001未就 阪奈道路女勇者遭遇事件
――3月後半のこの日、夏川父娘は、奈良観光をした。
県庁近くの駐車場に車を停め、興福寺の五重塔を横目に飛火野の鹿たちに戯れつつ、春日大社に参拝。
穏やかな白雲を支えるような構えの朱塗りの社殿をバックにして記念写真を撮り、神籤を引く。
その後は北に足を延ばし、まだ薄黄色をしたままの若草山の斜面を仰いでから観音院や法華堂、そしてお目当ての東大寺大仏殿、廬舎那仏を拝観した。
いわゆる奈良の大仏さんである。
満ち足りたふたりは散策を続け、南大門を抜けるルートで再び飛火野に鹿の群を訪ね、そのまま春日大社の参道を経由して猿沢池、さらに東向き商店街の街並みをぐるりと周遊してから車に戻った。
その後も車で平城宮跡にも寄ったのでずいぶんといい時間になってしまった。
遅めの夕食を近場のラーメン店で済ませると、帰りは直線のトンネルをひたすら進む第二阪奈道路ではなく、旧の阪奈道路を10年選手のマイカーでのたくたと走るルートを選んだ。
旧の阪奈道路は奈良と大阪をつなぐ自動車専用道路で、県境の生駒山(標高642m)の山肌に沿い、昭和の高度経済成長期に府道・県道の有料道路として開通。令和のいまは無料開放されている。
夏川家の自宅はその道路で山越えした、東大阪市内にあった。
夏川ハナヲとその父親は、まるで友だち同士のように仲が良い。
なぜか今のところ思春期特有の反抗期とは無縁だった。
車中は明るい声が飛び交い、盛り上がっていた。
「彩華ラーメン、メチャクチャ変わってたねえ!」
「天理のスタミナラーメンと似て非なりってとこかあ? 天スタよりもっとドロッとしてて、強めの塩味の裏に、仄かな甘みを感じると言うか……」
「わたしは定食についてた魯肉飯の味にはかなりビックリしたかなぁ。ワーイ、牛そぼろ丼や! と思って口に入れちゃったからさ。あんな独特の、香味が利いた料理なんて反則やし」
「次は本店の方にも行ってみような。今度こそ、【ヒマリ】も連れて、な」
「ウン。そだね。次はわたし、もっと強く誘ってみるね」
二人が話題にした【ヒマリ】とは、暗闇姫ヒマリという少女のことだ。
彼女は父親から見れば妹だが、娘の夏川ハナヲと同じ十四歳の中学二年生だった。
父は苦笑した。
「まったくアイツは……。反抗期なのか、意固地なのか」
ハナヲからすれば叔母にあたる彼女は、その歳で既に【魔法使】なる職業に就き、夏川家とは距離を取って独り暮らしをしている。
ハナヲは同い年の叔母を慕っているが、叔母の方はどうなのだろうか。
「お父さん、今日は誘ってくれてアリガトね。おかげで楽しい春休みライフ初日になった。三年生になったらもっとマジメに勉強して、少しでも成績上げて、ちゃんと高校に合格するからね!」
勉強が(ちょっぴり?)苦手なハナヲが珍しくヤル気を出している。
父が嬉しそうな、困ったような表情を浮かべた。
「……だな。ハナヲに負けず、オレもいっそう仕事ガンバルな」
ひた隠しているため娘は知らなかったが、父は先月、会社を辞めてしまっていた。
このところは、朝、それまで通り定刻に起き、支度し、出掛けてから、こっそりハローワーク通いを続けている。
合格したらしたで別の、経済的な悩みを抱える未来が待っている。
彼は、そんな思考をしてしまう自分が堪らなく嫌だった。
日記代わりの非公開SNSにもそう書き込み、気を滅入らせている。
今日は春から最上級生になる愛娘の気分転換を兼ね、自分自身の気晴らしも企図したのである。
雑談するふたりの乗った車が峠を越えて大阪府に入り、動物霊園手前の下り坂の360度カーブに差し掛かったとき、行く手にハザードランプを点滅させている車を見つけた。
その車は、二車線を塞ぐ形で横向きになって停車している。
それまで前後に一台の車も無かったので、自然ふたりの会話が止み、前方を注視することになった。
カーブの少し先には動物霊園の入り口があるが、夜間は閉鎖されている。迂回などはできそうもない。
「……あれ……? 事故かな?」
ハナヲの問いに、
「いや違うぞ。なんかヘンだ」
父親のつぶやきは、心なしか震えを帯びている。
とりあえずは可能な限り車を端に寄せ、停車させるしかない。
「わたし、見に行ってみる」
「や、止めとけよ」
なんで? と訊こうとしたハナヲを制して父親が率先して降車。
後尾に三角板を立て「オレが見に行く」と前方車に歩み寄った。
「ハナヲは車道から離れとけ。車より前に出るなよ」
のほほんと娘がついて来たので、怖い顔をつくって「待ってろって」と叱る。
どうやら父は「何か」を察している様子だった。
先導の車の運転席には誰もいなかった。
もう一度父は振り返り「ハナヲ、来るなって」と鋭く怒鳴った。
――が、父の背中に貼りついたハナヲが「お父さん! あれ!」と前方を指差した。
その方向には。
「あれは……ヤバイ」
父の「ヤバイ」は喉が詰まったように掠れ、ほとんど聞き取れない。
「ねえ! あれ、勇者じゃない?! 頭に天使の輪が浮かんでるよ?!」
「シッ、でかい声を出すな」
ひきつった掠れ声でハナヲの口を押さえる父。
先導車の、点けっぱなしになったヘッドライトに照らされたのは、紛れもない勇者――光の加護者――だった!
――勇者。
別称、光の加護の者。
つまりそれは、人の民にとっての救世主。英雄。神域の者。
しかし。
相手側、夏川ハナヲたち一般人にあたる魔物市民からすれば、最低最悪。悪魔的存在。
「ヒイッ、デュ、光の加護……、ハ、ハナヲ、逃げろ……!」
たぶん運転手だったであろう強面の男が、勇者と思しき【天使の輪を頭上に戴く者】、デニムの上下にロングブーツというごくありふれた出で立ちの若い女――に、頭部を掴まれ高々と持ち上げられていた。
「こんな……こんなところに人がいるなんて……」
「人どころか、――いーやサジェスじゃないっ、あいつは勇者なんだって! ボンヤリしてないで逃げろッ」
その間にも強面の男が光の蒸気となって消滅していく。
ブランとした下半身がビクビクと痙攣していた。
そして。地上に何の痕跡も残さず【無】に還していく。
この現象をハナヲたち魔物は、【勇者に捕食された】と表現している。
一方の人は、正反対に魔物を【浄化した】とか【神に召された】とか言い、その行為・現象を肯定的に、さらには崇敬の念をもって受け止め、重大で崇高なこの使命・任務を一途に勇者に委ねている。
なお勇者によって【浄化】されるのはミニュイだけ。サジェスはこんな仕打ちは受けない。
とにかく男は、勇者によって浄化された。
「お父さん、警察呼ばな!」
「そ、そうだな」
女勇者がふたりに顔を向けた。
「わああ、こっち向いたよッ、お父さんッ」
「ひいいいッ! ハナヲぅ」
その気をになって習得すれば別だが、基本、サジェスの言語はハナヲたちには通じない。
しかし彼女らが恐れ戦いているのは態度や様子で判るはずだ。
ビビり悲鳴をハモらせるふたりに、女勇者はニヤリと歯を剥き、スタスタと寄ってきた。残忍な意思を有しているのは明白だった。
――そのときだ。
消された強面の男がこの世に置き去りにしたライトバン、その天板が、ドオォン! と震動した。
「うひいいッ、おとーさあん」
「ハーナーヲー!」
「クュテ?! ニ、ニヌヨッ?!」
悲鳴のハーモニー。
その楽団員には何と、女勇者もそれも混じっていた。彼女も思わずビビったらしい。
見上げると、とある女の子がふんぞり返りつつ、仁王立ちしている。
中学の制服を着た、ふたりにとって見覚えのある子だった。
「ひいっ! ヒマリぃ? ヒマリじゃないのかっ?!」
驚かせた相手が妹のヒマリだと気付くと、父は明らかな喜色を浮かべて娘の肩を抱きよせた。
「助かったぞ、ハナヲッ! ヒマリが来たからにはもう安心だ」
「ウンッ」
ハナヲは叔母に当たるヒマリを仰ぎ見て大きく頷き、手を振った。
「おばさぁんッ!」
説明しよう。
ふたりの親戚にあたる暗闇姫ヒマリは、魔物の中で唯一光の加護に対抗できる【魔法使】なのだ。
しかも彼女は先の大戦で魔女七威に数えられた【大】魔法使なのだった!
「叔母さーんッ! 頑張ってぇ!」
「……オバサンゆーな。アンタとは歳が一緒やし」
「けど……わたしにとっては叔母さんやもん……」
「だから言うなって」
沈着冷静な叔母と手放しではしゃぐ姪。
ふたりが漫才を披露しているところに女勇者が襲い掛かった。
スキと見て取ったのだ。
いつの間にか、ヒマリ叔母さん(※ハナヲと同輩)は、右手に魔物退治用の剣、通称、モンスターキラーを発現させ、握っている。
グイッとハナヲの腕が引っ張られた。彼女の立っていた位置に剣が突き立つ。
さきほど消滅した強面男が所有していたライトバンに、「ぬうっ」と剣の柄が生えている。
「うひぃ」
「ボンヤリすんな。勇者に喰われるで?」
「ひ、ひゃいっ」
数歩引き下がり再び父にしがみついたハナヲは、為すすべなく叔母の戦いをただ見守った。
チョロチョロと逃げ惑うだけの大魔法使にイライラを募らせた女勇者は、左手をザッと天星にかざし、人語を唱え始めた。
一時的に動きの止まった女勇者。
それを見て取ったヒマリが鋭く口走った。
「今や。ココロクルリ」
「まっかせなさい!」
合図待ちしていたのか、もう一人、ココロクルリと呼ばれた少女が、横合いから突如姿を現した。
グンと女勇者に差し迫り。
「解放!」
端的に唱え切った呪文に女勇者が「ぎゃっ」と身もだえた。
魔法の起点主である少女、ココロクルリが、夜陰に輝く金髪ツインテールをさわりとそよがせ、女勇者の右手に触れた。
瞬時に、女勇者の右手首から先がこの世から抹消された。
人語で泣き叫び悪態をつきまくる女勇者。がこの場にいる者らには解せない。
「金髪さんッ、勇者の左手!」
そう叫んだのは夏川ハナヲだった。
最期のあがきなのか、女勇者の左手の平の、眩しく光った紋様が、すかさず駆け寄ったハナヲから発現された青白い、半透明をした壁と、正面からぶつかり合った。
たちまちのうちにハナヲが形成した魔法障壁が叩き割れたが、結果的には相討ちになり、光あふれる紋様がもろくも女勇者の手の平から宙空へと四散した。
ハナヲが、頬に冷汗を垂らしながらも左腕を横に振る。
するとなんと、見えぬ衝撃が女勇者を襲った。
呻きもなく地面にへたり込む。まさかだが、失神したようだ。
金髪ツインテールのココロクルリが唖然としている。
「ウソ、あなた……女勇者を倒したの?! 魔法が使えるの?! 魔法使でもないのに?!」
「わ、わたし……分からへんです」
怪訝に鼻をヒクつかせつつ、もう一度【解放】でトドメを刺そうとしたのをヒマリが止めた。
うなづき、素直に引き下がる。
「ふう。ヒマリ……有難う、助かった」
気配を消して引っ込んでいた父がすごすごと近付く。
怒るでもなく笑うでもなく、妹のヒマリが小さく頷き、金髪ツインテの少女の方に向き直った。
「――あ、この子、ココロクルリ。魔女七威のひとり。お兄ちゃんなら知ってるやんな?」
「当然だ。兄ちゃん、魔法使の大ファンだからな」
「お父さんウソばっか。叔母さんの活躍、ニュースで初めて知ったクセに」
「シッ。黙ってろ」
「やからオバサン言うなって」
「けど。わたしにとって叔母さんやし。――あ、今日さ。奈良に行ったよ? でさ――」
けたたましいクラクションとブレーキ音が、緊張の解けた会話を遮断した。
避ける間など無い。
巨大な影が一気に、ハナヲたちの車、さらに強面男のライトバンを呑み込んだ。
被せて煌々としたライトが、前方の彼女たちを威嚇する。
その巨大物体の正体は、大型トレーラー。
半秒後、つんざく衝撃音と地揺れが起こり、阪奈道路の路面に惨状が展開した。




