第8話『二度目の遭遇』
第8話『二度目の遭遇』
『ワールド・ファッション・コレクションJapan』本番を翌日に控え、一日ががりの入念なリハーサルが終盤を迎える。
かれんはPAブースに入って、マイクを手にした。
「場内の各担当の皆様、お疲れ様です。本日のリハはここ終了させていただきます。明日は多くの方々がこの日を楽しみにしてお越しになられます。最高の一日だったと言っていただけるような演出を、皆様と一丸となって実現させたいと思っていますので、どうぞよろしくお願いいたします」
このようなアナウンスは、すべて代表であるかれんが行っている。
自らの声で思いを届けたいという、かれんのこだわりだった。
アナウンスを終えて控え室に戻る。
「かれん、お疲れさま」
由夏の明るい声で出迎えられ、ホッと一息つく。
「お疲れ、由夏。あ、葉月も一緒だったんだ!」
一日会場を駆け巡っていたかれんと同様に、幹部である由夏と葉月も、モデル達や招き入れたエンジニア、舞台監督、ウォーキング指導の先生等のすべてのケアを請け負っていた。
「うん。これから葉月とご飯に行くんだけどさ、かれんはどうする?」
朗らかな表情で葉月もうなずく。
「ん……行きたいけど、今夜中に構成を頭に入れときたいから……今日はやめとく」
「了解! 総合プロデューサーの夜はこれからだもんね。頭が下がります」
「ごめんね」
由夏は葉月と身支度をしながら、かれんの肩に手をかける。
「そんなのいいわよ。それよりかれん、今日はお母さん居るの?」
「それがさ、まだ帰ってこないのよ。不良母なんだから」
「そっか。家に食べるものは?」
かれんは大きく息をつく。
「もう、由夏はいつも心配性なんだから! 大丈夫だって! いつでも温かく出迎えてくれる近所のコンビニがあるんだし」
「出た!〝彼氏より優しいコンビニ〟だ!」
そう言って葉月も笑う。
「そうよ、なのでご心配なく! おでんでも買って帰るわ」
「それが心配だって言ってんの!」
「それより! 由夏も葉月も、今夜は飲み過ぎないでよ!」
二人は顔を見合わせて、大袈裟に首をかしげる。
「え、飲まない飲まない!」
「うん。飲むわけない!」
「あはは、大嘘つきー!」
笑いながら見送るかれんに、二人も笑顔で手を振り、ドアを閉めた。
由夏も葉月も、大学では専攻こそ違ったが、就活を見据えた早期インターンとして一緒に仕事を学んだ同士であり、公私共に信頼できる親友でもあった。
「よし! じゃあ最終チェックといきますか! 明日はいよいよ本番だもんね」
この『ワールド・ファッション・コレクションJapan』は、父が会長を務める大手企業『東雲コーポレーション』の傘下に、かれんがイベント会社『ファビュラス』を設立したときに舞い込んできた、初めてにして、おそらく一番とも言えるであろう大規模案件だった。
信頼をおかれている分プレッシャーも感じるが、毎年成功させてきている経験が徐々に自信に変わっていくのを感じていた。
側に積んである資料を、順に机に広げる。
その中に、まだ目を通せていない素人モデルのプロフィール冊子があった。
「まあ……由夏が選んだ人材なら間違いないよね。うん、これは任せちゃお!」
その冊子はチェックせず、明日のシミュレーションを一通り頭に巡らせたかれんは、帰り支度をして関係者が誰もいなくなった会場を後にした。
居住者がいない商用エリアから発車する電車の中は人気がなく、ガランとしていて静かだった。
明日にはごった返すであろう車内を見回す。
大きな窓から対岸に目をやると、観光スポットとして全国的にも有名なベイエリアが見えてくる。
去年の夏の花火大会の日には、その場所で大掛かりなイベントを行っていたことを思い出した。
「あの日は屋根の下でスタンバイしてたから、花火がほとんど見えなかったのよね」
〝提供する側〟の仕事をしている限りこんな感じではあるだろうが、素敵なものをより素敵に演出して、多くの人を喜ばせていることが自分達の原動力となり、更にいいものを生んできたと自負している。
真っ暗な海の中を突っ切るように、海から山へ向かう車窓からきらびやかなパノラマが広がる。
「キレイ……なんだか夜景みるのも久しぶりだな。たまには観客側に立つのも必要かもね。リサーチというよりは、持つべき感性として」
不意にお腹が鳴った。
「わ!」
辺りを見回す。
幸い近くには誰もいない。
「空腹に勝るものなしか……もう!」
かれんは一人、肩を落として微笑んだ。
電車を降りて、駅からいつもの川沿いの道に入る。
北上して自宅マンションまでたどり着くと、そこを通りすぎて、まだ少しだけ北上し、『彼氏よりも優しいコンビニ』に直行した。
ヤバい!
疲れと空腹で、どれも美味しそう……
今日はスイーツ食べてる場合じゃないのに。
うーん、悩むなぁ……
でもとりあえず買っといて……
あ、でもさっき〝おでん〟って言っちゃったから
そっちも気になるなぁ……
かごの中にものが増えてくる。
「うっわー! マジ?! こんな時間からそんなにたくさん食べるんだぁ?! ブタになるぞ!」
突然、後ろからそう言われ、驚いて振り返る。
そこには黒ずくめのジャージ姿の長身の男性の姿があった。
「あ! 藤田健斗!」
「は?! なんでフルネーム?! しかし……昨今の女子ときたら、こんな時間にそんなボリュームの夜食を食うのか? まるで工事現場の兄ちゃん並みだな」
「ち、ちがうわよ、明日は忙しくて買いに来られないと思ったから、今夜のうちに買っておくだけで……って、なんであんたに言い訳しなきゃなんないのよ! ちょっと! なによその顔!」
藤田健斗は吹き出しそうな表情で、かれんの話を聞いている。
「そりゃごもっともだ! たっぷり食ってブタにならないうちにさっさと寝ろよ、じゃあな!」
そう言って彼は、また後ろを向いたまま、ふらふらと手を振って、コンビニから出ていった。
うー腹立つ……
さっきチラリと覗いた彼のレジ袋に、おおよそ彼には似つかわしくないハイセンスなメンズファッション誌が入っていた事が気になっていた。
藤田健斗のくせに、あんな雑誌を読むの?!
……意外すぎる!
雑誌コーナーに行って、彼が買ったものと同じメンズファッション誌の表紙を眺めてみる。
なになに?
春のトレンドアイテム?
攻めのコーデ50選??
いや、ないない!
藤田健斗に合致するワードなんて
ひとつも見つからないわ。
っていうか……
別にどうでもいいか……
帰ろっと!
彼の「ブタになるぞ」の言葉が頭から離れなくて、大きなシュークリームを一つ棚に返してからレジに向かう。
支払いをしようとカバンを覗きこむと、黒のカードケースがあることに気が付いた。
「あ! 返すチャンスだったのに! つまんないこと言うから、すっかり忘れちゃってたじゃない! もう!」
コンビニを出て道の北側を覗いてみる。
当然、彼の姿はもうなかった。
まあ、どうせまたこの辺でうろうろしてそうだから
いつか会う機会はあるでしょ。
そう思いながら南向きに信号を渡り、すぐそこに見えている自宅マンションに向かう。
「今夜の月は大きいわね」
明日の成功を予感させるような大きな月が、かれんの背中を優しく照らしていた。
第8話『二度目の遭遇』 - 終 -