石川真央ー2
二月上旬の月曜日。真央は休みをもらって病院へ行く。
真央は、函館市弁天町の少し山側にあるぼろアパートに一人で住んでいる。大家さんも高齢で、アパートを修理するつもりはないらしい。そのため、それなりに安く借りられているので、真央は満足している。とはいえ、それなりの古さ故に人気もなく、空き部屋が多い。
アパートを出て、函館造船前の電停から市電にのり、通っている病院まで一本で行くことができる。中央市立病院の電停で市電を降り、病院へ。
真央は、それなりに検査があるので午前中いっぱいかかってしまう。会社を休むのは社長と課長が許してくれるのでいい。課の他の人たちも協力的だ。しかし、検査の後に出される薬の金額にはどうにかならないかといつも思う。自分が生きるためだと割り切ってはいるが。
いつもは検査が終わり次第、会社に向かう。会社は万代町にあり、市電函館駅前からいつも歩いている。歩いても、まあ、三十分だ。軽い運動が必要だといつも医者から言われているので、ちょうどいいと思っている。
だが、今日は違う。午後も休みをもらった。今日はハローワークに行く。市電に乗って市立病院前から二つ家の方へ戻るのだが、真央は、二つか、と、歩き出す。
函館は北海道の一番南とはいえ、二月はやはり寒い。歩道にも雪が積もっており、歩きづらい。市電に乗った方がよかったかな、と思う頃にはもう遅い。残り一駅となっていた。
何とか、ハローワークにたどり着いた真央。ドアを開け、中に入り、とりあえず手袋を外して息を吐きかける。
真央は、実はハローワークは初体験だ。今の竹林工務店に拾ってもらったのもハローワークを通じてではない。よって、どうしたものかとたたずむ。
すると、親切なお姉さん、とはいえ、かつての自分の母親を超えるような人が声をかけてくれた。
「どうかなさいましたか?」
「えっと、四月からの仕事を探しに来たんですが、どうしていいかわからなくて」
「そうですか。ハローワークは初めてですか?」
「はい」
「いま、ちょうどすいていますから、こちらへどうぞ」
お姉さんは、受付に誘導してくれた。
そこでは、今勤めている会社のことをあれこれ聞かれた。もちろん、何でやめてしまうのかも。真央は、新しいことにチャレンジしたいこと、時間が欲しいから六時間くらいの勤務がいいこと。だけど、時給がいいことには越したことがないことなど、話をした。そして、休みがちであることも。
お姉さんは真央に言う。
「そんな都合も待遇もいいところって、官公庁くらいなのよ。むしろ、これまで勤めていたところの方が、いいんじゃないかしら」
と言って、パソコンをあれこれ操作する。
だが、真央は、動きを止めてパソコンを見つめているお姉さんが気になった。
「今見ているのは、どんな求人なんですか?」
「え? うーん。官公庁ではないんだけど、それに準じたところ。でもね、あんまり人気がないのよね、ここ」
お姉さんは、画面を真央に見せることもなく、悩んでいる。
「ま、見てみる? 今、プリントアウトするから」
お姉さんは、マウスを操作し、データを送信した。席から立ち上がってプリンターから紙を一枚持ってくる。そして、
「はい、これどうかな?」
と、真央に見せる。
「函館には、道の振興局も土現さんも国の開発さんもあるけど、みんな人気なの。そのせいで、すぐに埋まっちゃうし、なかなかやめないし。でも、そこだけは人気がないのよね」
真央は打ち出された求人票を手に取り、そして目を走らせる。
函館市立海の研究センター? 弁天町? 近いじゃん。勤務時間、週五日に一日六時間。これまでの八時間より短い。しかも時給が千円を超えている。
「これ、何で人気がないんですか?」
「業務内容見てみて」
真央は、求人票を見ていく。
研究補助員? 飼育作業員?
「これ、なんです?」
「海の研究センターはね、水産の研究をしているんだけど、特に、魚の飼育実験をしているの。魚の飼育って、どんなところでするか知ってる?」
「えっと、もしかして、海の中ですか?」
「あはっ。さすがに違うわ。建物の中だけどね、暖房もエアコンもないんだって。だから、夏は暑いし、冬は寒いしで、人気ないのよ」
「この研究補助員っていうのは?」
「私にはわからないけど、何か研究のお手伝いをするのね、きっと」
真央は悩む。場所、時間、時給、どれも魅力的だ。しかし、それにもかかわらず、人気がないのはそれなりの理由があるはず。
「人気がないのは、暑かったり寒かったりだけですか?」
「うーん。ちょっと待ってて」
と言って、お姉さんは、隣の受付に声をかける。
「何か聞いてる?」
「そこね、前に勤めていた人が言うには、結局、餌やりと水槽掃除、洗い物のオンパレードで、海水でぬれるわ汚れるわで、あんまりやりがいを感じないらしいのよね」
「そうなんだ。ありがとう」
お姉さんは真央を見て言う。
「そういうことらしいわ」
「お休みとかはもらえるんでしょうか」
「そういうところは大丈夫よ。公務員に準じているだけあって、年休、最初はちょっとだけかもだけど、もらえるわ。福利厚生もばっちりよ。それに、ここ、ボーナスもでるの」
お姉さんは、はぁ、とため息を一つつき、
「それで、なんで人気がないのかしら」
と、言った。すると、隣のお姉さんが付け加える。
「ここ、一年契約しかしてくれないし、最長で五年間なのよ。だから、ずっと勤めることはできないわ」
真央は思う。もう寿命はマイナスなのだ。五年間も勤められるかどうかすらわからない。気になるのは、自分が死ぬことで迷惑をかけるかどうか。
「仕事が合わなくて、やめてしまうのはありですか?」
「あー、ここね、そういう意味では結構ドライでね、全然問題ないわ。こういう言い方は悪いけど、しょせん公務員もどきなの」
隣のお姉さんは小声で言う。ハローワークも同じだからだ。
「だから、会社はつぶれないし、ノルマがあるわけじゃない。だから職員も余裕があって、そういうのはあまり気にしないみたいね」
真央は、ちょっとだけホッとする。
「ここを希望するとしたら、どうしたらいいですか?」
お姉さんは求人票をもう一度見て、
「面接が三月上旬ね。だから、それまでに、ここに履歴書を持ってきてくれる? そうしたら、こっちから海の研究センターに連絡を入れるわ。その後で、面接の日程とか、こっちから石川さんに連絡するから」
「わかりました」
「えっと、悩んでからでいいからね、履歴書を持ってくるの」
「はい」
真央は、お礼を言って、ハローワークを後にする。
歩いて通える、九時から四時までの六時間、時給が千円オーバー。しかもボーナス付き。福利厚生はしっかりしていて……なんで人気がないのか。
とはいえ、ちょっとだけ気になること。それは、生き物の飼育。
真央は、子供のころ動物園も水族館も好きだった。それを知っていた両親はよく連れて行ってくれた。だけど、真央が大きくなり、お金がかかるようになり、旅行もいつしか行かなくなり、そして、両親が他界した。
生き物の飼育。ちょっと、憧れる。どんな生き物を飼育するのだろうか。
近いうちに死にゆく自分。そんな自分が生き物を育てる。生をつむぐ。真央は、応募してみようかと考える。
真央は知らない。そこで育てられる魚がすべて死にゆく運命だということを。




