第三話
その日、川森中はまるごと二時限分自習になった。
ひとつはトイレの逆流による汚染事故。よりによって上階で発生したため、汚水と汚物が階下へ流れ落ちるという大惨事となった。
更に原因不明のプールの水の腐敗。ドロドロと半固形化し、このくそ暑い中突如として激烈な悪臭を放った。そう、突如として。こんなえげつない臭い、いくらにぶい人間でも気付く。つまり、登校時間や一時限目の時点で、水は腐っていなかったのだ。
まるでトイレの逆流と同時に腐ったかのようだ。トイレの汚水が流れ込んだわけではない。それなら二十五メートルプールを満たす水が外へ溢れているはずだ。
トイレの事故現場に近い教室の生徒は特別教室へ避難。臭いが届くだけで済んでいる教室(もはや中学全部が臭いのだが)は、室内待機。かわいそうな先生方は、役所へ連絡したり他にどこへ通報すべきかでパニクり、トイレの確認にいって汚物にまみれて精神的ダメージを負っている者も少なくない。まさしく地獄の様相を呈していた。
「地震のあととか、トイレの逆流ってあるらしいけど、こんなことあるんだね」
「こわいな」
「ワタシはなんにもしてないからね」
もはや嗅覚が完全に麻痺してしまい、一周回って平然としている薔薇と栄地に、もうひとりの幼馴染みが加わった。
羽々緋水。不思議な光沢を持つ黒髪、細い目とうりざね顔、スラリとした体つき。新市街に本社を持つ製薬会社ケツァールカンパニーの社長令嬢だが、自宅のある旧市街の公立の小中学校…つまり、若鮎小を卒業し、そのまま川森中に通い、薔薇、栄地とは小学生の頃からの付き合いだ。
「本当?」
「ワタシが知らないわけないじゃない。ましてや…こんなクサイことになるなら、学校来るわけないでしょ」
シュウッと蛇の威嚇のような鋭すぎる溜め息をついて、眉間にシワを寄せる。
「たしかに」
「製薬会社の陰謀の失敗じゃないのかあ」
ほのぼの頷く栄地と、とてもつまらなそうな薔薇。緋水は腹立たしげに足を踏み鳴らす。
「アンブレラと一緒にしないでよね。そもそもなんで製薬会社のやらかしで下水が逆流すんのよ」
「水も腐ったしね」
「あの水の中に生物兵器隠れてたら、今頃モンスターパニック映画始まってるでしょ」
「こう、なんらかの、暴走で」
「だーから、暴走してたら学校来ないし、施設は新市街にあるのになんでウチの学校で発生すんのよ!」
「たしかに」
「じゃあ違うかあ。というか緋水はなんでうちのクラスに来てるの? まあみんな自由にしてるけど」
プールにトイレにと異常事態が二ヶ所で起きているため、教職員全てが対処に駆り出されており、咎めるものがないので生徒たちは好き勝手に他の教室に出入りしている。教室に残っている生徒のほとんども勉強なんぞしていない。
緋水は胡乱な眼差しを薔薇にそそぐ。
「白夜がアンタ連れて現場見に行くっていうから、深く考えずについてきたんだけど、顔見てひとりで行った。ねえ、栄地はもう聞いたよね? この子どうしたの?」
「怖い夢見て、寝不足だって」
「はあ?」
「待って。あたしってそんなに様子がおかしいの?!」
「「おかしい」」
幼馴染み二人のきれいなユニゾンに、薔薇は口をへの字にする。この場を去った四人目の幼馴染みも、薔薇の様子を見て誘うのをやめたのだろう。
「そんなに怖い夢だったの?」
「うん。久しぶりに怖かった。でもふつうの夢だって浮草がいってたから、本当に寝不足なんだと思う」
「アンタ、宵っ張りだもんね。その上で更に眠れなかったら、そら儚げにも見えるか」
「儚げなん、あたし」
「吹けば飛びそう」
「たしかに」
「マジかあ…帰ったらお昼寝しよかな」
「変な時間に仮眠するより、早く寝る方がいい。十時には寝なさい。寝る二時間前に、湯船で百数えること。スマホも見ないこと」
「えー、リバースシティーマジシャンズ、いまイベント中なんだけど」
「今日は寝なさい。今週中続くイベントなんだから」
「むー。じゃあログボとって、フレンド掲示板にコメするかあ」
◆ ◇ ◆
四限から授業は再開したものの、役所や業者など外部の大人が大勢校内に入ることになり、更に悪臭による体調不良を訴えるものが続出したため、結局昼休憩のタイミングで臨時休校となった。そもそも、この凄まじい臭いの中で昼食など食べられるわけもない。
朝から延々と、身近な人たちに心配されまくった薔薇は、良い子でまっすぐ家に帰り、幸広が作ってくれた弁当を家族と共に楽しく食べたあと、スマホゲームのイベントをしたり、いつもは幸広がしている家事の残りを片付けたり、晩ごはん作りを手伝ったりとのんびり過ごした後、緋水の命じた通りにゆっくり風呂にはいって、十時に寝た。
そして、同じ悪夢を見た。




