02 聞きたくない事実
「リゼル……そう言えば、お前はエドワードの話を聞いたか?」
夕食終わりのお茶を飲んでいると、兄スチュワートから唐突に切り出された話題に、私は不思議に思いながらも首を横に振った。
自他ともに認めるほどに頭脳明晰なお兄様は、私と同じように金髪に緑の目を持ち眼鏡を掛けているけれど、それがとても似合ってしまうような知的で洗練された外見を持っていた。
血の繋がった妹なのに地味な私とは、人種が違うようなのだ。
フォーセット男爵家には使用人は少なく、役目を終えれば下がっている。両親は外国に出ているから、今はこの部屋には兄と私の二人しか居なかった。
後になってから気がついた。こうして、二人きりになる機会を、兄は待っていたのだと。
「いいえ。私は知らないわ。何の話かしら。お兄様」
このところ、エドワードに関して敢えて聞かれるような特別な出来事などは何も思いつかない。
本当に何も知らない私を見て、お兄様はため息をついてから伏し目がちに切り出した。
「年始に『令嬢ランキング』の順位が、発表されていただろう?」
「はい……首位は大方の予想通り、アイリーン様でした。昨年の『令嬢ランキング』のお話ですね」
サマヴィル伯爵令嬢アイリーン様は、社交界の華と呼ばれている美しい貴族令嬢で、彼女はわざわざ『令嬢ランキング』になど参加しなくても、王族たる王子たちでもぜひ自分の結婚相手にと選びそうな、全てを兼ね備えた女性なのだ。
だから、昨年の『令嬢ランキング』開催時には、『令嬢ランキング』の制度などは全く必要なさそうな人気ある彼女がエントリーしたことで大いに盛り上がったし、彼女が序列一位に決まった時にも、大方の予想通りの結果に国民は大いに湧いたらしい。
そんな華やかな女性は地味な私には何の縁もない人だと、そう思っていた。
けれど、違っていた。
「そうだ。その、アイリーン様がな。エドワードに求婚したそうだ」
「えっ……」
兄が伝えた出来事のあまりの破壊力に、頭の中は真っ白になってしまった。
社交界の華と呼ばれる、アイリーン様が? エドワードに求婚ですって……?
確かに条件や外見を見れば、二人はとてもお似合いで、ピッタリと釣り合うけれど……まさか。
……それに、エドワードと結婚するはずの私は一体どうなるの?
これまでに夢にも思わなかった事態の発覚を聞いて、何も言えずに固まってしまった。そんな私を見て、お兄様は痛ましげな眼差しを向けた。
「リゼル……未だ婚約者も定まらぬ王族を除けば、エドワードは特に身分も高く容姿も良い貴族で、一番人気の貴公子と言われているんだ。アイリーン様がエドワードと結婚したいと願い出ても、何の不思議ではない」
「けどっ……けど、エドワードはっ」
エドワードは幼い頃に、私と結婚するって……そう言って、彼は約束してくれたはずなのに。
兄は私の言いたいことを察したのだろう、小さくため息をついてから話を続けた。
「エディは幼い頃から知っているリゼルの事を、可愛がっている。それは、僕だって知っているし、誰もが認めるような紛れもない事実だ。わかるな?」
「はい……」
「だが、出会いの場である夜会にすら出ないお前には、求婚者なんて誰一人も居ない。それに、エドワード本人からも正式な申し出も未だにない」
兄スチュワートの鋭い言葉は、私の胸に突き刺さった。
社交界デビューを終えて、私は夜会に一度も出ていない。人が沢山居て華やかな場所は緊張するし、あまり好きではないと思った。
……ううん。本当は、知っていたのだ。
外見や社交技術を磨くことが当然とされる場で、こんな外見を持つ私は、どう思われるだろうか。
つらい事実だけど、傷つくから気を使って、これまでに誰も言わなかった事だ。
本人には言い難い、残酷な真実。家に引きこもって、趣味の編みぐるみを作り続ける、外見にだってあまり気を使わない価値の低い貴族令嬢。
……それが、私。
私自身は結婚を約束した幼馴染エドワードが居るから別に努力なんて必要ないと、目を逸らし続けていた現実だった。
「アイリーン様はどういう訳か、雨のように降る縁談には見向きもせずに、エドワードと結婚したいのだと求婚したんだ。いくら、アイリーン様だとしても『令嬢ランキング』で序列一位になるなど、どれだけの努力を要したと思う。リゼル。良く考えるんだ。お前とアイリーン様の二人が並んでいて、どちらがエドワードから結婚相手として選ばれると思う?」
「それはっ……」
真面目な表情で兄が言い出したのは、それこそ誰にでも答えがわかるようなしごく簡単な質問だった。
アイリーン様は並大抵の努力では上位者になることの出来ない『令嬢ランキング』に出てまで、適齢期を間近にしても未だ婚約者を明言しない公爵令息エドワードを指名して求婚した。
対して、家で読書や手芸を楽しむ私は社交界デビューを果たしているにも関わらず、決定的な言葉を言ってくれないエドワードのことを、ただ何もせずに信じていた。
彼が幼い頃にしてくれた約束を、きっと叶えてくれるだろうとずっと信じていたのだ。
自分では、何も言い出すことなく。それは、必要な事だとは気が付いていたのに……勇気を出すことが嫌だったからだ。
振り返れば……なんて、馬鹿なの。私ったら。エドワードがこんな風にあっという間に誰かに取られてしまうなんて、思ってもみなかった。
ましてや、自分には完全に無縁だと思っていた『令嬢ランキング』の上位者になんて。
「将来は公爵となるエドワードが、お前のように身分の低い男爵令嬢を、結婚相手になど選ぶはずはない。もしそうならば、既にリゼルとの婚約を申し出ているはずだ」
「それは……」
「ああ。リゼルを、可愛がってはいるだろう。幼い頃から長い間一緒にいるのだから、情はあるはずだ。けれど、それとこれとは別の話なんだ」
「お兄様」
聞きたくはなかった。そんな話。
まるで、胸の中が鋭いナイフでズタズタに引き裂かれるような、そんな残酷な話は。
二人の間にある身分差なんて気にすることはないと、信じられる純粋な子どものままで居たかった。
「いつまで、幼い頃の戯言を信じている。あいつは相手を選べる側の人気者なんだ。いい加減に目を覚ませ」
今思うと、兄スチュワートは幼い頃からエドワードに対し親しく接しながらも、どこかで線を引いていたように思う。
それは、将来公爵と男爵となる自分たち二人の間にある避けがたい身分差を幼いながらに感じ取り、適切に距離を取って、エドワードと付き合っていたということではないだろうか。
幼い頃にした他愛もない口約束を馬鹿みたいに信じていた私とは、全く違う。
兄が口にした厳しい言葉は、もっともで真実に近いのだろう。
けれど、それは今まで貴族令嬢として努力すべき何もかもから逃げ続けていた私の心を打ちのめした。
幼い頃の小さな約束だけを信じて、エドワードと結婚するのだと一人で夢見て、そう思い込んでいようと自分を甘やかしていたことに、ようやく気がついたのだ。




