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石川真央ー1

 某年一月末。


 カタカタカタ……


「石川さん、この見積書もお願いできる?」

「はい。大丈夫です」


 カタカタカタ……

 ピピピ、ポポピ……


「こちら、竹林工務店の石川と申します。注文を願いしたいのですが……」


 カタカタカタ……


「はい、ええ、見積もりをお願いします。はい。竹林工務店です。はい。来週頭ですね。どうぞよろしくお願いいたします」


 ガチャン。

 カタカタカタ……


「課長、青木食品さんへの見積書です。確認をお願いします。フォルダに入れておきました」

「ありがとう。見てみるよ。修正はないと思うけど、あったらやっておくから」

「はーい」


 カタカタカタ……


「石川さん、石川さーん」

「あ、社長、なんでしょうか」

「ちょっと会議室にいいかい」

「えっと、五分後に行きます。それでいいです?」

「ああ、それでいいよ」


 カタカタカタ……


「ふう。課長? ちょっと社長が呼んでるので、席を外します」

「わかったー」



 石川真央、二十三歳。真央は、この一月で二十三歳になった。


 真央は竹林工務店の事務課アルバイトとして雇われている。事務課と言っても、課長を含めて四人しかいない。


 竹林工務店は、地域の工場に対して、設備の修繕などを行っている。

 この地、函館市は漁業の町である。それゆえ、加工工場が多い。しかも、古くて規模の小さな加工工場が多い。そんな小さな工場には、竹林工務店のような小回りの利く機械整備会社が重宝されている。



 社長はもうすっかり髪がなくなったおじいさんに片足を突っ込んだような人で、ワイシャツにネクタイ、竹林工務店と書かれた作業着を着ており、この会社は親の後を継いで経営している。

 本人も地元函館工業高校を卒業し、若いころは函館の工場を駆け回って機械の修理をし続けた。そのため、函館の水産業の発展に貢献したと、飲むたびにくだをまく。

 さらに昔は、それなりに悪かったらしく、そのせいか、竹林工務店は、問題を抱えた、例えば犯罪歴があったり、引きこもり経験があったり、という若者を積極的に雇用している。

 真央も問題のあった一人である。悪かったわけではない。


「石川さん。そっちに座って」

「はい」


 社長は、ソファを勧める。

 真央は、三人掛けのソファの真ん中に座る。


「小さな会社でわるいね。こんな時にお茶を出してくれる人もいない」

「あ、いれてきますか?」

「あ、いい。そんなつもりで言ったんじゃない。実は相談があったんだ」


 社長は対面のソファに座って、腕を組む。


「石川さん。ここにきてもうすぐ五年だね」

「はい。ありがとうございます。高卒の私を拾っていただきまして」

「いや、石川さんの働きには満足しているよ。あれもこれも押し付けちゃってごめんね、うちのバカ息子が」


 社長の息子は、事務課の課長をしている。工業高校ではなく、商業高校の出だ。ただ、真央は思う。バカ息子というほどではないのではないかと。仕事は均等に振ってくるし、作った書類はすべて目を通して確認をしている。指摘されることは適格だ。取引企業からクレームが来たことはない。少なくとも真央には。


「それで、五年も経ったことだし、どうだろう。パートは卒業して、正社員になってみないかい。まあ、うちみたいなところじゃ、あんまりお給料は変わらないと思うけど」


 うーん。と、真央は考える。とはいえ、考えるまでもない。


「社長。ありがとうございます。お心は本当にうれしいです」

「そうかい」


 社長は笑みを浮かべる。しかし、


「ですが、申し訳ありません。せっかくの機会ですので、こちらから」


 真央は、ソファから背を離し、背筋を伸ばすと、


「この三月で退職させていただけませんか」


 と、お願いを発し、同時に胸ポケットから、退職届を取り出した。

 真央は、年があけたころから、ずっと胸に退職届を忍ばせていた。パートにそれが必要かはわからなかったが。


「え、なんでだね。何か不満でもあるのかい? お給料だったらごめん。ちょっとだけでも時給を上げてもらえるように、息子に言うかい?」

「いえ、決して、この会社の待遇に不満があるわけではないんです。ただ……」


 真央は言いよどむ。社長は、真央が言葉を発するのをじっと待っている。


「社長、社長は御存じですよね、っていうか、知っていて雇ってくださったんですよね。本当に感謝しています」

「その病気のことかい?」

「はい。これまでも定期的にお休みをいただけてましたし、おかげで毎月病院にも通えています。具合が悪くなった時に、急にお休みをいただいても、嫌味の一つも言われません。とても居心地のいい会社でした」

「な、ならどうして?」

「はい。社長もご存じのとおり、私の寿命はすでにマイナスに突入しています。それに、具合の悪くなる日も増えてきました。なので、これ以上この会社にご迷惑をおかけしたくないというのが一つ、もうちょっと勤務時間の少ないところに勤めようかと思っているのが一つ、それから、せっかくなので、何か新しいことをやってみたいというのが一つです」


 社長は、黙って聞いている。


「マイナスに突入したからと言って、私は生きていますし、生きている以上、病院に通わないといけません。だから、働くことをやめることはできません。ですけど、残りどれだけかわかりませんけど、新しいことをやってみたい、というのと、もうちょっと勤務時間の少ないところを探そうかと」


 真央は、理由を繰り返して言った。


 真央は生まれたときに、心臓疾患が見つかった。両親はそれを憂いて真央一人を、真央一人に愛情を注いで育てた。手術費用も結構な額だった。毎月の医療費もそれなりだった。

 倒れては入院をした。

 両親は、真央を育てるため、真央に愛情を注ぐため、真央に生きてもらうために、二人で働いた。

 祖父も祖母もどちらもすでに他界しており、サポートは何もなかった。そんな両親もあっさりと、真央が十七歳、高校二年生の時に事故で無くなった。

 それ以来、真央は一人だ。


 社長は、そんな事情を知っていて、十八歳の真央を雇った。その時、真央の予想された寿命は後二年。それを知ったうえで雇用した。

 それが、寿命を超えてもう三年も生きている。


「わかった。君の人生だ。好きに生きなさい。ただし、困ったらいつでも来てくれ。吹けば飛ぶような会社だが、チームワークは函館一だと思っている。みんな、君を助けることに異論をとなえることはないだろう」


 社長は、そっと退職届を胸にしまった。三月末まで開けることはしないと誓って。


「社長、それじゃ、仕事に戻りますね。あ、それと、二月中にハローワークへ行きたいので、年休を少し使わせてください」

「わかった。課長には言っておく。がんばりなさい」

「ありがとうございます」


 真央は、会議室を後にして、自分のデスクに戻った。


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