一月-9
貴博は真央を抱きかかえる。
真央は、はっはっはっは、と、小さな呼吸を繰り返す。
「真央、真央!」
真央はいっこうに目を開けない。
貴博は、スマホを取り出し、「119」に電話をかける。
「こちら救急……」
「人が倒れました。助けてください。お願いします」
「場所は……」
「函館造船電停から山側に来たところにあるアパートです。呼吸が、呼吸が小さくて……」
「落ち着いてください。呼吸はあるんですね……」
「あります。ありますけど、ですけど……でも!」
「そのアパートの目印を……」
プルルルル
「はい、西山」
「先生! 石川さんが搬送されて来ます」
「な、どういう状況?」
「部屋で倒れて意識不明。呼吸はあるそうです」
「脈拍は?」
「わかりません。ですが、呼吸があるってことは」
「わかった、これから行く。絶対に止めるな」
「善処します!」
真央の病室。真央は呼吸器をつけられ眠っている。
貴博は、真央の脇で祈るように手を合わせ、真央を見つめている。
「えっと、ちょっといいかな」
西山が貴博に声をかける。貴博は西山が近づいてきたことに気づかず、びくっと体を震わせる。
「は、はい」
「ちょっと、診察室へ行こうか」
西山は貴博を連れ出した。
「さて、状況を聞かせてほしいんだ。石川さんに何があった?」
「旅行から帰って来て、部屋に入ったところで倒れました」
「その前は?」
「洞爺湖のホテルから車に乗って、真央の家に送りました」
「……旅行?」
「はい。真央と一泊の旅行でした」
西山は二重の意味でため息をつく。
一つは、心臓がいつ止まってもおかしくない女性と一夜をともにしたこと。当然、何があったかは想像がつく。
二つ目は、その想像できることを、自分の尊敬する先輩の義理の息子が行ったこと。
西山としても、個人としてと医師としてで、おそらく結論は異なることは理解している。それに想像はつく。
「それは、石川さんが望んだからだね」
「はい。ですが決めたのは僕です」
前回真央が倒れたときに、西山は貴博に説明をしている。真央が望んで断れるとは思わない。断らなくても不思議ではない。
西山はもう一度ため息をついて、貴博に話しかける。
「えっと、草薙君だっけ。僕からお願いがある。絶対に自分を責めないでくれ。特に、石川さんの前では」
「何でですか? 僕がやったんだ。僕が真央を苦しめたんだ。僕が真央の命を削ったんだ」
「まあ、結果としてはそうかもしれないね」
西山は、医師として言ってはいけない一言を言ってしまう。
「だけど、それは、誰にも証明できないよ。だから違うとも言える。ただ、もしそうだとしても、それを覚悟したうえで石川さんが望んだんだ。だから、それに対して君が後悔することは、石川さんは望んでいないし、君が後悔したら、それこそ石川さんが後悔する」
「だけど、僕は!」
「もう一度言うよ。君は、石川さんが望んだことをやった。石川さんのためにやった。それを石川さんが責めると思うかい? 絶対に責めないよ。だからね、君はそんな顔をすべきではない。そんな顔をしていたら、石川さんが悲しむ」
「……」
「僕は医師だ。患者の命を助けることが仕事だ。だけどね、死ぬことを前提としてこうも思っている。それは、生に満足して欲しいということ。死にゆく患者には、なるべく満足して逝ってほしい。僕は、何人もの患者を見送った。生に満足できず、死を恐れて泣きわめく患者のなんと多いことか。仕事柄、患者を見送ってはいけない。というか、そうならないように全力を尽くして回復させる。だけど、見送らなければいけない状況にあっては、満足して逝ってほしいんだ」
西山は意を決して言う。
「草薙君、内藤信二という医者を知っているか?」
貴博は、はっとする。知っている。
「彼は僕の尊敬する先輩医師だ。当然、その娘さんも知っている。ねえ草薙君。僕はどうしたらいいかい? 尊敬する先輩の義理の息子の浮気を責めるべきかい? それとも、大事な患者のため、君を応援すべきかい?」
「……」
「ねえ、君はどうしたいんだい?」
「僕は、僕は……」
貴博の脳裏に、初めてセンターに来た時の真央の笑顔が映し出される。真央が夜景を見たときの笑顔が思い出される。真央が、花火を見たときの笑顔が……
「僕は、真央を、真央に笑顔を……」
貴博は泣く。
「真央に満足して逝ってもらいたい……」
「わかった。僕は医師として、君たちを応援しよう。もし、石川さんが帰りたいと言ったら、帰っていい。入院を勧めたりはしない。ただし、石川さんになるべく未練を残させないでくれ。君がしっかりして、安心させてあげてほしい。正直に言う。僕は患者には満足して逝ってほしいって言ったけど、僕には石川さんを満足させることはできない。それはきっと君にしかできない。だから、君に任せる。石川さんを頼む」
西山は貴博に頭を下げた。
「はい」
貴博は、それだけ答えて、診察室を出た。




