第9話『ワールドコレクション、始動と混乱』
『ワールド・ファッション・コレクションJAPAN』通称『ワーコレ』
当日、かれんは朝一番に現地入りし、会場内の随所を確認してまわる。
集合時間には皆を集め、手短に挨拶を済ませると、その後は開場までの時間を惜しむように、各ブースの担当者と駆け足で打ち合わせをこなした。
メインブランド『Frances Georgette』の担当者、専属モデル、そしてデザイナーの入り時間は、緊張した面持ちで彼らの車を待ちながらも、到着すると笑顔で出迎え、歓迎の言葉と共に、美しく仕立てた控え室にてもてなしをする。
もう数年手掛けてきたこのイベントも、毎年必ず何らかの小さなトラブルがあり、それを翌年の教訓としている。
ブースのグッズが早々に完売になってしまうと、来場客とのトラブルは回避できない事態に陥る。
昨年は動員者数の増加により、数時間も経たないうちに完売となって取り寄せの郵送発送の手続きをとる為の長蛇の列ができたブースがあり、他の企業にも随分迷惑をかけてしまった。
グッズが足りていても、販売スタートからピークまでの間に、メインのショーのクライマックスとの時間が被ってしまい、ランウェイの周りがゴタゴタした年もあった。
毎回予想を上回る事態が起きるなかで、あらゆる想定のもと、充分な下準備が必要であることを毎回反省させられる。
来場客の立場にたったスムーズで心地よい空間を提供し、イベントの楽しさを充分満喫できるように構成することが、主催者としてのかれんが、目下自分に課された一番の仕事だと思っていた。
開場開演まであと数時間。
インカムからはランウェイでのリハーサル模様がうかがえる。
ステージアドバイザーのケイコ先生の威勢のいい発言からも、期待と意気込みが感じられた。
「かれん!」
「あ、葉月! どんな感じ?」
「来場者数、凄いみたい。もう長蛇の列だって」
かれんは腕時計に目をやる。
「そっか。開場時間まで、まだ時間もあるのに……」
「そうなの。だからね、場内入り口で配布するはずのパンフレットを、外に並んでいる人に配布し始めてるの」
「いいわね! 人員は足りてる?」
「うん大丈夫、その辺はバッチリよ」
「よかった!」
「さっき、ゲストモデルの『レイラ』ちゃんの出迎えに出たんだけど……」
「ああ! 『Frances Georgette』のスタッフとの打ち合わせと被っちゃったのよね……出迎えに行けなかった……ごめんね」
「ううん、大丈夫。彼女はかれんのこと、よくわかってるし」
「そう? 良かった! 昨日のリハの後に少し見かけただけだったのよ。ゆっくり話せてないから心配だったの」
「そっか。ねぇかれん、聞いてない? 偶然、彼女の知り合いが素人モデルの中にいたんだって!」
「え! そうなの? 知り合いって?」
「うん。なんか、随分親しいらしくて……それでまた由夏が張り切っちゃってるわ! その二人の為の演出をひとつ増やすって!」
「へぇ、それは楽しみね!」
いよいよショーが始まった。
ファッション雑誌を賑わす憧れのモデル達が、生身の姿で次々とランウェイを歩くのを、観客は顔を輝かせて観ていた。
モデルが立ち替わる度に、また新たな熱い歓声が上がる。
活気溢れる開場の片隅で、女の子たちのそのキラキラした表情を見るのが、かれんはとても好きだった。
この瞬間のために、この仕事をやってるんだと言えるほどに。
ファッションショーとブースのイベントは交互に行われ、どちらも大盛況だった。
そして、いよいよ由夏が力を入れているという素人モデル達の登場を迎える。
まだあどけなさが残る素人モデル達は、観ている女の子達が自分とオーバーラップさせて、親しみがわきやすいらしい。
彼女たちが当日着用したファッションアイテムはブースにて即日販売されるが、毎年必ず完売している。
そういえば例の男性モデル、どうしたんだろう?
まだ出てこないわね。
由夏があれほど気合を入れてるんだから、よっぽどなんだろうな。
その時、舞台袖から一人の長身の男性が出てきた。
お! 来た来た。
え……なに?! あのスタイル……
あれがホントに准教授!?
由夏が盛り上がるのもわかるけど、もともとモデルかなんかじゃないの?!
もしかして由夏、騙されてるんじゃ?!
彼がその長いストライドでセンターに近づいて来ると、観客の歓声が更に沸き上がった。
ウォーキングも……いいわ。
自分のことを解ってるっていうか……
セルフプロデュースしてるっていう風に見える。
ん? あれ……?
ちょ、ちょっと、待って……?!
見覚えのある顔が目に入る。
かれんは目を見開いた。
にわかには信じがたい事実。
けれど、ランウェイを歩いているのは
まさかの……
「ふ、藤田 け、健斗……?!」
いつもとは全く別人だった。
服装も髪型も、立ち振る舞いも、その涼しげな鋭い眼光も……
そしてまとう雰囲気すらも、何もかも全く違う。
違うけれど、その顔は……
「う、ウソでしょう?!」
まぎれもなく藤田健斗だった。
昨日、地元のコンビニで偶然鉢合わせし、失礼にも声をかけてきた彼。
確かに長身ではあるけれど、頭はボサボサでジャージ姿しか見たことがなかった。
それが、今は細身のスーツに身を包んみ洗練された雰囲気で、颯爽とランウェイを歩く。
まさに別人……
「信じられない……」
かれんは何度も目をパチパチさせた。
彼はトップステージに立つと、ボタンを外したジャケットをヒラリとはためかせる。
同時にあちらこちらから女性たちの溜め息が聞こえた。
熱い視線を集め、踵を返しながら笑顔を振り撒き、元のソデに戻って行った。
かれんは混乱する。
「だめだ……ちょっと休憩しよう……」
化粧室に行って一人になって頭を整理する。
由夏が帝央大学で見つけてきたモデルは准教授。
そしてその人はさっきランウェイを颯爽と歩いていた。
顔は藤田健斗。
いつもはボサボサ頭でジャージ姿で、軽くて失礼な、あの藤田健斗……
いや!
やっぱり同一人物とは思えない。
双子とか?
あーだめだ!
こんなことに頭を占領されてたら他の仕事に支障をきたすわ!
集中しなきゃいけない局面なのに……
仕事に戻ろう!
かれんはまた各ブースを回り、宣材用の写真を撮ったり、スポンサーのサポートをしはじめた。
今回のイベントの目玉とも言える大手化粧品メーカーの『Allurer』のブースには、溢れんばかりの多くの観客が詰めかけており、ごった返していたので、整列にも手を貸す。
「そりゃそうよね、今からレイラちゃんがここに来るんだから」
ランウェイでレイラを観ていた観客が、こちらのキャンペーンを知ってどっと押し寄せているらしい。
この化粧品メーカーと次期CM契約もあることがニュースにもなって、人気モデルのレイラは注目されていた。
『Allurer』のMCが、声高らかに呼び込む。
「それでは皆様、おまちかねのレイラさんの登場です!」
女の子達が歓声を上げるその先にはレイラともう一人……
レイラをエスコートするように、隣に長身の男性が立っていた。
「えっ……また藤田健斗?!」
レイラの赤いドレスにマッチさせた濃紺のイタリア製のスーツに身を包んだ藤田健斗は、彼女の華奢な腰に腕を回しながら席に向かう。
たった数歩の所作すらも絵になって、前列のカメラマン達はひっきりなしにフラッシュをたいた。
彼はレイラとも砕けた雰囲気で話す間柄のようで、微笑み合ったり目線を合わせたりして観客の関心をひいた。
かれんはぐるっと背中を向けた。
もう頭がグチャグチャ……
現実を受け止められないっていうか……
何なんだろう、この違和感は……
初めて出会った日、病院から一緒に乗ったタクシーの中での、彼との会話が思い出される。
「モデルとかショップ店員とか? そんな風に見えない?」
その時は、何をふざけたことを言ってるんだろうと、耳も貸さなかった。
まんざら嘘でもなかったってこと?
いやでも、由夏は彼を大学で見つけたんだし、しかも准教授って。
いったい何が本当で……
何が嘘なんだろ?
第9話『ワールドコレクション、始動と混乱』- 終 -