石川真央ー7
「さて、どうしますか?」
と高橋が聞く。この場合のどうしましょうかは、ちょっと否定的なニュアンスが含まれる。
「明るくてよさそうでしたよ」
と二ッ森が答える。
「ですけど、心臓を患っていて、それで季節によって環境が変わる中、肉体労働ですか?」
「まあ、そうかもしれませんが、本人がやりたいって気持ちを表しているわけですし」
「よくなっているとはいっても、病院に通っているわけですよね。定期的に休みを取るわけですよね」
「まあ、そうですけどね」
高橋と二ッ森が平行線の話を続ける。
そこへ貴博が突然立ち上がり、腰を折る。
「お願いします。彼女を雇ってあげてください」
貴博の行動に固まる高橋と二ッ森。
「草薙君が決めたのならいいんじゃないか」
あっさりと認める高橋。
「じゃあ、課長。手続きをお願いします」
と、二ッ森は部屋を後にした。
貴博は、
「課長、ありがとうございます」
と、お礼を言い、研究に戻った。
「あー、緊張した」
真央は、研究センターからてけてけと帰路についていた。
面接はどうだっただろうか。けっこう病気のことを聞かれちゃったな、それでだめってならなければいいけど。と、反省をする。でも、嘘はついていないつもりだ。結果として、嘘になってしまうかもしれないけど。
プルルルル!
「うわっ、えっと」
と、突然なったスマホをあわててリュックの中から取り出す。
真央にはほとんど電話がかかってこない。竹林工務店から仕事の電話がごくまれにかかってくるだけだ。
ましてや、こんなに早く研究センターから電話がかかって来るとは思っていない。
「はい、もしもし、石川です」
「あ、石川さんの携帯ですね。海の研究センターで先ほど面接をさせていただきました、高橋と申します。結果から申しますと、四月一日から来ていただくこととしました。この件について、よろしいでしょうか」
「は、はい。ありがとうございます。よろしくお願いいたします」
「それではですね、お手続きをさせていただきたいので、ご都合のいいときに……」
高橋は淡々と事務手続きについて説明していく。
「はい。承知しました。それでは近いうちにお伺いしますので、よろしくお願いいたします」
真央は、電話を切り、そしてしばらくスマホを見つめる。
「……やった。やった! よかったー」
真央は思わず喜びを声に出してしまう。そして、その場でくるっと一回転まわった。しかし、先ほど、高橋の説明の中で気になる点があった。
「勤めるときは、動きやすくて汚れてもいい恰好で来てください」
これって、私服でということだよねと。これまで会社の制服で出勤していた。だが、私服というと、実はあまり持っていない。土日にちょこっと出かけるときに着る服が少しだけあるだけ。シンプルでコスパの良い量販店のものだ。買い足さないといけないのだろうか。
真央は、古着の売っている大型店へと足を向けた。
「えっと、長靴のカタログはと。それと防寒着にカッパ……」
貴博はパソコンを操作して、カタログを検索していく。長靴は冬用を。確か、二十三センチと言っていた。それから、防寒着とカッパ。レディースのSサイズでいいだろうか。細身だったし、いいだろうな。防寒着は上下。カッパは防寒着の上から着ることが出来る薄手のものを選ぶ。薄手のカッパは値がはるが、着心地を重視する。厚手のカッパは夏に蒸れるのだ。それから、色。女の子だからって、赤とかピンクじゃないんだろうな。というか、今時性別で色を決めてはいけないな。となると、汚れても目立たないように紺とか黒系かな。
貴博は注文票を作っていく。そして、メールで総務課へ流す。後は、総務課が注文してくれる。
数日後、真央は再び研究センターを訪れる。
「はい。必要な書類はそろっていますね。それでは、四月一日からお願いいたします」
「あの、申し訳ないのですが、四月一日は病院に行きたいので午後からの勤務とさせていただきたいのですが」
「そうですか。それでは、十三時には間に合います?」
「はい。大丈夫だと思います」
「担当にも話しておきます。まだ有給休暇がついていないので、残念ですが、三時間の病休、つまり、無給となります」
真央は、ちょっとだけがっくりする。なぜなら、三時間とは言うのは三千円を超える。だが、仕方ない。
「わかりました。有給休暇はいついただけるのでしょうか」
「六月に三日、十月に七日つきます。それに加えて、六月から十一月の間に取っていただける特別休暇が三日あります。ですので、六月以降に十三日休むことが出来ます」
「わかりました。それでは、五月も同じように半日のお休みをいただきたいです」
「五月の分については、その時にでも手続きをお願いします」
「はい」
さらに三千円か。
がっかりした真央に気づいたのか、高橋がさらに説明を加える。
「六月三十日には、十分の三か月分の賞与がありますよ」
真央にとっては、それも大事な生活費だ。だが、六千円は仕方がない。自分の体のためだと割り切ることにした。
「他に何か質問とかありますか?」
高橋が聞く。
「いえ、特にありません」
「それでは、四月一日の十三時、少し余裕を持って来てください。よろしくお願いいたします」
「よろしくお願いいたします」
これで、真央の採用が決定した。
真央は、竹林工務店で三月いっぱいまで勤めることになっている。お世話になった会社だ。有給休暇も残っているが、なるべく出勤しようと考えていた。
竹林工務店では、三月二十九日に最後の出勤をし、社員一同から惜しまれつつ、真央は退職した。十五時には集まれる人が会議室に集まり、皆でケーキを食べた。真央にとってケーキは御馳走だった。おいしかった。
皆から言われたのは、しばらく働かないで雇用保険をもらったらいいんじゃないか、ということだった。確かにそれは考えた。それでも、真央は研究センターで働けることを楽しみにしている。なので、数か月休むなんてことは考えられなかった。面接のときに見たこと、餌やりをしたことなど、話をした。目をキラキラさせて。今日が最後になる同僚は、それを聞いて安心し、真央の再就職を喜んだ。
四月一日。真央は朝から病院に行く。いつもと同じ検査を行い、医師の問診を受ける。
「今日はいつもの制服じゃないんだね」
「はい。今日から勤め先が変わるんです……」
真央は気が付いた。あ、今日から保険証が違うはず。だけど共済保険の保険証はもらっていない。
「すみません。まだ新しいところから保険証をもらっていなくて」
「あとで会計と相談してみたら? 後日に提示してくれれば大丈夫だと思うよ」
「はぁ。よかったです」
「で、どんなところなんだい?」
「魚の飼育をするんです。小さな魚からこれくらいの……」
手を二十センチくらい広げて言う。
「二十センチくらいの魚なんです。餌をやると、嬉しそうにバシャバシャと食べるんですよ」
と、真央は嬉しそうに話す。
「そうかい。楽しそうなところが見つかってよかったね。体力的にどうかな」
「やってみないとわからないですが、六時間なので、大丈夫だと思っています」
「まあ、何かあったら、いつでも来なさい」
「はい。そうします。けど、何かあったら私、もうこれないかもしれませんよ」
「大丈夫だと思うから、あんまり心配しないようにね」
「わかりました」
真央は、会計で支払いについて 相談し、また、薬をもらって病院を出た。真央は、いつも通り市立病院前から市電に乗り、いつもとちがう、終点である函館造船前まで移動する。家に帰るときは山側だが、これから研究センターへ出勤なので海の方へ向かった。