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悪役令嬢の告解

 馬の手綱を握って騎士は欠伸をした。


 退屈な護送の仕事は野党が出ない道ではさらに退屈さを助長した。王からの命令で豪商を護衛したときは山賊がわらわらと現れて血塗れの仕事となったが、退屈はしなかった。


 また王都での凶変が起きた時は寝る間もない対処に追われて欠伸を吐く暇すらなかった。それがひと段落した今、安全な護送ほど眠気を誘うものはない。騎士がまともに寝れたのは王都で騒ぎが起こる前日までであり、それ以降は体を拭くのも惜しんで睡眠を取ることを優先するほどだった。


「あなた、暇ならお話を聞いてくださる?」


 しまったと騎士は顔に表情を浮かべ、すぐにいかめしい顔に直して言った。


「黙れ罪人」


 鉄格子で囲われた馬車の中は黒い垂れ幕で外への視界すら遮られており、どんな表情で罪人が座っているのか想像もできない。

 単に柔和な声色が響いた。


「いいじゃない。最後まで一言も話さずに処刑されるのは嫌だもの」


「黙れ」


 騎士は眉を顰めた。

 この罪人は王都で皇太子を殺そうとした悪女で、たとえ伯爵家の家の娘だったとしても極悪人と同様に扱われる。口は利かず、顔を見ず、黙々と処刑場まで運ぶことが騎士の役割だ。護送とは名ばかりで形式上の役所仕事に過ぎない。


「あなたの声、覚えているわ。舞踏会の入り口に立ってたあの騎士でしょう。なら私を捕まえてたのもあなたね」


「……」


 騎士は仕事を全うするために言葉を慎んだ。罪人の口を塞ぐことは仕事に含まれていないため、欠伸潰しの物語にはなるだろうと思ったのだろう。

 馬の手綱を握りなおした。


「毒の短刀を剣で弾き飛ばされたとき、私どんな気持ちだったのかしら……ほっとしたのか、悔しかったのか」


 騎士は聞き入ることになる。


「伯爵の娘、二人目の娘。ちょうど皇太子と同じ時期に生まれた娘よ。もう生まれたときから私の道は決まっていた。皇太子の妻になって伯爵家を盛り立てるの。それが私に与えられた仕事」


 騎士は貴族の生まれであったが、位は低く武か文によって他の貴族家の下に付かなければ日々食うのにも困ってしまうほどだった。伯爵家の娘となれば何もせずとも毎食酒池肉林で過ごせるのだと考えていた騎士には、少し以外な言葉だった。


「ライバルもいたわ。生意気な子爵の子、傲慢な侯爵の子、舞踏会にいた生娘はみんな皇太子の妃候補よ。可愛い平民の娘だってどっかの貴族の後ろ見がいる。合わせてざっと二十人だったかしら。騎士と違って血生臭い争いはしない代わりに、私たちは私たちの持てる全てで戦うの」


 騎士は感受性に長けた人物ではなかったが、これから何を言うのかほとんど察しがついていた。妻の愚痴にもあるように、言葉の毒で精神を削られる日々、足を取られないように言動一つに気を配られる神経質な戦い。

 騎士にとって戦う場で起こることがそのままお茶会で行われている。どうやらこの罪人にとって全ての空間でそうであったらしい。


「ドレスが破かれてたり、送ろうとしたお茶の中に虫が入れられているのは日常茶飯事よ。他の候補者とお菓子を食べるときも気は抜けないわ。言葉を間違えたら皇太子の告げ口するの、あの子は悪女ですって。一人で言ったらその子が悪女になるから、他の人と一緒に言うの。何人蹴落としたかしらね」


 妻の身を案じて手綱を握る手は震えてしまっていた。


「五人だったかしら、六人だったかしら」


 子気味よい馬車の音、小鳥のさえずりすら聞こえてくる。しかし騎士は背後から地獄のような冷たい空気を感じ取り、それが殺気と似た感触を持つことに気付いてからはより一層“語り”に注目した。


「ふふふ。一人、一人。舞踏会に参加する子が減っていくほど嬉しくなったわ。殿下が私に話しかけてくれる回数が増えて、ちょっとづつ距離が近くなっていくの。他の子とお話にも誘われてもっと近くなったわ」


 皇太子の妃は政略結婚であって、このようなドロドロの争いを知らなかった騎士は学びを得た。同時に、それが剣で戦うのと遜色ない道であることに同情と恐れをつのらせる。己の子もその戦いに向かうのか、と。


「……可愛い町娘がいたわ。人に付け入る天性の才を持った子よ。王都からは遠い地方の街の子で、聞いたこともない男爵が後ろ見をしていたわ。ドレスは時代遅れ、付き人は老人、お茶会に持ってきたのは見たこともないもの。私はすっかり頭からその子を外してしまってたの、敵にならないと勘違いしていたわ」


 そういえばと騎士は思い出した。

 皇太子に嫁入りすることになったのは親を亡くした町娘だと。大観衆に見送られながら子犬のように縮こまっていたあの光景だと。同僚の間でも注目の的だった。もう妻子がいる騎士には全くもって関係のない話ではあったが、民草から一瞬で人気を得た妃は尋常の子であったのだろうか。


「よく転げて服を汚すし、カップの持ち方もなってないし、言葉遣いも田舎らしかったわ」


 騎士は思案し、記憶の中でそそを探したが無かった。


「全部糺してあげたわ。それが…………間違いだったのよ」


 傲慢からくる余裕で矯正を行ったのだと騎士は考えたものの、心に残る優しさから行ったのか区別がつかなかった。先ほどまで感じていた冷気が消えていたせいである。


「気付いたときには遅かったわ。殿下の心はあの子に奪われていたの、いつもおっちょこちょいの子が普段と違った雰囲気をしていたら、ええ、そうなるのね」


 騎士は一旦馬車を止めて水を飲んだ。

 森に戦場の気配が流れ出す。


「もう殿下のお茶会にはあの子しか行かなかったわ。それがどれだけ悔しいことか分かるかしら。分からなくてもいいわ。私が間違えたのだから、私が」


 暫く、馬を止めることにした。森の道は終わりに差し掛かっており、処刑場がある街の石畳になりつつある。馬車の揺れが大きくなり、背後の物語が聞こえづらくなってしまう。


「あの子の飲み物に毒を入れたわ。母上の部屋から持ってきた毒よ。古かったせいで効き目は薄かったようだけど、舞踏会であの子の顔色が悪かったのはせいぜいしたわ。でも」


 馬がまだかと騎士を催促するように鼻を鳴らした。


「それ以上に私を選ばなかった皇太子殿下を、殿下を恨んだわ。私は誰よりもドレスで踊って、お茶会に誘われて贈り物もしたわ。言葉の端も聞き逃さずに、遠くの海から宝石まで取り寄せてもらったのに、どうして殿下はあの子を選んだのよ」


 騎士は結婚する際に送ったのは宝石でも指輪でもなかった。お金もなく、地位もなく、あるのは腕っぷしだけで物にして渡せるようなものは何一つなかった。


 言葉のみ。


 この貴人は言葉の威力を使いながらにして言葉を侮っていた。


「あの子の後ろ見は調べたわ。聞いたこともない男爵家。金山があるわけでも、特産品があるわけでもないのにあの子の後ろ見をしたの。あの子のためだけに……」


 騎士は不憫な感情を抱いた。先ほどまで皇太子の妃が天性の才を持っていると自ら語っていたというのに、己が信じきることが出来ていないようだった。


 王都で事件を起こした時、この令嬢は一番に叫んでいた言葉がある。

 なんで、と。


 この矛盾した認識からくる言葉だったのだろう。誰よりも町娘の才能を認めておきながら、己と皇太子を信じていた。模擬戦闘で自信過剰な人と同じような状態であった。


「あの日、殿下に言われたわ。王国の母として私は一番手にいたの、それは殿下も認めてくださったわ。国内の安定の代わりに私を娶り、父上のおぼえたまうことが一番と。私は嬉しかった。殿下の言葉が嬉しくて堪らなかった。でも、殿下はこうも私に言ったわ。あの子を幸せにしたい」


 黒い幕の向こうですすり泣いている。


「恋心……恋。あの子が持ってる唯一の武器よ。殿下は私を道具だと、あの子を惚れた“人間”だと。もうどうしたらいいか私に分からなかった。教えてくれる人もいなかった。あの宮廷に私の居場所はなくて、侍女も父上のところに帰ってたの。一人で化粧をして、一人でドレスの紐を結んで、ああ時間が掛かったわ。楽しいおめかしの時間があんなにも苦痛だったの」


 騎士は御者台に座った。


「寂しかった。私は殿下のために生まれてしまったから、殿下が私を見なくなったら……私に生きている意味はないの」


 馬が歩み出し、石畳を踏む。


「私は…………殿下が好きだったのかしら」


 車輪が石を削る音が心地よい。鉄格子の牢の中にいる罪人はもう話さなくなり、騎士は回顧に耽った。


 確かに、この哀れな貴人を捉えた時の印象は悪女と言って差し支えなかった。ちぐはぐな化粧に結び目の解れたドレス、赤切れた足に黒い淵の瞳。初めて舞踏会に参加する人間でも比較良い状態で訪れるであろうほどだった。


 普段は侍女がドレスも化粧も施し、完璧な姿で皇太子の元へ戦いにいくのだろう。それがあの日、見捨てられた令嬢は見様見真似で行ったに違いない。あの子という、今の妃と皮肉にも真逆である。騎士はやはり、同情を禁じ得なかった。


「伯爵令嬢。街が見えたぞ」





 *





 石畳を進み数十分、街の門が瞳全体を埋め尽くす大きさになったころ。騎士は門兵に向かって高圧的に言った。


「国家大罪の極悪人を連れてまいった!通せ!」


「あい分かった」


 これも形式的な会話に過ぎない。

 すでにここを通過することは通達されており、牢の馬車など今日は一台しか通らないと決まっている。処刑される罪人は一人であり、それが“元”伯爵家の娘であることも。


 街の中はお祭り騒ぎ、皇太子暗殺未遂の罪人を処刑するとなれば国中から色々な人が集まる。役人はもちろん、王族、貴族、庶民、貴賓まで。


 牢に向かって石が投げられる。

 そのために騎士は騎士としての姿をしている。


「この悪女め!」


「魔女!」


「(規制)」


 様々な罵詈雑言が飛び交い、いくつかの石は牢の中まで入りこむ。運が悪ければ石に当たって痛い思いをするだろう。


 馬車は中央の処刑場を過ぎて後方にある石造りの建物に進入して止まった。

 扉が開けられ、これから歩いて処刑場まで行く。


「鍵は開いている」


「助かるわ」


 黒い幕から出てきたのは美しい令嬢だった。

 化粧、ドレス、履物に至るまであの日の様子とは全く違う。


「ありがとう。私の話を聞いてくださって」


 処刑場から歓声が聞こえる。


「出来れば、あの話は一生誰にも話さないで欲しいの。殿下にも、あの子にも」


 令嬢の名前が連呼される。


「さぁ。行きましょう」


 騎士が跪く。


「バーメシア嬢。わが娘の名前もバーメシアと言います」


 それは騎士の本心だった。


「それは…………ごめんなさいね」


 令嬢もまた、本心だった。




 皇太子暗殺未遂の大罪人、バーメシアは処刑された。

プロット:追放された令嬢を護送する騎士との会話。


場面 森


乗り物 鉄格子の馬車


騎士 妻子あり


令嬢 一六歳


序盤 令嬢が騎士に語りかけ、退ける


中盤 騎士が令嬢に同情する


終盤 令嬢が死ぬ



間違えて連載のまま投降した。これは短編。

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