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第十四話

※注意

R18ではないと判断していますが、暴力描写、過激な発言があります

この作品は、暴力や差別を容認する意図はなく、むしろ全否定するものです


精神的にお疲れの方は、またの機会にお読みいただければと思います

 最近、妻・みり愛の母の体調が悪くなっていることには気付いていた。精神状態が明らかにおかしい。彼女の病気は、性格や問題行動として症状が出るものではない。医者からの説明では、時間はかかるが普通の病気であり、特殊な難病でもない。治療法もあるし、保険適用内。父は若い頃に車にはねられたことがあるが、そのとき痛めた膝は今でも痛む。だが、根気はいるが治る病気なら安心だ。彼は膝を痛めたことが原因でサッカーを辞めたのだから。

 みり愛は率先して家事をしてくれる。全国大会にいけるような子だ。本当ならスポーツに邁進してほしいところだが、正直、甘えてしまった。もちろん、休日には率先して家事をこなし、料理も献立から買い物、調理、片付けまで、父は全てこなした。その間に、洗濯物を干して取り込み畳んでくれる娘には、もう本当に頭が上がらない。


 母の病状は順調に回復していた。みり愛が中一の半ばまで入院していたが、通院しながらの自宅療養にまで回復した。絶対安静とまでいかないが、無理せず家事なんかほっぽっておいていいから、と父と娘は笑った。母もまた、素直にそれに甘えることにした。専業主婦だったから、迷惑をかける会社や同僚はいない。いたとしても、一日も早く治ってもとの生活に戻るのが、夫と娘に唯一報いることになる。家族は、誰かが必要としたとき、お互いに助け合うものなのだから。

 だが。

 長く、ダラダラと続く不調は、母の心を少しずつ削っていった。劇的に良くなるような病ではない。熱が治ればあとはスッキリ、という類いのものではないのだ。第三者の目、医学の目からも、母は確実に治っていっていたのだが、本人にはその感覚がなかったのだ。

 早く元気になりたいと願うが思うように体は動かせず、伏せる日々。代わりに家事をこなしながら、仕事を、スポーツを両立する家族の姿が、彼女の心を黒く濁らせ、正常な心を蝕んでしまった。

 だから。

 ほんの小さな、普通ならちょっと妙な話で済む出来事が、みり愛の母の心を致命的に砕いてしまったのだ。

 あまり付き合いのない、古い友人からのメッセージが、なぜか目に止まった。

『長く病気していると聞きました。いま体調はどうですか?』

 なんのことはない、普通のメッセージ。友人ではあるが、同窓会や大人数の集まりで顔を合わさる程度の相手。

 他にも、入院中に見舞いに来てくれるようなもっと親しい友人からのメッセージも何通もきていたのに、なぜ、そのメッセージを選んだのか。


 運命が狂い出すというのは、そういう、よくわからない偶然から。


 友人は、母が返信すると、すぐに家に飛んできてくれた。彼女が尊敬する『神様の声が聞ける女性』を連れて。

 久しぶりに会えば、多少疎遠でも話は弾む。なにより、友人も同行してきた初対面の女性も話がうまく、母はずっと笑って話していた。友人も女性も、三年近い闘病を労い、妻や母親としての責務を果たせない悲しみに寄り添ってくれた。

 しばらく楽しく話してから、同行者の女性は急に居ずまいを正して厳かに言った。

「あなたはこんなにも頑張っているのに、何かがおかしいわ」

 真剣な眼差しだった。だが和やかさは保たれている。女性は、母の肩に手を置き、深く息を吸って、吐いた。

「やっぱり、そうだわ」

 病み疲れていた母は、その雰囲気に呑まれてしまった。そもそも病気で弱った精神だ。()()()()()()だ。

「前世…ではないわね。あなたの魂は本来なら強く光輝いているはずだもの。先祖に、何かあるんだわ……水の争い…田んぼとかかしら?」

 母は、この地域の出身で元は祖父母の代まで米農家だ。誰でも知っている。そりゃあ、田んぼで水のトラブルぐらいあったに決まっている。

「娘さんにも影響は及んでる。最高の舞台で力を発揮できないように邪魔されているのよ、悪しき力によってね」

 みり愛は地元の有名人だ。アスリートであることも、全国大会の結果も知れ渡っている。

 だが、母は取り乱しつつも、得心してしまった。悪しき力。そのせいで、うちの家族はこんな苦労をする羽目に。

 女性は少し険しくしていた表情を、柔らかなものに戻し、ブランド物のハンドバッグから桐の小箱を取り出した。

「ひとまず、これを置いていくわね。大丈夫よ。あなたは強い人。今のこの状態が間違っているの。悪しき力のせいでね」

 そうして二人は帰っていった。桐の小箱に、二人が崇める団体のパンフレットも添えて。


 そこからは、坂を転がるボールのようだった。


 桐の小箱に納められていたのは、綺麗ではあるがインターネットでも普通に買える水晶のブレスレットだった。しかし正常な判断力を長患いの心労で失っていたみり愛の母は、その透明な宝石に一心に祈るようになった。

 誰からの指示でもない。きっかけは与えられたが、彼女の意思で、水晶のブレスレットに祈る「だけ」になった。病院には行かなくなった。友人と水晶のブレスレットをくれた女性から頻繁にメッセージや電話がきたが、これも無視した。みり愛の母はただただ、水晶のブレスレットに祈りを捧げる日々を送ったのだ。

 例の友人や女性も、他の友人知人も、返信どころか既読すらつかない相手にはメッセージが送りづらくなる。徐々に、連絡は絶えていった。それでも時折メッセージは届いていたが、未読のまま捨て置かれた。

 病が悪化し始めた。当たり前のことだ。健康維持のための散歩すらもしなくなり、加速度的に体調が悪くなっていく。

 体の健康が損なわれれば、心の健康も悪化する。母はみり愛に罵詈雑言を吐き散らすようになった。ひとしきり喚いたあと、自室に逃げるように飛び込み、みり愛の母はブレスレットに祈った。

「ああ、わたしは本当に最低の母親です! あんな献身的な娘には今日もひどいことをしてしまいました! どうか、わたしを治して!!」


 疲れて遅くに帰宅する父は、かなり様子がおかしくなるまで、変化に気付けなかった。彼の心もまた、磨耗していたからだ。

 ふと、夏休みには娘の水泳の大会じゃないかと思い至り、みり愛の獲得したトロフィーを眺めーーそのいくつもが、歪んだり、曲がったりしていることに気づいた。

 壁のへこみ。

 帰宅したときの、みり愛の単なる疲れとは異なるひきつった笑顔。

 自分のいないところで何かが起きている。戸棚を調べれば、薬が全くない。病院に電話をかければ、入院時から親しくしてくれている看護師の方から「不躾にすみません……最近いらっしゃいませんが、どうされましたか?」と問われる。

 その時点で、父は何となく全容を察したのだろう。でなければ、小型のレコーダーをリビングに隠したりしない。だが、直感だけでは、勘違いだったときに大変なことになる。妻は、具合が悪くてひとりで病院に行けないだけだ。今度、付き添っていこうーーーしかし、事実は積み重なる。回収したレコーダーから流れ出す妻の罵声と、意味不明の祈り。ああ…どうして、こんなになるまで、自分は気付かなかったのか。


「病院とはもう話を進めている。入院して、今度こそしっかり治そう」

 そう言う父の声は、妙に冷えていた。入院。どこの、どんな科への「入院」なのだろう。

 ああ、でも、そうしてくれたら……嬉しい。

 そう、みり愛は確かに思った。父と目が合う。三年近く協力してきた家族であり、戦友だ。だから、同じことを考えているのが分かった。


「もう無理だ」


 と。

 次の瞬間、みり愛は突き飛ばされた。腕に激痛が走る。床に倒れ込み、熱い程に痛む腕を見る。真っ赤な血が、ドクドクと溢れだしていた。一瞬遅れて、痛みが脳髄を襲ってくる。

「やめろ! 何をするんだ! 本当に、本当に狂ったのか!!!」

 たぶん、そうなんだろうなと、みり愛は妙に冷静になってしまう。

 父と母の叫び合う声。争う音。

「ヒェグッ」

 身の毛のよだつ悲鳴。本能を揺さぶる、警報のごとき悲鳴は父の声だった。あるいは、これを断末魔と呼ぶのか。

 みり愛が顔を上げると、父の鎖骨の上あたりに包丁が突き刺さっていた。さっき、母がみり愛の腕を切りつけた包丁だ。父も母も、恐怖と驚きの表情を顔に張り付けて固まっている。

「あ、あ、ごめんなさい」

 久しぶりに聞く、母の正気の声だと思った。しかし、その後の行動は大失敗だった。咄嗟のことだったのだろうが、母は包丁を父の首から引っこ抜いた。

 まばたきのあと、吹き上がる赤い噴水。

 ふしぎなくらいゆっくり、全てが見えた。

 赤く染まる父と母。

 下半身をなくしたかのように、かくんっと垂直に父の体が床に尻餅をついて、吹き出す血でアーチを描きながら横倒しになった。

 カシャン、と落ちる包丁。

 ポカン、と佇む母。

「え、あれ?」

 その間の抜けた声に、みり愛の強靭な精神力もついに、致命的に、砕け散った。

「あれ?じゃねえんだよクソババア!!!」

 吠えるような怒声を上げながらみり愛は立ち上がり、母の長い髪を引っ付かんだ。何日洗っていないのか、べとついて気持ち悪い。

 刺された腕の痛みは、怒りがお山の向こうへ投げ飛ばしたからか、なにも感じない。みり愛は自身の血で血みどろで、母は父の血で血みどろで。みり愛は、髪を引きちぎらんばかりに母の頭を揺さぶった。

「ふざけんな! ふざけんなよ! 下手に出てりゃあ調子に乗りやがって、ふざけんなよ! 病人ならなにしたっていいってか?! ふざけんな! 世界中の! 同じ病気で闘病している、すべての人に謝れテメエ! テメエみたいなののせいで、真面目な人の肩身が狭くなるんだよバカが! ずっと看病してたわたしたちにも謝れよ! 治療する気がねえんなら、ひとりで生きろよ! ふざけんじゃねえ!!!」

 鍛え上げられたアスリートが全力で振るう暴虐に、病身の人間がまともに抗えるはずもない。放心し、ただひたすら、心身に暴力を浴びるーーー今までのみり愛が、母にされていたように。

 怒り狂うみり愛の目に、部屋の大型水槽が目にはいった。健康だった頃の母の趣味、熱帯魚だ。この三年、魚の世話や水質管理をしていたのは、みり愛と父だった。

 みり愛は、母の痩せ細った体をいとも簡単には引きずって、父の死体を踏みつけて、水槽へ向かう。

 水槽の上に設置された水温計だのライトだのの機材を薙ぎ払い、母を頭から水槽へ放り込んだ。溢れる水と熱帯魚。もちろん成人女性の全身が入りきるサイズではないが、上半身なら余裕で入る。みり愛は母の足を抱えて持ち上げる。母は暴れる、弱々しく。酸素を求めて、必死に。だが、力ではみり愛の方が圧倒的に強いのだ。母が健康で元気だった頃だって、みり愛の方が力持ちだった。

 すぐに母は暴れなくなった。


◆ ◇ ◆


「謎の宗教団体来たあたりで、一番盛り上がったのに、秒で退場して、良い意味で裏切られた」

「映画の感想じゃないんだから……さっきいったでしょ。悪い(ヴィラン)はいないよって」

 真面目な顔でふざける薔薇に、浮草は眉をしかめる。薔薇は肩を竦めて、今度はちゃんと真面目に暗い声音をこぼす。

「それが一番悲しいよねー。悪いやつがいれば、殴り倒して解決じゃん。でもさ、飯島さんたちは「今」が耐えられなくなっちゃったわけだ。変わらない現状に絶望して、上手くいってたはずなのにいつのまにか余計に悪くなっちゃってた。たまたま、今、「耐えられない」が三人揃っちゃって、全部ぶっ壊れた」

 いつのまにか、ふくらはぎのあたりまで、溜まってきている水を無感動な目で眺めながらも、薔薇の声は浸水が進む部屋と同じぐらい湿っていた。

 みり愛の母が、妙な宗教の勧誘目的のメッセージを見なければ。

 みり愛の父が、もっとはやく家族の異変に気付いていれば。

 いや、みり愛が、もっとずっと弱くて、年齢相応に幼くて、ギブアップしてしまっていれば。

 不運と努力と家族愛の強さが、破滅の方へと紡がれた、胸くその悪い最低の結末。

「だからって、薔薇ちゃんを呪っていいわけじゃないよ!」

「それはそう。ところで、あたしはいつ登場するの?」

「ホントにラスト…にも、正直出てこない。ともかく、RTAだから、仏間のお父さんとお風呂場のお母さんのイベントシーンは飛ばして、みり愛さんのお部屋にいこう。薔薇ちゃんが来てくれたおかげで、ここカットできたよ、ありがとう」

「そうなの? よくわからんけど、どういたしまして」

「みり愛さんは、薔薇ちゃんにリビングの出来事見て貰えれば満足みたい。これを見れば分かるでしょって」

「何が?」

「なんで薔薇ちゃんを呪ったのか」

「ごめん、わからん」

「おれも!」

「どういうことなのマジで」

「でも、みり愛さんの中では辻褄があうんだよ。全然おれにはわかんないけど」

「そうかあ。うん、分からんということが分かった」

「それでオッケイ。じゃあみり愛さんの部屋は二階の奥だよ」

「分かった、最速攻略だー!」

 水が膝のあたりまで増えてきている。

 水中に、人間サイズの影が泳いでいるのが、薔薇の目にチラッと見えた。

 薔薇は一瞬手を放し、すぐに片腕で軽々と浮草の体を抱き上げた。

 153cmの小柄な少女が、同じく小柄とはいえ大体120cm20kgぐらいの小学生男児を、である。

 浮草は、若干照れくさそうながらも慣れた様子で薔薇の首に腕を回して、上半身が揺れないようにしっかり抱きつく。

「あたしの出番へレッツゴー!」

飯島一家の精神破綻ぶりは、私自身のガンの闘病のときと、自宅での介護の経験を、めちゃくちゃ過激に書いたものです


長患いして、延々体調が悪いと、ほんっとーに正常な判断能力を失います

わたしのまわりには、変な宗教団体に勧誘する人はいなかったし、医療側から数値で具体的に説明を受けたし、最後は外科手術という力業で解決したので、こうはなりませんでした


自宅介護は孤独です

365日無休で、無給です

助けたいから世話をしている家族を、憎む瞬間があります

で、憎んだ自分を恥じて余計に苦しくなります

これも、回りの助けがあったので、飯島一家のようにはなりませんでした


本当に、ただそれだけの違い

なにかひとつ抜けたら、私はこうして呑気にあとがきを書いていなかったのだろうと思います

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