恋愛成就メイドの恋愛
意外かもしれないが、使用人とは転職の多い職種だ。
家の事情、職場の事情、季節の変わり目、引き抜きなどの理由で、メイドのような下位使用人は屋敷から屋敷へと移っていくのだ。
その際に、多くの場合紹介状が出る。次の屋敷を探す時には、それが助けとなるだろう。
しかし、私——ナタリア・ヒュームベルは少々事情が異なる。
無論、例に漏れず転職続きで、あちらこちらを行き来する根無草ではあるものの、私の場合は望まれてそうしているのだ。
人呼んで、恋愛成就メイド。
私に愛させられない女性は存在しない。
◆
「どうしましょう! どうしましょうナタリア! 彼がもうすぐ来てしまうわ!」
「落ち着いてくださいませ、お嬢様。もう一度、手順を確認なさいませ」
私がこの日仕えるのは、ヘンリエッタ・ゴールドバーグ男爵令嬢。若干十二歳にして、三つ年上のボードウィン伯爵子息に恋焦がれる少女である。
二人はこれから連れ立って、城下で流行りの劇を観にいく予定だった。
「ああ、ナタリア! 貴女は一緒に来てくれないの? 貴女さえいれば、こんなに頼もしい事はないというのに」
「まいりません。私がお供できるのは馬車のすぐ外までです。しかし、お嬢様には私の助けなど必要ありません。こんなに魅力的な淑女を捨て置く男性などいませんもの」
「ほ、本当かしら? 私は綺麗に見える?」
「ええ、もちろん! お嬢様が心配する事など、他の殿方にお誘いを受けてもキッパリお断りする事だけでございます!」
世間知らずの少女を立派な淑女に育てるのは、思いの外楽しい。
その上でお給金も出るというのだから、私にとっての天職がからなのだろう。
聞けば、ヘンリエッタお嬢様は首尾よく運べたという。
ボードウィン伯の好みを調べたり、街の流行を取り入れたりした甲斐があったというものだ。
私の仕事はそれで終わりなので、次の働き口が見つかり次第転職という流れになる。
一度の仕事で平均して三ヶ月。長くて二年で次の仕事だ。
もう十二年、こんな生活をしている。初めの仕事は十歳の頃だった。
産まれながらに人の癖を見抜く特技があった私は、どうすれば相手に好まれるのかを見つけるのが上手かった。
当時仕えていた屋敷のご令嬢に助言した事を機に噂が広まり、今では恋愛成就メイドと呼ばれている。
恋に恋する年齢の令嬢はもとより、娘を素敵な淑女にしたい教育熱心な奥様からも大変贔屓にして頂いて、幸い引く手数多だ。
しばらくは食いはぐれる事はないだろう。
そんな風に思っていた。
つまり、こんな生活がずっと続いていくのだと。
◆
「え? ラングマン侯爵家ですか?」
「はい。当家に直接打診なさいました」
執事はいつもの通り淡々とした口調で、私にとって不思議な事を言った。
ある程度大きなお屋敷では、使用人の管理は上位使用人に任せるのが常識だ。上流階級にとって、自らがどれほど働かないかはステイタスである。
「侯爵家からの打診は初めてです」
「ええ、そう伺っています。先方からもできるだけ気負わずにと伝言されていますよ」
「はは……気負わず……」
乾いた笑いがこぼれる。
気負わずになどいられるものか。
私が今まで仕えてきたのは、悪く言って令嬢の教育もままならない程度のお家だ。自由恋愛が許されているとも言える。
必然、高位貴族とは繋がりがなく、礼節だって自信はない。
しかし、それでも断る事などできない。私はあくまで使用人であり、相手はどう考えても貴族だからだ。
「つ、謹んでお受けいたします」
「ええ、そうされるのが宜しいでしょう」
表情の変わらない執事の目が、いつもより心なしか優しい。
緊張する私を憐れんだのかもしれない。
◆
ラングマン侯爵家。
昨年、武勲によって新たな領地と侯爵位を賜り、高位貴族の仲間入りをした新進気鋭である。新参を煙たがる古参は多いものの、確かな実力を示している以上邪険にはできないらしい。
「立派じゃない……」
調べれば調べるほどに、大変立派な貴族に思える。何か問題を抱えているのかと思ったが、どうやらそうではないらしい。
だとすれば、やはりわからない。私のような卑賎の生まれを家に入れて、何かあればどうするというのだろう。それとも、首打ちとするにあたってはむしろ都合が良いという事だろうか。
考えれば考えるほどに、わからない。
どちらにせよ私に選択肢はないものの、震えて待つのはどうにも居心地が悪かった。
そして、あれこれ考えているうちに、約束の日である。
まもなく社交界シーズンに入る、浮足立つ季節である。
「……ぅ」
ノックの前に、気圧された。
屋敷はまるで城のようであり、門から玄関までの距離にゴールドバーグ男爵邸が丸々一つ入るほどだ。
所詮田舎領地のカントリーハウスであるとみくびっていた。中枢から離れた領地は有事の際真っ先に戦火に飲まれる場所であり、すなわちそこを任される理由など信頼をおいて他にない。
「ご、ごめんくださぁい……」
声が小さくなる。緊張で裏返る事を恐れて、まるで声を張れなかった。
しかし、ノックの音に気がついたのか、若いメイドが一人扉を開けてくれた。
「ナタリアと申しますっ。本日からこちらで……」
「ああ、はい。じゃあこっちにどうぞ」
「え? は、はい」
あまりにも軽い口調に、少し驚く。およそ侯爵家で働く使用人のそれではない。
しかし、もしもこれがこの家の方針なのだとすれば、過度な礼節はむしろ不快にさせてしまうだろうか。
部屋に通されるまでの道中は、やはり外から抱いた印象と変わらず豪勢だった。
立ち並ぶ鎧。絵画。窓枠やカーテンにいたるまで全てが一級品であり、そのどれか一つの価値ですら私の命と代えられる。
こんな表を通されてしまって良いのだろうかと不安になり、もう足元を見て歩く事にした。少なくとも、それなら見るのは高級そうな絨毯だけで済む。
普通、これだけ大きなお屋敷ならば使用人用の通路があるはずだ。換気は悪く、窓も少なく、主人が決して通らない場所に。
本来その姿を見せない事が望ましいとされる使用人は、そこを通って屋敷の当たる場所を行き来する。
もしも主人と居合わせてしまったなら、どうしたら良いのだろう。まだ雇われてすらいない私は、どうしても場違いに違いない。
「おはようステフ」
「ああ、旦那様。おはようです」
「っ!?」
言わんこっちゃない!
「そちらは?」
「ナタリアさんだそうです。お約束の方って聞いてますけど合ってますか?」
あやふやなのに連れてきたの!?
本当なら、きちんと旦那様に確認をしてからお連れしなくてはならない。そうしないのは、きっと話が通っているからだと思ったが、どうやら違っていたらしい。
旦那様は、まだ年若いが頼り甲斐のありそうな偉丈夫である。
しかしその実ずいぶんズボラで、そもそもメイドの軽々しい言動を咎める事もしない。
これだけの規模のお屋敷なら普通、使用人の中で貴族と話をしても良いのはごく一部だけだ。
「ここからは私が案内しよう。君は仕事に戻りなさい」
「んじゃお任せします」
「…………」
軽く会釈だけして、ステフと呼ばれたメイドは駆けていった。
一応言っておくと、主人にはあまり背を向けないほうが良いとされている。
「驚いたかい?」
「え? あ、いえ……」
「隠さなくてもいい。顔に書いてある」
旦那様は微笑む。私は、少し恥ずかしくなった。
「彼女は戦争孤児でね。私が守りきれなかった領地の生まれだ。昨年の戦勝で取り返しはしたものの、帰ってくるものばかりではない」
「それは……」
言葉に詰まる。
「行き場がないというので、うちで働かせている。あれでも、随分と丁寧に話すようになった方だよ。来たばかりの時はオオカミと話しているのかと思ったものだ」
「…………」
驚いた。ラングマン侯爵は、思ったよりもお優しい方のようだ。
武勲によって名をあげたと聞いていたので、もっと無骨で、がさつで、ガハハと笑う感じなのかと思っていた。
たくましく、優しく、人格者で、私が見る限りでは顔も整っている。
まだお相手には恵まれず、跡取りは甥にあたるジュリアス様にと望まれているようだが、彼がその気になれば女性に欠く事などないだろう。
「……?」
「どうかされたかな?」
「あ、いえ……」
彼の顔を見て、違和感を覚えた。
微かな見覚え。もしかして、どこかで会った事があるのだろうか。
◆
「私の恋を成就させてほしい」
「は?」
うわ、旦那様に変な言葉使っちゃった。
「そんなにおかしな事を言ったか?」
「あ、いえ。男性からのご相談は珍しいもので」
実のところ、珍しいなんてものではない。この十二年で初めての経験だ。それに、今をときめくラングマン侯爵ならば、私の助けなどなくとも引く手数多だろう。
「女性からの依頼しか受けられないのだろうか?」
「いえ、そういった事は」
「そうか、なら安心した」
おかしいとは思っていた。
子のいないラングマン侯爵家で、一体何の仕事があるのだろうかと。
甥を養子にしているようなので、同じく女の子と養子もいるのかと思っていた。
だが、驚いただけで別に不都合はない。
むしろ、相手が女性ならば男性を相手取るよりはやりやすいだろう。
「差し当たり策を立てねばなりませんので、お相手がどなたか教えていただけますか?」
「ああ、それは勘弁してくれ。恥ずかしい」
「恥ずかしい……?」
あまりにも堂々と話されるので、繰り返してしまった。聞き違えたのかと、勘違いしたのかと。だが、どうにもそうではない。
彼は堂々と、はっきりと、恥ずかしいと言ったのだ。
「……では、どんな方なのかお聞きしても?」
「そうだな。確か好きな物はミートパイ、特技は裁縫と算術、基本的に虫の類は平気だが、唯一蝶のみ嫌いだとか」
「ずいぶんお詳しいのですね」
「君も十年を超えて一人の女性に恋焦がれればわかるさ」
相手の名前を言うよりも、この台詞の方がずっと恥ずかしく思える。
しかし、彼はなんとも楽しげで、幸福そうに話すのだ。よほど相手を愛しているのだろう。
「いや、私が好くとすれば男性ですが」
「そうか、そうか」
この微笑みを向けるだけで、相当数の女性は意のままだろう。もしもダメだというのなら、今回の仕事はかなりの長丁場を覚悟しなくてはならないかもしれない。
◆
「安易ですが、手土産は効果的です」
「ほほう、手土産か」
少々単純すぎる気もするが、相手が誰かもわからないのならそういった手から試すしかない。
「旦那様はすでにお相手の好みを知っておられるので、下調べの手間も省けます」
「なるほど。つまり裁縫道具やミートパイを渡すのだな?」
「そうなります。ちょうどそろそろ社交界シーズンなので、王都の良い店を紹介しましょう」
「助かる」
社交界が始まると、貴族は領地のカントリーハウスを離れて王都のタウンハウスへと移る。
もしもお相手を誘うとするならその時になるので、王都の店はおあつらえ向きだ。
「なら、タウンハウスに君も来てくれ。案内してほしい」
「え? いや、大通りに面した……」
「私は方向音痴なので言葉で説明されても行けないんだ。ぜひ案内してくれ。お礼にミートパイを好きなだけ奢ろう」
「ぅ……わかりました……」
こう言われたら仕方がない。
なにせ、私もミートパイが大好きなのだ。
◆
「おお、中々いい店だな」
来てしまった。旦那様とミートパイを食べに。
「好きなだけ食べるといい。今日のお礼だ」
「あー……はい」
意中の女性がいる相手と食事というのは、なにぶん居心地が悪いものだ。せっかくのミートパイも、その美味しさ二割減といったところだろうか。
この店のパイは、一般的それの三倍ほども美味しいので問題はないが。
フワサクのパイ生地に包まれたお肉は、驚異こジューシーさで私の身体に染み渡る。
合い挽きミンチに合わせられた玉ねぎとにんじんによって栄養バランスも最高で、なにより肉と野菜の相互作用によって互いの甘さを引き立てている。
どうにか家庭で再現できないかと試したが、どうしてもこの香りと柔らかさにならない。本職のそれは私風情とは格が違うのだ。
「そんなに喜んでくれたのならよかった」
「……むぐっ? あ、はい。ありがとうございます」
つい、味に夢中になってしまった。
こんな事はさっさと切り上げなければ、もしかすると彼の意中の人に鉢合わせないとも限らないのだから。
名残惜しいが、パイは三つだけで我慢しよう。あとは持ち帰りだ。
食べかけを急いで口に入れ、どうにかこうにか飲み下そうとする。
その時……
「おや、これはこれはラングマン候ではございませんか」
「!?」
不意に、声がかかる。女性の声だ。親しげだ。
あるいは、最も恐れていた事が起こったのかもしれない。
「ご機嫌よう、ハルハエスト侯爵令嬢。そちらもお食事かな?」
「ハリエットとお呼びになって。そんなところです。……そちらは?」
「…………むぐっ」
「私の友人のナタリア・ヒュームベルだ。ナタリア、喉に詰まらせてしまうからゆっくり飲み下すといいよ」
ハルハエスト侯爵家は、たしか豊富な野菜を特産品として国内外と取引を行っている貴族だ。今食べているミートパイの材料もいくらかはハルハエスト侯爵領の物を使っている。
ハリエットとは、その二番目の娘の名前ではなかったろうか。長男のヘンリーとその妻であるガブリエルは、二年ほど前に仕事で成就させた相手である。
……ハリエットの視線が刺さる。美人だが、気の強そうな少女だ。
「な、ナタリア・ヒュームベルです。どうぞよろしくお願いします」
「ハリエット・ハルハエストよ。握手はやめておきましょう。油で汚れてしまいます」
私は別に汚く食べてなどいない。
しかし、気にしてしまう理由は理解できる。
貴族の白い手袋は、自らが労働階級にない事の誇りである。その純白の下には、まるで天の羽衣のようにきめ細やかな肌で包まれた、細く美しい指が包まれている。
手荒れを覆い隠すために付けているだけの手袋とは大違いだ。つまり私のような。
「今日は彼女との食事なんだ。悪いが外してくれるかな?」
「! こんなっ……いえ、失礼しました」
何と言おうとしたのだろうか。『こんな奴』だろうか『こんな汚い』だろうか。どちらにせよ、否定はできない。侯爵令嬢である彼女と、一使用人である私とでは、その立場に天と地ほどの隔たりがあるのだから。
ハリエットが立ち去ったあと、私たち二人に会話はなかった。
気まずい。苦しい。
なぜ、私はこんなに悲しいのだろう。
寂しい。侘しい。
もしかすると、ひょっとすると、楽しかったのだろうか。それを邪魔されたから、気を悪くしているのだろうか。
「すまなかった」
「え……」
店を出て数分後、ようやくラングマン侯爵が一言つぶやいた。それに対する私の返事は、いかにも味気ない。
「勝手に友人などと紹介してしまったな。ハルハエスト侯爵令嬢は、きっと君をどこぞの貴族令嬢だと思ったはずだ」
「いえ、まさか……こんな貧相な貴族などおりません」
「ばかな……!」
ラングマン侯爵は声を荒げる。私が屋敷に来てから、こんな事は一度もなかった。
「いや、すまない。驚かせるつもりはなかったんだ」
「いえ、すみません。ミートパイはとても美味しいので、意中の方に差し上げてください」
仕事だ。私は、仕事でラングマン侯爵家に来たはずなのだ。
どうしてしまったのだろう。今まで、仕事でこんなに感情的になる事などなかったというのに。
今は、とても気分が悪い。落ち込んでいる。水を差されたからだ。
誰にだろう。ハリエットにだ。
何にだろう。ミートパイにだ。
しかしそれだけで、こんなに落ち込むものなのだろうか。
結局その日は、それだけで終わってしまった。タウンハウスに帰った後も、ラングマン侯爵との会話は終ぞなかった。
◆
身が入らない。仕事に。恋愛成就に。
私は、どうしたというのだろうか。
今までこんな事はなかったというのに。
「君は裁縫が得意だろうか」
「え? まあ、苦手ではありませんが……」
裁縫。実のところ、もう五年以上も手を付けていない。それに、裁縫を習うならば、意中の女性の方がよいだろう。
しかし、ラングマン侯爵に頼まれれば、不思議と力になりたいと思ってしまう。最適な言葉がかけられなくなってしまう。
「いや上手いじゃあないか。君は謙虚なんだな」
「いえ、こんなものはできているうちに入りません。昔はもっとできたのですが」
「そうなのか。これでも充分上手く感じるがな」
世辞がうまい。やはり、私などいなくとも恋の成就暗いわけなさそうに思える。
何でもそつなくこなし、この裁縫に至ってはすでに私より上手そうだ。
「件の女性に……お渡しするハンカチでも縫うのですか?」
たったこれだけの言葉に、何故言い淀んでしまうのだろう。自分の言葉だというのに、イマイチ理解ができない。
「ハンカチ自体はもうあるんだ。しかし、ちょっと古くなったので縫い直したいなと思ってな」
「そう、ですか」
本当なら、私がしておきましょうか、とでも言うべきだろう。私は使用人であり、彼は雇い主なのだから。
しかし、その言葉が出てこなかった。なぜか、そのハンカチを見たくないと思ってしまったのだ。
いや、現実逃避はやめよう。
この屋敷に来て一ヶ月。私は彼の依頼に応えられていない。
応えようと、努力していない。
彼の願いが叶わなければいいと思っているのだ。
一緒に食事をして、このように裁縫をして、話をして、共に過ごして、ようやくわかった。
好いてしまったのだ。雇い主を。あってはならない事だというのに。
◆
今日は収穫祭当日。この日は僻地であっても大変な賑わいとなる。
それが都市部ともなればなおさらで、道を歩くだけでも苦労するほどとなってしまう。
ラングマン侯爵領では見られない光景だ。
「ナタリア、今夜はひまかい?」
「暇では御座いません。使用人ですので」
「だとすれば暇だろう。うちの使用人は全て、午後から暇をやっている」
「……なるほど、それは私も暇になりますね」
いったい何のつもりなのか。意中の人がいながら、彼がその人物に会いに行った様子は少しもない。誰が相手なのかも教えてくれず、私の指示通りに動いてもいないらしい。そんな様子では、恋愛成就などできるはずもない。
ただ、それが不快ではない事も事実なのだった。
「今日はこの賑わいに乗じて屋台なんかも出るらしい。一緒に回らないか?」
「とても貴族の発言とは思えませんね。そういった事は想い人とした方がよろしいのでは?」
「それは……」
不意に、音が鳴る。
このタウンハウス中に余すことなく響く音だ。来客を告げるチャイム。使用人に暇を与えているのなら、屋敷にいるのは現在たった二人。主人に働かせるわけにもいかないので、私が来客の相手をする事になる。
話の途中ではあるが、お客を待たせるわけにもいかず、私は玄関に急いだ。
「はぁい、ただいま参ります」
声をかけながら扉を開くと、見覚えのある顔と声がかけられた。
「あら貴女。ラングマン侯爵のお家で何をしているの?」
「ハリエット様……」
「ハルハエスト侯爵令嬢よ。そう呼んでちょうだいな」
ハリエット・ハルハエスト侯爵令嬢。ミートパイの一件以来顔を合わせていなかったが、まさか家にまで来る間柄だったとは。
「ラングマン侯爵はいらっしゃるかしら?」
「あ、はい呼んでまいります」
「……貴女、まるで使用人みたいね」
しまった。
ハリエットには、ラングマン侯爵の友人であると紹介されたのだった。使用人然としていては、ラングマン侯爵の顔に泥を塗ってしまうだろうか。
まさか、侯爵が使用人と友人であるなどとは誰も思うまい。貴族であるならば、友立つ者は選ばねばならず、その選択肢として使用人はあまり良いとは思えない。
なんと返事をしてよいか分からず、私は固まってしまった。
「ナタリア、どうかしたのか?」
「ラングマン様~!」
私の困惑を察したか(無論、そんな筈はないが)、ラングマン侯爵が背後から助け舟を出してくれた。先ほどまで眉間に皺をよせていたハリエットは、俄かに乙女の顔になっている。
「ハルハエスト侯爵令嬢か。いったい何の用ですかな、約束もなしに」
約束なかったんだ。
「いえ、今日は収穫祭ですから。ご一緒に御祝できないかと思いまして」
「ほう、それは残念でしたね。私は今から、このナタリアと共に過ごす事に決めているのです」
「え……?」
この言葉に面食らったのは、ハリエットだけではない。私自身が、一番驚いてしまった。
今まで共に過ごしたのは、二人だけの時だ。ミートパイの時だって、友人であると説明した。
それは、私との間に特別な関係があるなどと思われたくないからだろう。
それを、貴族との約束よりも優先しようなどと。それでは、誰がどう見ても特別な関係ではないか。
「こんな使用人を一緒に過ごすというのですか?」
「彼女は使用人だが、私の友人だ。悪く言うのはやめていただこう」
「……ッ」
ハリエットは私を強く睨む。
「貴女は一体何なの?」
「わ、私はただの使用人でございます……」
「ふん」
機嫌悪く足を踏み鳴らし、ハリエットは帰路についた。およそ貴族令嬢の態度ではないが、彼女自身の性質を思えばむしろよく似あっているように思えた。
ハリエットを見送り、ラングマン侯爵に向き直る。
「旦那様、よろしいのですか!?」
「なにが?」
「絶対噂されてしまいます! ハリエット様は言い振らすタイプです」
「だろうな。しかし気にしなくていい」
気にしなくていいはずがない。ラングマン侯爵には、意中の相手がいるのだから。もしも私と噂されてしまったら、その方にも勘違いされてしまうだろう。
なのになぜ、侯爵はこうも落ち着いていられるのか。
その答えは、いたって簡単だった。
「私が好いているのは君だよ、ナタリア。十二年前からね」
◆
十二年前、私が初めて成就させた恋愛は、マクウィーニー男爵令嬢からラングマン伯爵子息への恋だった。
ラングマン侯爵家現当主であるウィリアムは、その弟である。
昨年の戦火で兄と父二人を失ったウィリアムは、幼い甥の代わりに当主の座に就く事になる。そして、かつて兄の大恋愛の立役者である女性を探し求めたのだ。
「それが君だ。初恋だった」
「何故そうと言ってくださらなかったのですか!?」
「……驚かせようかと思って」
「悪戯好きは変わりませんね!」
話を聞いて、全て思い出した。マクウィーニー男爵令嬢に仕えて訪れたラングマン伯爵邸で、遠くから私を見ていた幼子を。
多少慣れるとすぐにスカートを引っ張って悪戯をするようになった次男坊を。
「それで、結婚してくれるかい?」
「き、貴族が使用人と結婚なんてできるはずがありません」
「ジュリアスがものの数年で家を継げる年齢になる。そうなれば私は隠居の身だ」
「私はあなたよりも随分年上ですが」
「五歳程度なものだろう。何の問題が?」
何を言っても、全部返される。
何年経っても、全部愛される。
他人の恋愛にばかり口を出してきた私にとって、これは不慣れな問題だった。
しかし、実のところもう答えは決まっている。
あとは、それを口にするだけの勇気がまだないだけで。
「はい、と言ってくれるまで、私はあきらめないつもりだ。なにせ、十二年間、あってもいない君を想い続けていたくらいに諦めが悪いからな」
「ぅう~……」
しかし、時間の問題だ。
自分自身ですら、そう思ってしまう。
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