08 白猫の仮面
「リゼル。あの……エドワードがお」
「急ぐから、失礼するわ。お兄様。私、今日も外出する予定だから」
朝食を食べていた際に、兄スチュワートが縁を切った幼馴染みの名前を出そうとしたので、私は食事途中だったけれどサッと席を立った。
もう一度名前を呼ばれたけれど、無視をして用意させていた馬車へと急いだ。
エドワードからの手紙はすべて捨てるように指示を出していたし、彼が邸を訪問した際にも不在だと伝えるように執事には伝えていた。
仕事終わりのお兄様を訪ねて来ることもあったけれど、私は何をどう言われても、自室に篭もっていたので、エドワードとはあれ以来話をしてはいない。
どうせ、さっきだって兄を通じて私と話がしたいと言って居るとか、謝りたいと思っているだとか、そういう類いの事を伝えたいのだと思う。
けれど、私はついこの間までエドワードと結婚すると幼い事の約束を信じ込んでいたし、彼は別の女性と結婚することになるのだ。
壊れてしまった関係性の二人が、これ以上何か話をすることあるかしら? アイリーン様にも失礼になるし……少なくとも私側には、エドワードともう話すことは何もないわ。
だから、もう二度とエドワードに会う必要性もないの。
本日はキャスティンに教えて貰った、例の魔法屋『ガタウリン魔法店』に向かう予定だった。
視力を回復させる魔法なんて、これまでに聞いたことはなく、それがもし叶うのなら高価な対価を払ったとしても構わないと思っていた。
私が使えるお金をすべて持って来たけれど、これで足りるかはわからない。魔法屋での通常価格が私にはわからないからだ。
けれど、信用ある貴族は後払いが基本だし、足りなければお父様にお願いすれば良いわ。
「リゼル様、本日はどちらまで向かいますか?」
従者に今日の行き先を聞かれたので、私はキャスティンから貰った小さな地図を確認した。
目的の魔法屋『ガタウリン魔法店』は、大通りから外れた裏通りの路地裏にあるようだった。裏通りは道幅も狭く馬車は入れないし、いつものように護衛代わりに従者を引き連れて向かえば場所柄目立ってしまうかもしれない。
「今日は、大通りに向かって欲しいの。裏通りにあるお店だから、下ろした場所で待っていて。そこからは私一人で向かうわ」
「リゼルお嬢様が、お一人でですか? ……しかし、それは」
お父様が付けている従者は、これまでに外出を避けて引きこもり状態だった私が一人で出歩くことに対し難色を示したようだった。
「良いから。一人で行きたいの」
私がきっぱりと言い切ると、従者は驚いた表情を浮かべつつも引き下がった。私がこんな風に強く言うことなんてあまりなかった事だから、驚いたのだろう。
大通りの私が指定する場所に辿り着き、私が彼に視線を向け黙ったままで頷くと、言いつけ通りに従者は付いて来なかった。
初めて入ることになった裏通りは薄暗く、この時点で早くも私は『ついて来て貰うべきだったかも』と後悔することになってしまった。
「おい。そこのお嬢様。ここから先は、通行料が掛かる」
ゆっくりと歩いていた私が十字路に差し掛かると、まるで品定めするかのように中年の男が私を下から上までじっくりと見た。
髪の毛はなくて、頭の上に大きな古傷があった。その男の背後から顔を出した太った男が、同意するかのように高い声で言い放った。
「そうだそうだ。育ちの良いお嬢様は知らないかもしれないが、平民の街では、たまにこういう事が起こるんだ」
にやにやして近付く男たちに危険を感じて私が後退ろうとすると、背中に何かが当たり慌てて振り向くと背の高い男が悪い絵笑みを浮かべて見下ろしていた。
前にも進めない。後ろにも戻れない……私に逃げ道はないの? 嘘でしょう。
そうこうしている間に、複数人のガラの悪そうな男たちが現れて、私は囲まれてしまった。
「通行料は、いくらなの……?」
震える声で私が聞くと彼らはどっと笑って、一人の男は失礼にも腹を抱えて道に転がっていた。
「さてね。とても払い切れないと思うよ。だって、お嬢ちゃんの命に代わるような、とてつもない金額だからね」
頭に傷を持つ男が冷静に言い放ち、周囲の男たちに目配せをしていた。
……私の命と引き換えだから、それなりの金額を寄越せってこと? いいえ。違うわ。彼らはこう言いたいのよね。
もうここからは逃げられないんだから、覚悟しろって事?
「あー! いっけないんだー……こんな公道で通行料を取るなんて、公的機関に話は通している?」
薄暗い路地裏に緊張感が高まっていた時、場違いなほどにのんびりした声が聞こえて来て、私だって驚いたし、周囲に居る男たちも驚いているようだった。
「……白猫の仮面?」
私が通って来た道から現れた男性は、白い猫の仮面を被っていて……こんなことを言ってしまうと彼に失礼かもしれないけれど、すっごく怪しい。
「仮面だと? なんなんだ。気持ち悪い奴だ。ここは見ての通り、取り込み中だ。よそを回ってくれないか」
「ここでお前を、殺してやっても良いんだぞ!」
「そうだそうだ! お前は一人でこれだけの人数に逆らう気か?! 何をすべきか、見てわからないのか。命だけは助けてやるから、さっさとどこかに行け!」
悪漢たちは仕事を邪魔されたと思ったのか、口々に彼を罵り凄んでいた。
一番近くに居た背の高い男が仮面の男に近寄って腕を取ろうとすると、まるで熱い鍋を不意に触ってしまったかのように、周囲に響く高い悲鳴をあげた。
「どっ……どうした!?」
「何か、妙な術を使いやがった! おかしい。さっさと逃げるぞ!」
危ない稼業を営む彼らは不慮の事態が起きた逃げ時を間違わないのか、全員が事前に示し合わせたかのように、同じ方向に逃げていった。
そこにポツンと取り残されたのは、白猫の仮面を被る背の高い男性と私の二人。
怪しい白猫の仮面を見て、ほんの少しだけ、私も一緒に走り出せば良かったかもしれないと思ってしまった。
「あっ……ありがとうございます?」
すっごくすっごく怪しい男性だけど、助けてくれたのは間違いないので、私はお礼を言ってスカートを摘まんだ。
「良いよ良いよ。何もしていない。あいつらが勝手に逃げていっただけ。それに、俺もここは、通り道だったからね。君は誰? ここから、どこに行くの?」
軽い口調で仮面の男はそう言い、助けて貰った事は確かだけど、この見るからに怪しい人に行き先を明かして良いものかわからなくて、暫し悩んでしまった。