八月-5
「どうぞこちらへ」
医師が二人に椅子を勧める。
「ちなみにお二人は、石川さんのどういったご関係ですか?」
誰にでも話をしていいことではないのだろう。
「二人とも、職場の上司です」
「そうですか。ちなみに、センセって呼ばれているのは?」
と、医師は貴博を見ながら言う。
「はい。僕です」
「そうですか」
と、医師は、そのことにはそれ以上触れてこない。
「石川さんの病状をどこまでご存じですか?」
医師は確かめるように聞いてくる。
「面接のときに、心臓病を患わっていること、病院に月に一度通うこと、今は大丈夫だということ、それくらいを聞いただけです」
貴博もうなずく。
「そうでしたか」
医師はうなずいた後に、続ける。
「実は、この春から石川さんの話し方がちょっと変わってきたと思ってたんですよ。何気ない話でも、抑揚がつくようになって、少し楽しそうに話すようになりました。そうそう。釣りを始めたと言っていました。本人はたんぱく源の確保だと言っていましたが、釣り自体が楽しいと言っているように感じました。私は、石川さんをずっと見てきていますが、新しい春からの環境が石川さんに合っていたと、そう、私も喜んでいます」
「えっと」
話がどこへ行くのかと、貴博が割って入る。
医師は、ため息をついて、そして、決断したような目をして言う。
「石川さんの寿命は、二十歳までのはずでした」
「「えっ」」
「そのせいか、石川さんはずっとあまり覇気もなく、ただ、死を待つかのように、淡々と生きてきたように見えました。それが、この春から変わったんです。それがいいことなのか悪いことなのかは、私には判断できません。石川さんが決めることです。でも、楽しそうにしているのを見る限り、よかったのだと、私は思っています」
「あの、真央は大丈夫なんですか?」
「さっき言ったように、石川さんはもう、寿命を超えて生きているんです。だから、いつその心臓が止まるかは、私にはわかりません。もしかしたら、それが今日だったのかもしれません」
「だった?」
「はい。今は、薬で何とか落ち着き、病状も安定しています。ですが、今日あったようなことは、今後、いつ、どのタイミングで起こってもおかしくないのです」
「治療法は?」
「基本的に移植だけです。ご両親がご存命の時は、それを目指していたのですが、無くなられた後、石川さんがそれを拒否しています。というより、そう簡単に適合する心臓が見つかるわけでもありません。それに、膨大なお金がかかります」
「そんな」
「なので、治療法はというと、これまでどおり、無理せず、平穏に、そして、生きることを楽しむ。というところでしょうか」
「それでは、うちでの仕事は今後、難しいとお考えですか?」
二ッ森が聞く。
「そこは、石川さんの判断だと思います。そちらでの仕事が、無理でもなく、平穏であり、そして楽しければ、続けてもいいのではないかということです」
医師は再び貴博に向き、
「石川さんはこれまで、未練を残さないように楽しむことを控えてきたように思います。しかし、春からの石川さんは、生に満足して死ねるように、楽しもうとしているように感じるんです。私がお願いできることでないのですが、もうしばらく付き合ってやっていただけませんでしょうか」
と、医師が告げると、貴博は、
「もうしばらくってなんだよ。真央は死なないよ。死なせないよ。ずっとずっと生きるんだ。真央は、真央は……」
貴博は泣き崩れてしまう。
それを二ッ森がなだめる。
「申し訳ない。失言でした。私も年を取って頭が固くなってきたのかもしれません。私の予想に反して、石川さんは元気に生きている。これからも応援していきたいと思っています」
医師は、そばにひかえている看護師に、
「お二人を病室に案内して」
と、指示した。
「では、こちらへ」
という看護師の声に促され、二人は立ち上がった。
看護師は、二人を連れて病室に入る。
「ちょっとお待ちください」
と、真央の様子を確認し、
「どうぞこちらへ」
と、二人を呼び寄せた。
そこには、何事もなく、ただ眠っているだけ、という感じの真央がいた。
「ま……」
と、貴博が呼びかけようとしたところで、看護しが「シー」と、人差し指を唇に当てた。そして小声で説明する。
「石川さんは、薬のこともあり、今は安定していますし、眠っています。目が覚めれば、今までと同じように動けるようになると思います。ただ、今日のように、いつ、何が起こるかわかりませんので、そのあたりをご注意いただけたらと思います」
二人は、頷く。
「それと、明日、退院されてもいいのですが、それは石川さん次第となります」
「というと?」
「石川さんが入院を希望されれば、引き続き入院ということになります」
「わかりました」
「ところで、今晩はどうされますか?」
「どうとは?」
「ここは個室ですので、泊まることはできるのですが、あの……」
と、看護師は貴博を見る。
「わかりました。我々は引き上げます。明日、何時に迎えに来てもいいのでしょうか。もちろん、石川さんが退院の意を示した場合ですが」
「そうですね、こちらからお電話します。連絡先は、先ほどの二ッ森様の方でよろしいですか?」
そこで、二ッ森は、貴博を肘でつつく。
「あ、私でお願いします。草薙です。電話番号は……」
二人は病室を後にする。
「草薙、悪いんだけど、センターまで乗せて行ってほしいんだけど」
「はい、いいですよ」
「救急車で一緒に来てしまったからな。荷物も何もかも、センターなんだ」
「わかりました」
二人は車に乗り込む。
「なあ、今後、どうする?」
「どうするも何も、石川さん次第ではないでしょうか」
「同じようなことが起こらないか?」
「そんなのはわかりません。そういう危険性も含めて、石川さんに判断してもらいたいです」
「自己責任ということか?」
「そういうと、なんか冷たく聞こえますけど、好きにさせてあげたいだけです」
「わかった」
二ッ森は、貴博に見えないように微笑んだ。
「部長、明日、石川さんはお休みでいいですよね」
「ああ。もちろんだ。だが、飼育は大丈夫なのか?」
「私、明日暇になってしまったので」
「わかった。休暇の取り消しとか取り直しとかは、適当に処理してくれ」
センターについて、二ッ森が車から降りる。
「あの三人に連絡を入れておけよ」
「はい。わかりました。帰ったら入れます」
貴博は、車を動かし、二ッ森をセンターへ送った後、借りているアパートへと帰った。
「石川さんは、落ち着いて、ぐっすり眠っていました。石川さんが望めば、明日退院できるそうです」
と、三人にラインを送った。
「よかった。でも、無理しないようにって、伝えてください」
「センセ、ありがとう。真央ちゃん無事でよかった。手伝えることがあったら言ってください」
「真央ちゃん、よかったよー。センセ、ありがとう」
と、それぞれから返事をもらった。




