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……もう限界だ。耐えられぬ。



 執務室に1人でいた吾輩は、ガラス窓の前に立っていた。


 窓の外は豪雨で、時折雷も鳴っている。


 ……雨の日は嫌いだ。


 窓を姿見代わりに髪の毛を整えながら、吾輩は苛立っていた。


 灰色の髪は、生まれつき捻じれている。


 部下たちは「獅子ししのように雄々しい」と褒めてくれるが、いちいち整えるのが面倒なので、正直なところ全て剃ってしまいたい。


 リリスが泣いて止めるので、思い留まっているが……。


 漆黒の角に絡みつく髪を解きながら、ため息をつく。


 そうしていると、扉を叩く音が聞こえた。


「入れ」


 素知らぬ顔で振り返ると、ひとりでに扉が開いた。


 数拍の後、ゲオルの姿が現れる。


「誰にも見られずに来たか?」


「……はい。幻惑魔術を三重展開しましたので、幹部であっても気付けないかと」


 吾輩は頷いてから、執務机の椅子を引いた。


 腰を下ろし、机の上で指を組む。


「ゲオルよ。お前に、極秘任務を命じる」


 内密に執務室へ来るよう命じられた時点で、既に予期していたのだろう。驚いた様子もなく、ゲオルは真剣な表情を浮かべている。


「――邪神の戦闘能力を調べてほしい」


 続く言葉にゲオルは目を見開いた。


「邪神様の……まさか――」


 吾輩は深く頷き、拳を握りしめた。


「この5日間、吾輩は耐えてきた。名を呼ばれるたびに馬鹿にされている気分になり、人類どもに笑われていることを想像するたびにはらわたが煮えくりかえり……そして、屈辱に歯を食いしばりながら、何度も、あの小娘に、頭を垂れてきた――」


 その時、薄暗い執務室を、青白い光が照らした。


 少し遅れて、雷鳴が轟く。


 音が消えるのを待って、吾輩は自らの決意をゲオルに伝えた。


「……もう限界だ。耐えられぬ。口で言って聞かぬのなら、力でもって従わせるほかあるまい」



 ――



 調査を命じて3日後、吾輩とゲオルは再び、2人きりで執務室にいた。


「こちらが報告書です」


 数枚の紙には、黒い文字がぎっしりと書かれている。


 ゲオルは片手に開いた手帳に目を落としながら、淡々とした口調で語り始めた。


「1日目、魔女ウィッチとともにお菓子作りを――」


 ゲオルはこの3日間、あらゆる面で邪神の戦闘能力を調べてくれたようだった。


 麻痺薬や去魔薬などの毒は全て無効。ただ、辛いものは苦手らしく、辛子をたっぷり入れた饅頭を食べた時は、涙目になっていたらしい。


 花摘みの最中に蜂を大量に投下すると、邪神は悲鳴を上げながら走り回るだけで、何もできなかったという。結局、周りにいた蜘蛛女アラクネたちが蜂を全て回収したらしい。


 床に芭蕉バナナを置いていると、邪神は見事に転がって頭を石床にぶつけていたそうだ。頭に大きなたんこぶができたらしく、しばらくの間、リリスに頭を撫でてもらっていたとか。


「……あの、るし・ふぁー様。そんな目で私を見ないでください」


 3日分の報告を終えた時、ゲオルは堪らない様子でそう言った。


「私だって2日目にはもうやりたくありませんでした。けれど、るし・ふぁー様の御命令だったからこそ、心を鬼にして任務を全うしたのです」


「あ、ああ。そうだな。すまぬ」


 吾輩は頭を下げて、椅子から立ち上がった。


「ともかく、任務御苦労だった。褒美を取らせよう」


 机の端に置いていた小包を手に取り、机をまわってゲオルの傍へ向かう。


「要望していたとおり、古代樹の香木だ。手を尽くしたのだが、少ししか集められなかった。許せ」


「いえっ! このような貴重な品をご用意していただき、感謝のしようもございませんっ!」


 深々と頭を下げ、ゲオルはうやうやしく両手で小包を受け取った。


 ゲオルの旋毛つむじを見下ろしつつ、吾輩はなんと気無しに言ってみた。


「……それにしても、香木が欲しいと言われた時は驚いたぞ。しかも玄人好みの古代樹を。実用的なものにしか興味が無いと思っていたが、案外と風情のある趣味を持っているのだな」


「えっ……あ、はい! そう、そうなんです!」


 なぜか慌てた様子でゲオルは応えた。


 その様子に違和感をおぼえていると、ゲオルは取ってつけたように続けた。


「そういえば! 危急の任務があることを忘れておりました! 申し訳ありません、るし・ふぁー様! 失礼いたします!」


 一方的に言って、ゲオルは執務室から逃げるように退出した。


 それを見送った吾輩は……ひとまず、机に戻ろうとした。


 魔王のすべき仕事は多い。机に積み上がった紙束に一瞬だけ目を向けて、うんざりした気分で視線を床に落とす。


「……ん?」


 床に、緑色の手帳が落ちている。


「ゲオルのものか?」


 腰を落として拾い上げる。


 間近に見ると、やはりゲオルのものだった。端の方に几帳面な文字で『ゲオル』と書かれている。


 ……おそらく、吾輩から小包を受け取った時に落としたのだろう。


 少しばかり興味が湧いて、パラパラと中身に目を通してみる。


 農業について、天候について、日々の気付き、数学について――


 一見、なんの脈絡もない雑多なことを綴っているようだが……思うに、重要な情報を暗号化して記入しているのだろう。


 万が一この手帳を他人に見られたとしても問題ないように。


 感心しつつ紙を繰っていると、突然余白の目立つページがあった。


 手を止める。


 そのページの上半分には、絵が描かれていた。


 美しい女性……というか、リリスだな。


 どうしてリリスの絵が?


 その答えは、ページの下半分に書かれていた。


『なぜ、と私は問う。

 なぜ、あなたを見てしまうのか。

 なぜ、あなたを考えてしまうのか。

 なぜ、あなたの近くにいたいと思うのか。』


 そっと、吾輩は手帳を閉じた。


 ……うむ。


 そういえば、リリスの趣味は香木や香油、線香などを集めることだったな。


 なるほど……。



 ――



「るし・ふぁー様」


 仕事を終え寝室へと向かうと、扉の前にリリスが立っていた。


 扇情的な服ではなく、薄青色の地味な服を着ている。


「こんな夜更けにどうした」


「るし・ふぁー様に、ご相談したいことがありまして……」


 モジモジしながらリリスは言った。


「相談?」


「はい。実は……最近、誰かに見られているような気がするのです」


 リリスによると、視線を感じるのは、決まって邪神の世話をしている最中だという。


 5日前、吾輩から世話を命じられた当初は問題無かったのだが、ここ数日、突然視線を感じるようになったのだとか。


 加えて、不可解なことまで発生している。


 砂糖の容器に辛子が入っていたり、蜂の大群が襲ってきたり、洗面桶の水が氷のように冷たくなっていたり――


 1つ1つは些細なものだが、それが幾つも積み重なっている。


「私の考え過ぎなのかもしれませんが……ひょっとしたら、何かが魔王城に入り込んでいるのかもしれません。邪神様の身に、もしものことがあったらと思うと……心配で」


 リリスの瞳は、不安そうに揺れていた。


「……気のせいだろう。魔王城に気付かれずに侵入できる者など、存在せぬ」


 冷や汗が背中を伝う。


 バ、バレていないよな? 腹芸は苦手なのだが……。


 永遠にも感じられる時間の後に……リリスは儚く笑った


「そう、ですよね」


 ペコリと頭を下げてくる。


「夜遅くに失礼いたしました。るし・ふぁー様にお話を聞いていただけて、少しだけ気持ちが軽くなった気がします」


「……ああ。それは良かった」


「はい! それでは、ごゆっくりお休みくださいませ」


 再度頭を下げて、リリスは吾輩に背中を向けた。


 腰の翼が心なしかしょんぼりしているように見えて……。


「リリス」


 思わず、呼び止めていた。


 振り返るリリスの顔を見返しつつ、何を言おうかと頭を巡らせる。


「――そうだ。しばらくの間、護衛を付けるのはどうだ?」


「護衛、でしょうか?」


「うむ」


 思い付きで言ったことだが、我ながら素晴らしい考えだ。


 口元が緩みそうになるのを堪え、生真面目な表情で続ける。


「ゲオルを数日間護衛に付けよう。あいつは幻惑魔術の達人。仮に何かが潜んでいるのなら、必ず見つけ出すことだろう」


「ですが……ゲオル様はお忙しいですよね? 私などの不安のために、そこまでしていただいてもよいのでしょうか?」


「気にするな。邪神様の身の安全は、何よりも重大なこと。リリスが何かを感じたのなら、1度しっかりと確かめてみるべきだ」


 もっともらしいことを言っておく。


 まあ、侵入者などいないことは分かっているが、ゲオルには普段から世話になっているからな。


 この機会を生かすも殺すも、自分次第だ。


 それに、邪神の近くにゲオルが居てくれると、吾輩にとっても都合がいい。


 そんな吾輩の思惑は露知らず、リリスは見惚れるような笑顔を浮かべた。


「るし・ふぁー様……ありがとうございます!」



 ○○○

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