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第70話『公認の証』

翌日、健斗の家に行く身支度をしていると、母がドアをノックした。


「おはよう。ねぇこれからデート?」


かれんは少し恥ずかしそうに笑う。

「まぁ……ね。あれ? ママも出掛けるの?」


「ええ、ちょっと気になる作家さんと打ち合わせ。素敵な絵を描く人なのよ。画廊の人たちと引き合わせることなってるから、今夜は遅くなるわ。だからゆっくり食事でもしてきて」


「うん。わかった」


「それと、これ」


首をかしげながら、母が差し出した細長い箱を受けとる。

「なに? これ」


「今のかれんに似合うと思って。じゃあ、いってくるわね」


そう言って母は、玄関まで見送るかれんに手を振った。



   なんだろ、この箱は?

   ネックレス?



また首をかしげながらそっと開けてみる。

「わぁ……」


思わずため息の出るような、美しいペンダントトップが目に入った。

澄んだメレダイヤに囲まれた(しずく)型の大きなサファイアは、まるで深海のような深い蒼色で、角度を変えて光を差し込むと、永遠に続く宇宙のような奥行きをも感じた。

その上品さと華やかさにときめいたかれんは、何度もまばたきをする。


「これ……」


英語で書かれている鑑定書に目を通す。


「マダガスカル産ブルーサファイア&ダイヤモンド……ちょっとこれって……数十万円どころじゃ済まなかも……」


下世話に思いながらもスマートフォンで検索する。


「え! このブランド……百五十一万円……こんな高価なものを、私に?!」


かれんはあっけにとられる。

箱の具合から見ても新品ではなく、明らかにお下がりであることは見てとれた。

母が大切にしていたものを譲ってくれたということが、大人の女性だと認めてもらえたように思えて、胸が熱くなった。

鏡の前に立ち、そっと首もとに当ててみると、かつて母の胸元にその深海のような美しいダークブルーが光っていた記憶がうっすらと頭の中に蘇ってくるような気がして、かれんは目頭を熱くする。

〝幼い頃の記憶は、ほぼなくなっている〟と、母に連れられるまま何度も通いつめた病院で言われ、ようやく諦めのついた思春期からは後ろを振り向かないと決めてここまで突っ走って来たかれんにとって、そのぼんやりとした記憶は、(かすか)かなものであってもとてつもなく貴重で、まるで見失っていたタイムカプセルを振り当てたような特別な思いだった。


かれんは早速そのネックレスを着け、カバンにはいつものように『ポラリスキーチェーン』をしっかり付けて家を出る。

まっすぐ北へ向いて、川沿いの道を上がって行った。


健斗の家で倒れた日以来、奥の書斎に足を踏み入れることは避けていた。

玄関の暗証ボタンを見ると、実はほんの少し緊張する自分もいる。

その分、健斗の声に出迎えられると、気持ちが(ほが)らかになった。


健斗が昼食の準備をしていたのでかれんも参戦し、二人キッチンにならんで料理を楽しんだ。

出来上がったパスタとサラダを囲むように席につき、いただきますと手を合わせてから食事を始める。

高い窓から差し込む柔らかな陽の光に包まれて、幸せな時間が流れていた。

向かいに座った健斗が、覗き込むようにかれんの首もとに視線を落とす。


「かれん、そのネックレス……」


「ああ、これ?」


「うん。すごく綺麗だ」


かれんは嬉しそうにそこに手をやる。


「今朝、ママが私にくれたの。多分、ママが大切にしていたものだと思う。若い時にママがずっとこれを着けてたような気もする。パパから貰ったものなんじゃないかな? そんな大切なものを私に譲ってくれたってことが、ホントに嬉しくて」


健斗は優しく微笑んだ。

「いいね。母から娘へ受け継がれて、更にその価値が上がる」


「うん。大人の女性だって、ようやく認めてもらった気分になったわ」


二人はお互いにここしばらくの仕事の忙しさを忘れるかのように、リビングであらゆる話をしながら、暮れ行く空と共にゆったりとした時間を過ごした。


かれんの胸元のペンダントトップが時折、その陽の光を取り込んでマリンブルーに変化するのを、健斗は眩しそうに眺めていた。

なぜか惹き付けられるそのブルーを近くで感じ、微笑みながらも、健斗はかれんが倒れてからはより一層彼女の(そば)を離れなかった。


陽が傾き始めると、二人はまた近所のお気に入りのバルへ出向き、早めに夕食を済ませてワインも楽しんだ。


店を出た二人は、まだ若い月を見上げる。

夜闇(やあん)に溶け込むようなサファイアの光沢がより幻想的に見えた。


「夜に見ても綺麗なんだな、それ」


そう言って母からの公認の証であるペンダントトップを懐郷(かいきょう)のような穏やかな表情で見つめる健斗の視線を浴びながら、かれんはまた幸福感につつまれ、心を熱くした。

(うなづ)いたかれんはそっと大きな胸に頭を寄せる。

健斗はその華奢な肩に腕を回し、その髪に口付けた。

月に見送られるように川沿いの道を南下していく二人は、早々にアパートに戻ると、そのままベッドルームへ向かった。



「ほら、かれん。眠っちゃダメだよ、明日も早いんだろ?」

健斗はかれんの頭に手をやって、耳元で囁く。


「ん……そうだった……」

その声に、かれんはぼやけた声のまま(まぶた)を上げる。


「あはは。ほら、水」

そう言って健斗は、彼女のために持ってきたミネラルウォーターのボトルをかれんの頬に押し当てた。


「冷たっ! ふふ、ありがとう」


かれんの髪を撫でて、健斗は半裸のまま彼女に背中を向けてベッドに座る。


「え……」

かれんがその背中を見て、声を上げた。


「健斗……この傷はどうしたの?」


健斗はさほど気にする様子もなく、眉を上げて振り向く。


「ああ、中学の時にね。森で木が刺さちゃってさ」


「ええっ! そうなの?! 可哀想に……」


左の脇腹に残る傷痕を指でなぞった。

「もうなんともないの?」


「そりゃそうだよ、十五年も前の話だ」


健斗は、布団の上にあったTシャツを着た。


「なぁかれん、今日もお母さん、居るんだろ?」


「うん。遅くなるとは言ってたけど……そろそろ帰ってるかも」


「そっか。お母さんさ、しばらくこっちにいるって?」


「うん、そのはずだけど」


「じゃあ……ご挨拶、しなきゃな」


「嬉しいけど、健斗、ここしばらくは忙しいんじゃ?」


健斗はかれんに顔を近づける。

「いくら忙しくたって大切な時間の為なら、なんとでもするって!」


「ホント!? ママも喜ぶと思う! じゃあ今夜さっそく、ママのスケジュールを聞いてみるね」


「うん。じゃあ、着替えて。送っていくから」


そう言って健斗は先にベッドルームを出た。

ちらりとライブラリーの方に目をやる。

あの日の衝撃があまりに大き過ぎて、かれんが倒れてからは健斗もあの部屋には足を踏み入れていなかった。

身震いするように首を振った健斗は、書斎と逆方向に(きびす)を返し、リビングに向かって歩いていった。



第70話『公認の証』- 終 -

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