006入門 失墜の黒姫さま
――5年前。
暗闇姫ヒマリ、9歳のとき。
北海道釧路市郊外。
釧路湿原(※指定公園)にほど近い荒れ地で、彼女は10体の勇者に加え、重火器を擁する50人のサジェス兵団に重囲されていた。
誰の目にも不利。
なのに、傲岸な面構えでそれらを見渡す。そして最後に目線を足元に落とした。
彼女のほかにもう一人、いる。
左半身に深手を負った魔法使、ココロクルリが泥濘にうずくまり、痛みに耐えている。
勢いに乗じて深追いし、まんまと敵の罠にかかってしまったらしい。
ココロクルリはこのとき、小学校6年生。
この時分、魔女七威の称号を与えられて有頂天になっていた。
その証拠に今回の道東攻略戦では、危険度の高い先遣部隊を自ら買って出た。
元来消極的でビビリな性格の彼女には考えられない事だった。
後輩の暗闇姫ヒマリとやらが先に【魔女七威】の称号を得ていたから、ライバル心を燃やしたのかも知れない。余計な気負いと言えなくもなかったが。
「何よ。無様なわたしを笑いに来たの?」
「さっさと転移で逃げや?」
転移はココロクルリの持つ【個体スキル】だった。
実在する住所か、一度行ったことがある場所なら自在に跳躍することが出来る。
「――いやよ。せっかく光の加護一団を追い詰めたのよ、このまま引き下がったら今までの努力がムダになるじゃん! それにアンタひとりに手柄を横取りされたら死んでも死にきれないわ」
この期に及んでもココロクルリは負けを認めない。どころか、まだ勝てる気でいる。
しかしヒマリが駆けつけなければ、とうに地上から消されていたろう。
「……そか。じゃあ、死ぬ覚悟で手柄を立てるんやな」
「……そうね」
小学生同士とは思えない会話を交わし、ふたりは背中合わせになった。
「ねえ暗闇姫さん。アンタと一緒に戦うの初めてなんだけどさ。本当に強いの? そんなひ弱な体格で、魔法の杖も持たないままで……」
「強いよ。きっと強い。少なくとも、魔女七威のココロクルリ先輩を驚嘆させるくらいには強い」
「はぁ?」
言った瞬間、事が起こった。
敵勢勇者10体のうち9体の頭上、そこに光る天使の輪が裂けた。
きれいに。真っ二つに。
「――なあっ?! その技、勇者必滅の法ッ?!」
驚愕の光景を目の当たりにしたココロクルリ。声がかすれて裏返った。
あわあわと口元がわなないた。
この技、ココロクルリは初見である。
というか、教本では見識っていたが、実在するものだとは思っていなかった。
「まだ子供のクセに……どうしてそんなに」
しかも。
詠唱無しの芸当であった。
ズルリ……とヒマリにしなだれかかる。
驚き以上に、決定的な敗北感を味わったあまり、脱力してしまっていた。
だが当のヒマリは唇を噛んでいる。
「失敗した」
「なっ、失敗?!」
「ひとり、逃してもーた」
50人のサジェス軍はせめてもの反撃のため散発的に発砲したが、魔女七威にはさすがに効くはずもない。
彼女らほどの者にダメージを与えられるのは唯一勇者、光の加護を得る者に置いて他にない。
恐慌をきたし算を乱して退却していった。
「待てや、英雄ども」
ヒマリは彼らが見せた背中にむかって火弾を撃ち込んだ。
「救世主を名乗るんなら最後まで格好つけんかい」
悲鳴を上げて逃げ散る彼らに悪態をつく。
フンと、冷えた鼻息を飛ばし、携帯を操作する。
「――ああ、シンクハーフ? 緊急や。ああ、それな、2つ用意して。今から行く」
口からどろどろ血を吐き出して息絶え絶えのココロクルリも、ブルつきながら携帯を取り出した。
負けじと赤くなった歯を食いしばっている。
「――ええ。デュクラス9体撃破。サジェスの残兵は追っ払ったわ。次はどこの地点に行けばいいの?」
ヒマリが眉をひそめる。
「マジか、ココロクルリ先輩。アンタ相当に毒が回ってんで?」
「――なあっ?! これ毒なの?!」
「サジェスは知恵の回る生きもんや。一撃を喰らわせたヤツの命を抜かりなく獲りに来る。残念やが、もうじき先輩とも昇天やな」
「なあっ?」
「30分以内に解毒剤でも使わんとジ・エンド。――けど。もし良ければ、わたしの解毒剤分けたろか?」
怒気と恥ずかしさで額と頬を赤く染めたココロクルリだが、感情を沸騰させるには意識がぼやけすぎた。
「コンノォ……持ってんならさっさと出しなさいよ」
「ベー。そんなんいちいち持ち歩いてるわけ無いやん」
「こっ……コイツ」
ヒマリ、肩を貸し、ココロクルリを立たせる。
「ところで次の合流地点はさっきわたしが聞いといた。北海道釧路市新栄町や。わたしもそこに連れてけ」
「この……クソ生意気な後輩……」
キッと目を吊り上げたが、それ以上の怒りを吐く元気は出せず。
はたまた荒野で野垂れ死ぬ気も毛頭無く。
「転移」
ヒマリを伴い跳んだ。
緞帳が降りて暗転。
すぐに転移先である新しい景色が展開された。
「――って何ここ、病院?」
「釧路の赤十字病院です」
救急外来の入り口で待ち構えていたのは、同じ魔女七威のシンクハーフだった。
ヒマリの要請で待機していた。
ココロクルリはこの、おっとりしていて愚図っぽく見える同志が好きでなかった。
なので、これまでほとんど口をきいたことが無かった。
「あーあ、騙された。ここ戦場じゃないじゃん、クソ」
「悪態つくな、先輩。誰も戦場とは言っとらん」
フラつきながら再び転移魔法を行使しようとするココロクルリの手を掴み引き寄せる。そしてそのままシンクハーフはギュッと彼女を抱きとめた。
「ちょっと?! 何よッ!」
「ひとまず大人しくして。そして黒姫さまが用立てた解毒剤を使ってください。戦地へ繰り出すのはその後でもいいでしょう?」
「黒姫さま……?」
朦朧と目を霞ませつつも、ココロクルリの身体に緊張が走る。
「コイツが……?! あの……?! ……黒姫」
暗闇姫ヒマリと目が合う。
――その名。
前の部隊でしょっちゅう聞かされた名だ。
「それ、もしかして。――この、暗闇姫ヒマリの通り名?」
「この解毒剤は黒姫さまの魔力で生成し、わたしが特殊な器具を使って精製したものです。なんやかんやでデュクラスの放つ光、わたしたちには毒気ですが、それにはこれが一番効きます。騙されたと思って服用ください」
今は通り名なんてどうでもいいと言った風に、ココロクルリの質問を無視したシンクハーフは、少しイラつき気味に、病院内のロビーに彼女を引きずり込んだ。
自動ドアの外に残された暗闇姫ヒマリが背を向けた。
「すぐに飲ませてやってくれってわたし、黒姫さまに頼まれました。何としても依頼を完遂しますので。わざわざあなた用に持ち出した薬もムダになりますし」
「ちょ、まって。あの子があの、のわる――がふっ?!」
おちょこほどの小瓶に入った水薬を二瓶、ムリから飲ませる。
途端にココロクルリの気分が寛解する。
ただその副作用で酩酊状態になった。
「むらになうって、どううーコトをっ。あたしはぁれつにィ、おんぃきあいからね!」
ココロクルリはいつの間にか姿が見えなくなった暗闇姫ヒマリをキョロキョロ探し、ろれつの回らない舌で悪態をついたが、その後すぐに寝てしまった。
「……やれやれ。一安心ですね」
しとどによだれを垂らすその寝顔は、安堵に満ちた、とても緩んだものだった。
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――時間軸を現在に戻す。
夏川ハナヲとココロクルリがシンクハーフの自宅にいた、ちょうどその頃。
暗闇姫ヒマリ、通称黒姫は、花園公園近くのコーヒー店内で、追跡していたデュクラスと遭遇していた。
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東大阪市松原南にある高校ラグビーのメッカ、花園ラグビー場から近鉄吉田駅の方角に歩いて5分ほどの場所に、愛知名古屋を発祥とするフランチャイズチェーン、コイダ珈琲店があった。
黒姫はその店で独り、注文した珈琲ジェリーの、やや溶けかかったソフトクリーム部分を眺めつつ頭を巡らせていた。
明るくモダンな店内はほとんどの席が埋まっていたが、控え気味のBGMが流れる中、一人客が多いせいか落ち着いていて静かで、彼女は誰にも邪魔されずに思考を働かすことができた。
――ヒサゲの情報によると、逃亡中の勇者は、まだ未成年らしい。
――やが、駆けつけた警官の手錠を引きちぎったとか。
――そんな怪力の持ち主が存在するんか?
――もしくは高レベルの加護の所持者か。
――やとしたら、かなり手強い。
――果たして今のわたしに倒せるやろーか。
――いや。可能や。倒せる。
今回黒姫は、自家製の魔装具を携行していた。
すべて全盛期の自分がシンクハーフと共同開発したもので、戦闘用も含めて超便利かつ有能なアイテムをずらりと準備している。
それと、魔女七威の証である赤紫鈴。
これには魔法使の魔力基礎代謝くらいの魔力エネルギーを蓄積する容量がある。
大雑把に表現すれば、モバイル魔力バッテリーのようなものだ。
彼女は普段から爪に火を点すように、僅かずつそこになけなしの魔力を貯め込んでいたのである。
言わば過去に積み上げた貯金を切り崩し(=アイテム)と、毎日の身を削る努力(=魔力消費の節制)の継続で、辛うじて魔女七威としての誇りを保ち、自己の職責を果たそうとしているのである。
ゆっくりとゼリーを口に運び始めた彼女は、スマホ画面に目を配った。
彼女の自慢の魔装品のひとつ【四神獣】のアプリを開いている。
彼女は待っていた。
待ち構えていた。
このアプリ、一言で説明すれば光の加護探知機となる。
青龍、朱雀、白虎、玄武の四神獣の姿を刻印したメダルを、花園公園を起点に半径一キロメートルの範囲で配した。
神獣メダルを結ぶ線をデュクラスが横切った場合、スマホにその場所が報らされる。
メダルのもうひとつの効用として、デュクラスは一時行動不能となる。
その場で足止めを喰らう。
静止命令という魔法が自動発動するのである。
網にかかった獲物を決して逃がさない、完璧な仕組みだった。
絶対の自信を持っていた。
「完璧に仕留めたる。満足に魔法が使えんでも役目は果たせるんや」
思考の発展を遮って通知が届いた。
姪っ子のハナヲからだった。
『今どこ?』
舌打ちして画面を閉じた。
再度ペロンと通知音。
『一緒に戦いたい』
口を真横一文字に結んだ黒姫は『必要なし』と返した。
気を取り直して珈琲ジェリーのほろ苦さを口に含み、ふと前に目をやった。
相席に少年がいた。
黒姫とさほど年齢差のなさそうな、ややヤンチャ気のある中学生風だった。
「ああ? 何その帽子」
少年の被る野球帽に冷めた揶揄をした。遠回しにナンパを制しようとした。
ここら界隈の中学生だろうか。
「あーこれは阪神タイガース」
「それは見りゃ分る。あっち行けって言ってんの」
深く帽子を被り直した少年は、黒姫の目前にメダルを置いた。
――白虎のメダル。
グニャリと二つ折りに変形していた。
スプーンを落とし、少年を眺め直す。
「アンタさ。魔法使だろ?」
「……」
「通じなかった? 魔法使だろ、アンタ? 魔法使なら、俺の言葉を理解できるよね?」
「……なんぞ用か?」
「あ、通じた。よかった。あのさ俺、人探ししてんだよね。だからわざわざ北海道から東大阪くんだりまで来た」
「人探しやて?」
「魔女七威の黒姫って女、知らない? 東大阪市に住んでるらしいんだけど?」
「……黒姫に何か用なんか?」
「俺、数年前にさぁ。両親をソイツに殺されちゃってさぁ。いちおう敵討ちってやつ? ……けどあの女、強かったなぁ。あのときは逃げるのに必死だった。だから修行して、俺も強くなったんだよ」
「そんな昔話、わたしには関係ない」
「関係あるって。アンタ昨日、花園公園でデュクラスと戦ってたなぁ。で、あのときいた金髪の女、アイツが黒姫なんだろ? ソイツの居所を教えろよって話」
黒姫、ゆっくりと立ち上がる。目を細めて身構えた。
「止せよ。お前みたいなザコに用はない。黒姫がどこにいるかさっさと教えろ」
「――なんで金髪女が黒姫やと思うんや?」
フッと笑う少年。
「あの女、確かに北海道にいた。情けない話だが気が動転していた当時の俺の記憶は不確かだが、あの金髪の色だけはしっかり覚えている」
「やったらなんで昨日、倒さんかった?」
「どんだけ強いか見物してやったんだよ。それによって手加減の度合いが変わるからな」
「どういう意味や」
「手加減しないとすぐに死んじゃうだろ? 殺す寸前まで痛めつけて、心底後悔させて、犯した罪を償わせてやるんだよ」
そのとき黒姫はようやく思い当たった。
店内に一人の客もいない。
焦って見渡したが店員すらいなかった。
「……アンタ、店にいた連中をどうした?」
「今頃気が付いたの? 当然浄化したよ。連中、これで救われたねえ」
「……本気で言ってんのか、それ」
「デュクラスに消されたミニュイはあの世を経由してサジェスに生まれ変わる。これほど幸運な事はないだろう? ――それに」
「――デュクラスに消された者は、この世からは完全に抹消される。存在自体が無かったコトにされる」
「だからさ。浄化したミニュイを偲ぶ者なんていない。親も子も兄弟も。ソイツの事なんて一切忘れるんだ。つまりソイツは最初からこの世に生まれなかったも同然だ。全く問題ないじゃんか」
黒姫、少年の胸ぐらをつかんだ。彼はそれでも平然としている。
「なんだザコ。消して欲しいのか? 忙しいんだ、早く言えよ」
「居所やと? 知らんわ。――いや、知っとっても言うか、タコ」
アコースティックギターの軽妙な音楽が流れる中、ふたりの睨み合いが続いた。
とても長い時間だった。
やがて、黒姫の手を払いのけた少年の方が折れた。
「そのコインよ、アンタが置いたのか? なかなか強力な結界だったぜ? 俺じゃなきゃあっさり捕まってたろうな」
少年が指を鳴らすとコインが4つの金属片に別れた。
これではもう使い物にならない。
「――もっともそんなド低レベルな魔装品なんぞ、俺ほどのデュクラスなら全くただのガラクタなだけだがな」
イヤミを残して立ち去った。
しばらく立ち尽くしていた黒姫、ドッと席に身を落とす。
手、足、肩……全身が震えていた。
さらには、真っ青になった頬にツーッと滴が伝う。
「なっ……?!」
その震えや涙が、心底の恐怖から来ているものだとは夢にも思わない。
彼女にとって、生まれて初めて味わう感覚だったのだ。
「どういう事だ……クソッ」
訳も分からずひたすら怒り狂った。
腹立たしく思えば思うほど歯の根が合わなくなり、ついに唇を噛んだ。
口の中に広がった塩味で気分を乱し、唸った。
食べ損じたグラスの中味はとうに崩れて、泥のように底氷に溶け混ざっていた。