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四月ー5

 真央と貴博は、二人でバケツを覗き込む。


「大きいクロソイだな。三十センチは超えているな」

「ほんと大きいです。三日分、いや、五日分はあります」


 と、食事の回数で大きさを計る真央。


「あはははは、真央は、そうやって魚の大きさを計るんだね」


 貴博は思わず笑ってしまう。


「もう、センセってば。だって、あらで鍋が一日、右のお肉で二日、左で二日です。でも、贅沢をすれば三日分です」

「せっかくだから、大きく食べたらいいんじゃないかな。初めての釣果だし」

「はいっ。そうします」

「じゃあ、これ、食べること決定でいい?」

「はい?」


 真央は疑問符を浮かべる。


「うん。血抜きをしちゃうから」


 と、はさみを取り出し、クロソイのえらをチョキンと切った。


 その瞬間、バケツの中が赤く染まる。

 真央は、「うっ」と思ったが、おいしく食べるために必要なのかと、その様子を見ていた。

 クロソイが落ち着いたころ、


「そろそろいいかな」


 と、貴博は、ビニール袋を二重にして持ってくる。

 そして、クロソイをその中にいれて、真央に


「はい」


 と、渡してきた。

 真央は、それを受け取り、魚の重さを実感する。

 貴博は、バケツやタモ、竿などを片付けていく。


「何か手伝います?」


 と、真央。


「うん? もう終わるからいいよ。真央は帰って魚の処理をしたら?」


 と、貴博は帰宅を促す。


「でも」


 と、結局、真央は貴博が片付け終わるまでそこに立っていた。


「待っててくれてありがとう。じゃあ、帰ろうか。真央はどうする? 僕はこのまま帰るけど、電停のあたりまで乗っていく?」


 真央は、ちょっとだけ悩んだが、


「じゃあ、電停までお願いします」


 と、乗せて行ってもらうことにした。



 電停脇で真央は車を降りた。そして、走り去る貴博の車を見つめる。

 車が遠く離れてしまったところで、真央はアパートに向かって歩き出した。

 今日は、鍋だ。あ、白菜がない。でも、キャベツでいいかな。なんて考えながら。

 それにしても、初めてやった釣りは面白かった。あんなふうに魚とのやり取りがあるなんて知らなかった。魚がひいたら我慢。魚が休んだらこっちが糸を巻く。それを教えてくれたのは貴博だ。後ろから真央を抱くようにして手を包み……そこまで思い出して、真央は自分の顔が赤く熱を帯びていることを感じ、顔をぶんぶんと振って熱を冷まそうとした。

 函館の四月はまだ寒い。だが、なかなか冷めるものではない。

 ここまで生きてきて、異性に抱かれるなんて、父親だけだろう。だけど、たぶん当の本人は何も考えていないに違いない。面接のときにも、集中するとうんぬんと、部長が言っていた。まあ、何も覚えていてくれない方がいいな。その方が気まずくならなくて、と、真央は顔の熱を冷ますことに集中した。



 何事もなく、翌日が訪れ、何事もなく、仕事が始まった。

 昼。四人でテーブルを囲んで昼食をとる。

 その時、桃香が気づいた。


「真央ちゃん、いつも真っ白のおにぎりなのに、今日は色がついているね」


 と。真央は確かに色がついたおにぎりをほおばっていた。しかも、いつもより三割増しの笑顔で。だから桃香は気づいた。


「え? おにぎりですか? 実はですね、今日はタイ飯ならぬソイ飯なのです」


 真央は、昨日あら汁にしようと思ったものの、結局野菜が足りず、ソイ飯にチャレンジした。それなら、米だけでいける。炊いたご飯からソイの骨を取り出し、身をほぐして混ぜ込んだ。その残りだ。

 味のついたご飯はおいしい。


「電子レンジでちょっとあたためたらいいのではないです?」


 と、恵理子が提案する。


「おー?」


 真央は、二つ目のおにぎりを電子レンジに放り込んだ。


「おいしいです。おいしいです」


 と、真央は温めたソイ飯握りを平らげた。

 いつものように薬を飲んでいると、


「昨日はいいソイが手に入ったの?」


 と、千里が聞いてくる。

 真央は、ちょっとだけ目をそらして、


「昨日ですね、実は、測定していたスケトウダラが欲しくてうろうろしてたら、センセにダメって言われたんです」

 あー、とうなずく三人。持って行っていけないことを知っていた。


「それでしょげていたら、センセが、目の前の海でソイを釣らせてくれたんです」

「そうなんだ。それはよかったわね」


 恵理子がいう。


「面白かったんです。初めての釣りだったんですけど、こんな大きな魚が釣れて」 


 と、手を広げる真央。


「これで今週のたんぱく質は確保できました」

「あはははは、真央ちゃんおかしー」


 三人は、真央に身寄りがないことを知っている。真央が一人で暮らしていることを知っている。だから、真央がたんぱく源にこだわることを笑ったりしない。ただ、真央が楽しそうにしていることが、同僚として、友人としてうれしいのだ。


「今日も釣りをするの?」

「ううん。一週間もつから大丈夫」


 魚は欲しい。だけど、あんまりセンセに迷惑をかけてもいけない。いざというときに竿を借りよう、と真央は思っている。ただ、そういうことに目ざとい桃香が真央に聞く。


「真央ちゃん、ちょっと顔が赤い気がするけど、何かあった?」


 えっ? と真央はびっくりする。顔が赤かった? もしかして、無意識のうちに昨日のことを思い出してしまったのか?


「何にもないですよ?」


 真央は動揺を隠すように言う。


「真央ちゃん、草薙さんは妻子持ちだからね。それに、それ、つり橋効果だから」


 恵理子が真央に忠告する。桃香は、にやにやとしている。真央は、何を言われたかを理解した。全くそんなことは考えたことがなかった。自分には恋愛すら、人を好きになることすら、その資格がないと思っていたし。


「そんなんじゃないです。そんなことはないです。ただ、初めて魚が釣れて、魚を釣ってうれしかったんです」


 真央はほほを膨らませる。ちょっとだけ染まったほほを。


「だよねー、ごめんごめん。冗談だから」


 と、桃香が笑うと、皆もつられた。

 そうか。センセは妻子持ちなのか。気にしたこともなかったけど、知ってしまうと気になったりする。まあ、自分としてはどれだけ命がつなげていられるかわからないのだ。やっぱりそんなことはどうでもいい。そう考え、真央は気づかれない程度に顔を振って意識を変えた。



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