な感じがした。藻や水草、魚の気配があるのに、なぜか「風呂場」がちらつくのだ。特徴のあまりない、壁も床も白で、汚くもなければ、完璧に清潔なわけでもない、普通の風呂場。
もっとよくみてやろうとしたら、霊がズルンッと脇の排水口に逃げ込んだ。
浮草が、けっこう荒っぽく舌打ちしたので、薔薇がびっくりして振り向く。
なんでもなーいと笑顔を見せて、浮草は改めて目障りなヤツだと苛立ちを強める。
相手は浮草が「分析」しているのに気付いて逃げたのだ。中学校を、校内に入らずに攻撃したことからも、この死霊、妙に知恵がまわる。
逃げるというのが、特に解せない。
川森中学には、「強いモノ」がやたらたくさん通学もしくは住み着いているので、びびって近寄らなかったのかと思っていたのだが。
「目障りだなあ」
「さっきからどした?!」
わりと大声で薔薇が聞いてくる。というか、ちょっとびびられている。
「あ、ごめん」
「今日の浮草は、珍しく殺意高いけど、どしたのほんと」
「え、そう?」
ニッコリして見せる。だが、いっそう薔薇は顔をひきつらせる。
「浮草……どんどん怖いところが鶺鴒に似てきたね…そっくりだよ、その笑顔とか……」
「えっ?! 嘘?! 嫌だそんなの!!」
恐ろしいことを言われて、浮草は悲鳴まじりに声を上げた。鶺鴒にそっくり? そんな馬鹿な。自分はあんなに怖くない。
「あの、その、変な幽霊がちょいちょい視界にカットインしてきてさ」
嘘ではない。誤魔化しはしたが。だからか、薔薇はほっとした様子でいつもの調子に戻った。
「えー、うざいね。それでイライラしてんの?」
「うん、うざいんだ、ほんとに」
薔薇には怖がられるし、踏んだり蹴ったりだ。
本格的に周りに小中学生が増えてきた。薔薇に、浮草に声をかけてくる友だちも増えてくる。
そんな中でも、浮草には感じ取れた。真っ黒な眼差しを、道路の下に敷設されている下水に突き刺す。
「みえる」。
そこに潜み、浮草や中学の「強いモノ」たちに怯えつつも、奇妙な死霊の関心が、なおも薔薇に向けられていることを。
◆ ◇ ◆
川森中学での水の異変は続いた。
建築構造上あり得ない場所からの水漏れ。水道管の類いはないし、雨漏りにしても二週間は雨が降っていない。なのに急に汚水が滴り落ちてきて、教室がパニックになる。
廊下に点々と落ちている、腐った水草。量は多くない。誰かが放置した魚の水槽を運んで、こぼしまくったのだろう。だが、その水槽が学校のどこにあったのか、休み時間にはなにもなく明らかに授業の間に廊下に出現したのがなぜなのかは、不明だ。生徒の出席は当然調べられた。欠席の生徒は所在の確認が各家庭に行われた。結果的に、生徒以外の外部からの侵入者が行ったと結論するしかなくなる。
主に教職員が大パニックだった。生徒は不気味だと思いつつも、半分面白がっている。たぶん、誰かが上手いことやったんじゃない?と。もしくは、なにかの偶然とか、とにかく自分ではわからないけど、説明のつくことでしょ、と。
けれど、逆流トイレや水漏れなどの実害を被った生徒は笑い事ではない。かといって、何ができるわけでもないのは同じだった。無事な教室へ移動して、自習か平静を装った教師の授業を受けるしかなかった。
「あたしらってさ、調査パート弱いよね」
「そうだな」
十分休憩、のんびりと薔薇が言う。栄地がおなじくのんびりうなずく。隣のクラスの緋水によれば、幼馴染みズの四人目、刀塚白夜が現場へ赴いているが、何も見つからないらしい。
「浮草に聞いてみよっかなあ。たぶん「みえてる」と思うんだけど」
「なんにも言われてないのか?」
「うん。だからたぶん、凄く危ないものじゃないんじゃない? 白夜も見つけられないんだし」
「なにかはあるんだろうけどな」
「あのね、鶺鴒も隼も良く言うんだけど、「みなければ、みられていても害はない。ただし例外はあります」って。今回のこれ、みなければ大丈夫なんじゃない? まあ、くせーけど」
「命の危険はないから、わざわざ教えないってことなのか」
「たぶんね。ニーチェのかっこいい言葉があるじゃん」
「ニーチェ?」
「『深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ』ってやつ。「善悪の彼岸」かな、載ってるの。てかネットですぐ出てくるよ。ちなみにその前もかっこよくて『怪物と戦うものは、その過程で自らが怪物とならぬよう気を付けよ』。雑にまとめると、ミイラ取りがミイラになるよ、ガンつけてっとトラブルになるよってことねー」
「薔薇は詩とかも暗記してるよな、凄い」
「好きなものは一回で覚えます。小学生の時、読んだっきりです」
ニーチェを読む小学生というのは中々とんでもないが、薔薇とはそういうものなのだ。
「数学は嫌いだから、覚えられないのか?」
「違います。数学があたしのことを嫌いなんです。たぶんあたしが気付かずに数学の親を殺したんだ」
「それじゃあ、嫌われても仕方がないな」
◆ ◇ ◆
薔薇が、いつもの調子なのを「みて」、浮草はひと安心する。ふだんは、こんな覗き見のような真似は絶対にしないのだが、今日はどうしても心配で、ついのぞいてしまった。鶺鴒に何度も諭されているし、浮草自身もこんなふうに自分のプライバシーを侵害されたら許せない。だから親しい人はもちろん、誰であろうと何であろうと、「よくみない」。
だから今朝までは、つけ回してくる霊のことも、みなかったわけだが、状況が悪い方へ変わっている。
霊の影響力が上がっているように感じる。
浮草が「みた」せいなのか。だとすれば、普通は浮草の周りに異常事態が増えるはずだ。なのに、悪化しているのは薔薇の周りなのだ。薔薇本人への被害は、悪臭で鼻がダメになっているぐらいで済んでいるが。
などと、浮草が物思いに耽っていると、軽やかな蹄の音がした。この教室では、浮草にしか聞こえない足音だ。
次の授業の教科書を出して顔を上げると、そこには白い馬が立っていた。日の光の煌めきが、白い体をうっすら青や緑にも見せる美しい馬だ。
浮草は微笑んで、白馬の大きな茶色の目を見ながら、心の中で話しかける。
『こんにちは』
馬が嬉しそうに長い首と尾を振り立てる。
『七月にお盆をするおうちからの帰り?』
肯定するように、元気一杯に馬は跳ね飛んだ。周りは、他の小学生や机、椅子が立ち並んでいるが、白馬の体はそれらを貫通している。
浮草の前ではしゃぐ白馬は、仕事帰りの精霊馬だ。地域によっては七月にお盆の迎え火をするところもある。このあたりに、そういう家があるのだろう。一仕事終えて、「あっち」へ帰る途中に浮草を見かけて近寄ってきたのだ。このあたりは八月にお盆をする家も多いので、これからもよってくるだろうし、送り火が焚かれれば迎えの牛が遊びに来る。毎年のことだ。相手にしなくても良いのだが、浮草は「あっちの住人」たちによく助けてもらうので、親しく近づいてくるものは無視しない。初対面なのにやたらなつっこい犬を無視できない犬好きのような気持ちもあるし、お世話になってる取引先の社員と道端で出会した社会人のような気分でもある。
ふと思い立ち、浮草は白馬の穏やかな茶色の瞳を見つめた。端から見ると何もない空間を真剣に見ているようだが、短い休み時間の子どもは忙しい。誰も浮草の様子など見ていない。
『昨日から、死んだ人がずっとついてきてて、ちょっと迷惑してるんだけど、「むこうのひと」に伝えてくれないかなあ』
精霊馬は驚いたように目を見張り、そした「それは良くない!」というように鬣を振り立ててから、鼻息を荒くして走り去っていった。自然の流れに逆らい、此の世の理を乱している霊だ。告げ口ぐらいありだろう。あの陽気な精霊馬が、「だれ」にこの事を伝えるかは全く不明だが。
「おれは、どうしよっかなあ」




