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第82話『To let it all out 』

これから『RUDE(ルード) Bar(バー)』に出勤するために自室を出た波琉(ハル)は、年期の入った鉄の階段をカンカンとゆっくり下りながら、太陽が空を茜色に染めていくのを見上げていた。

タイヤの音がして視線を下ろすと、アパートの敷地内に黒塗りの車が侵入してきたのが見えた。


「ん?」


ピカピカに磨かれたその車の後部座席には、見慣れた顔の人物が、見慣れない服装で座っている。


「なるほどね」


予想通りの人物が降りてきて、丁寧に運転手に挨拶をし、車をやり過ごした。


「なんか……らしくないっていうか」


車がいってしまうと、その人物は即座にジャケットを脱ぎ、ネクタイを緩めた。

そしてそのジャケットを肩に引っ掛けてアパートに向かって歩いてくる。


波琉はその人影に合わせるように、テンポよく階段を降りていった。


「よぉ! 波琉(ハル)じゃねぇか!」


パッと明るくなった顔の前までツカツカと歩いていった波琉は、大袈裟におどけて見せる。


「うわっ……エグゼクティブ感をひけらかして、お抱え運転手付きの高級車でご帰宅とは……よっ! さすが『JFMホールディングス』の藤田健斗CEO!」


その言葉に健斗は肩を落としながらも笑い出した。

これまでならば羽交い締めに()わんばかりの言動を、覚悟して発した皮肉に対してあまりにも手応えのない健斗の様子に驚きながら、波琉は怪訝(けげん)な表情でその顔を覗き込む。


「どうしたんです? (つい)に気でもふれました?」


健斗は今度は豪快に笑いだした。


「ははは。俺にそんだけ(ドク)吐くヤツはお前だけだ! やっぱハルはサイコーだな」


そう言って肩に手をかけてくる健斗に、波琉は首をすくめる。


「健斗さん、だいぶヤられてますね? 仕事、相当キツいんですか?」


健斗は力なくため息をついた。


「まぁ……そうだな。この俺様が、ビジネスの世界ではヒヨッコ扱いで失笑を食らってる……ったく、やってらんねぇぜ。なぁ、今から飲むぞ!」


「ええっ! 僕は今から『RUDE(ルード) BAR(バー)』で仕込みを……」


「そんなのいいって! 今日は臨時休業にしろ! オーナーの俺が言ってんだから、かまやしねぇだろ!」


「はぁ? こんな時間からもう酔ってんですか?! イヤですよ! クダをまく人間に付き合うのは」


「バカ言え! 白けるほどにシラフだっつーの! ちょっとくらい引っかけないと、論文も進まねぇ」


波琉は呆れた表情で肩に回された健斗の腕をほどく。


「なんだ、論文のために早く帰ってきたんですか?! ならおとなしく集中してくださいよ!」


「うっせー! いいから、ほら、俺ん家で飲むぞ!」


「もぉ……なんて横暴な……」


まわれ右と言わんばかりにアパートに向き直らされた波琉は、また首に腕を掛けられて健斗の部屋へと連行されていった。



観念して部屋に入ると、波琉はダイニングに向かい、冷蔵庫を開けたりパントリーに入ったりしながら、勝手知ったる手つきで食材を集める。


「どうせ食事もとらないで帰って来たんでしょ? 冷蔵庫なんてすっからかんじゃないですか。しばらくこっちに戻ってませんでしたっけ?」


「ああ、会社の近くのホテルに泊まってたんだ」


「なんでまた? そんなに時間がタイトなんですか?」


「いや、業務に集中するためにわざと生活感のないところで過ごすのがいいって、親父(おやじ)に助言されてさ。確かにここに帰ってきたら、どうしても別のことをやりたくなっちまうし、論文も気になるしな」


「へぇ。だからメリハリをつけるために論文の時だけ帰ってくると?」


「まあ、そういうことだ」


波琉は取り出した包丁の手をとめて(くう)を仰ぐ。


「我らが〝フーテンの健斗さん〟が、今や誰よりも社会人ぽい生活をしてるなんてね……なんか不思議と言うか、違和感と言うか……その格好も」


まな板に視線を落とし、手際よく食材を処理すると、波琉はフライパンを振り始める。


「おまえにもそう見えるか。生活パターンを一変してみたが、所詮中身が伴ってないわけだから、なかなか慣れないし、窮屈に感じるよ」


「でしょうね。らしくはないですから」


「まぁな……」


波琉はフライパンのものを大皿に移し、テーブルまで来ると健斗の前にコトリと置いた。


「おおっ!」


「ろくな食材がないんで本当に酒のつまみぐらいしか作れませんでしたけど。どうぞ」


立ち上る香ばしいゴマ油の香りに食欲をそそられる。


「牛肉とカシューナッツのオイスター炒めです」


そう言って波琉はこの部屋に入ってから初めて席についた。


「うまっ!」


「そりゃどうも。僕はビールを頂きますからね。あ、健斗さんはダメですよ」


「チッ!」


波琉はまたキッチンに立ち、健斗のコーヒーを()れながら、自分は冷蔵庫からビールを取り出した。


つまらなそうにコーヒーを受け取った健斗は、波琉のビールを横目で見ながら、つまみを頬張る。


「で? 今、大学の方はどうなってる?」


波琉はグビッと一口飲んでから、残念そうな表情を見せる。


「あ……カリキュラムを新しく立て直したみたいなんですけど……学生の半分が次年度の数学の授業を取らないっていう現象が起きてるらしくて……」


「はぁ?! なんだそれ!」


「仕方ないですよ、なんせ人気教授が退任したんですから。あのクラスは大半が健斗さんファンの女子大学生だったんですよ? やむを得ない現象でしょうね」


健斗は苦い表情を見せた。


「そうだったか……大学には悪いことをしたな。論文は書けるが、さすがに教壇に立ち続けるのは難しいからな」


「それでも早速、客員教授(きゃくいんきょうじゅ)のオファーは来てるんでしょ? 受けるんですか?」


「一応そんな話はもらったが……今年度は難しいな。こんなお飾り程度のCEOがホントに『JFMホールディングス』に四六時中関わる必要があるのかって毎日思うし、せめて何とか大学にも残って指導した方が社会の役にも立つんじゃねぇかとも思うんだが……親父から言われたんだ。俺もあの環境に早く慣れなきゃならないが、それより周りの人間が俺の扱いに慣れなきゃならないんだとさ。ったく……なかなか辛いぞ、俺も。今は父と側近の力を借りて生かされてるようなもんだからな。ホント情けねぇ」


波琉は自嘲的に笑う健斗の横顔を見つめる。


「なんか……そんなに自信のない健斗さんを見るのは変な気分ですね。一昔(ひとむかし)前の僕なら面白おかしくいじってたでしょうけど、なんか……手応(てごた)えのない健斗さんなんて、つまんないですし」


「お前なぁ、そんな言い方ないんじゃないか?! もっと優しくしてくれよ」


「その役目は僕の担当じゃないでしょ? あまり悲観しない方がいいんじゃないですか? なんだかんだ言って健斗さんは多くを手にしてるんですから。地位も、それに恋人だって……」


波琉が伏し目がちに口をつぐみ、一瞬の沈黙が流れた。



第82話『To let it all out』- 終 -

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