第7話『春:ワールド・コレクションの前日』
第7話『春:ワールド・コレクションの前日』
毎年、春を迎える少し前のこの時期は、イタリアの大手ファッションブランド『Frances Georgette』のショーをメインとした『ワールド・ファッション・コレクションJAPAN」が開催される。
国内外のあらゆる老舗有名ブランドから新鋭ブランドまで、幅広いジャンルがショーに参加、多くのスポンサーや企業が協賛するなか、コスメや美容、通信メディア業界、ハードウェア業界などとも提携し、各社がところ狭しとブースを構えた会場で、来場するゲストに商品やサービスのプロモーションを行うという大イベントだった。
『ワールド・ファッション・コレクション』=通称〝ワーコレ〟は、若い世代を中心に多くの女性にされ、『ファビュラスJAPAN』がこの国にもたらした有益な国際的企画とも言える。
この大規模なイベントに向けて、親会社である、大手企業『東雲コーポレーション』の各部署と、あらゆるファッション界のプロを集結させ、このイベントの企画から演出に至るまで〝エグゼクティブ・プロデューサー〟である三崎かれんが中心となって、これまで入念な打ち合わせを重ねて取り仕切ってきた。
会場は毎回、近くに海を臨むコンベンションホールで行われていた。
普段は様々なライブやイベントが開催されている大きなハコで、毎年多くのビッグアーティストが訪れている。
三年目となる今回も、かれんをはじめとする『チーム:ファビュラス』は、コンセプトに基づいたイベントブースのチョイスとオファー、ランウェイの配置に至るまで、かなりな時間を費やして準備し、総合的にプロデュースしてきた。
いよいよイベントの前日、搬入された機材の設置が早朝から始まり、音響や演出のリハーサルから、各ブースのチェックまでと、目が回るような忙しさが続く。
スタッフと共に、かれんは責任者としてあわただしく動き回っていた。
「あ、かれん!」
「ああ由夏、お疲れ! そっちはどう?」
「順調よ。さほど押してないし。ねぇねぇそれより、聞いて聞いて!」
「ん? どうしたの? なんだか嬉しそうだけど?」
「うちのクリエイターの一人が帝央大学出身でさ、ちょっとそこの情報学部のコンピューターを借りて、空間イメージを考えてたのね」
「え? そんなことしてたの?! さすが由夏ね! 革新的だわ」
「それはいいんだけどさ、息抜きに中庭を散歩してたら……ナント! まさかの大学のキャンパスに〝イイ素材〟が歩いてるわけよ!」
いつになく盛り上がる由夏を見て、合点がいった。
「いい素材って……もしかしてまたモデルのスカウト?」
「そう! まさかのエリート帝央大学によ! まして超ド級のメンズモデルが転がってるなんて、夢にも思わないじゃない!?」
「え?! メンズモデルなの?」
「そう! だから飛び付いちゃって。で、話しかけたの。そしたらナント、学生じゃなくて准教授だって言うから、びっくりして!」
「ええっ?! 准教授?」
あまりにも頭の中のイメージとかけ離れて、拍子抜けしてしまう。
「あんまり若くないんじゃ……ホントに超ド級?」
かれんの疑いの視線に、由夏は憤慨する。
「なに言ってんの?! 私のお眼鏡にかなうオトコよ! 素敵に決まってるじゃない!」
「まぁ……由夏がそう言うならねぇ……」
「まあ、その目で確かめてよ! このあとのモデルのリハーサルにさ、彼も呼んでみたんだぁ!」
「ええっ?! いきなり?」
「まぁね! こういうのは勢いも大事だから。かれん、楽しみにしてて!」
そう手を振りながら、由夏は嵐のように立ち去る。
相変わらずテンション高いなぁ。
でも……素人をいきなり呼ぶなんて。
出演させるつもりみたいだけど、
本気かしら?
だけど由夏は、相当鼻が利くからねぇ……
実際に由夏が推した人材は、その後もどんどんメジャーになって、モデルを本業にした子も少なくない。
あれだけ興奮してるんだもん、
相当なのかも?!
まあ、メンズは希少だからね。
かれんは各展示ブースを回り、当日の流れを説明したり、各企業の出展物が今回のイベントのコンセプトに合っているかなどを、一点一点チェックして回った。
「ゲストの導線の確保は完璧にしてくださいね、当日は相当な人数が並びますので混乱が起きないように、入念にシミュレーションをお願いします」
「こちらのブースに追加の商品が到着する予定時間帯も、伺えますか?」
「配布物のチェックもさせてくださいね」
「わあ、これ! かわいいですね! 絶対人気が出ると思いますよ。せっかくなんで、こちらにも置きましょう」
丁寧で的確、かつ無駄がないかれんの対応は各企業にも評判が良く、彼女はプロデューサーとしての絶大な信頼を得ていた。
とにかく忙しい。
幾つ企業ブースを回っても、終わる気がしなかった。
ランウェイの方では素人モデルのリハーサルが行われている。
何度も〝音楽がかかっては止まり〟の繰り返し。
またあの厳しいコーチの指導に泣き出してしまう女の子が出るんじゃないかと、かれんは少し心配になる。
「モデルのケアは、由夏に任せるか」
ブースを移動しながら、いつもと違って音楽が中々切れない事を疑問に思っていると、何やらステージの方から熱い歓声が聞こえてきた。
何?!
あ、わかった!
例の准教授じゃない?!
女子スタッフの声がひときわ高いのでそう思った。
きっとそのなかには由夏も加わっているにちがいないと思って、かれんは一人微笑む。
後ろ髪を引かれながらも、かれんは次の企業ブースの挨拶に回った。
各ブースから手渡された試供品を、引きずるような大カバンに入れ、かれんはまた次のブースへ移動する。
ようやくスタッフルームに戻れたのは十五時を回ってからだった。
「あ、かれん。お疲れ様」
なだれ込むように椅子に座る。
「すっごい大荷物! ねぇかれん、ちゃんとお昼食べたの?」
葉月が心配そうに、かれんを覗き込んだ。
「それが……まだなのよ。ブースのチェックしてたら終わらなくて……」
「ええっ! それはダメ! ほら、お弁当!」
いそいそとお弁当を持ってきた葉月の後ろから、由夏が腕を伸ばす。
「ねぇかれん、だったらこれもどう? 今あたしがイチオシのスムージー!」
それに目を落としたかれんは、ひきつった表情を取り繕う。
「うわ……すごくグロ……ビ、ビビッドカラーよね?! でもまぁ……お弁当には合わないみたいだから、遠慮しとくわ」
「えーっ、体にイイのに……〝良薬は口に苦し〟って言うじゃない!?」
「あ……やっぱり味も悪いわけね……」
かれんはまた苦笑いをした。
「まあ、多少はね。私はすっかり慣れちゃったから大丈夫だけど。おかげでほら、お肌もツルツルなんだから」
「わかったわかった、由夏は美肌だし、すこぶるイイ女よ!」
「わかればイイの!」
由夏は差し出したスムージーを引っ込めて、代わりにお茶を渡した。
「由夏、そう言えば今日のモデルさんたちどうだったの? 私、ブースを回ってたから見られなかったんだけど」
「うん、相変わらずケイコ先生に喝いれられて半泣きな子も居たには居たけど、今年は割りと優秀な方だと思うよ。それより!」
「ん?」
「ほら、例のメンズモデル!」
「ああ、准教授の?」
「そう! もー、めちゃめちゃ良かったのー!」
「そうなんだ?」
「スタイルは申し分なし! まあ学生よりは年齢も上だから、体もできてるしね。何より着こなしって言うのかなぁ、何を着てもそれらしく見えちゃうのよ! ランウェイ歩いてもサマになるし、もォ視線とかアゴの使い方とか、自己演出が上手いのね、見てて呑まれちゃう感じ!」
「由夏がそんなにメロメロなんて! 単なるイケメンじゃないみたいね」
「いやもちろんイケメンではあるんだけど、雰囲気がもうヤバくて、見てた女子勢の熱い溜め息ときたら……すごかったんだから!」
「あ、それは遠くからでも聞こえたわ」
「もうケイコ先生が惚れ込んじゃってさ!」
「ええっ? それはすごいね! あのケイコ先生を唸らせるなんて、本物かも?!」
「でしょ? かれんにも見てほしかったな」
「この後のブースチェックは少しゆとりがあるから、見てみたいな」
「それがさぁ……午後から大学で講義があるからって、帰っちゃったのよ」
「ええっ! 帰った?! そう……」
かれんは驚いて目を白黒させる。
まあ若くして准教授になるくらいだから
きっと変わり者なんだろうけど。
話は合いそうにないわね。
「本番は来てくれるって言ってたし、准教授っていってもそんなに気難しい感じの人じゃないよ。気配りもできてるし」
そう言いながら由夏はスムージーをズズッと飲み干した。
「そういえば……」
ストローをくわえながら話す。
「彼にもスムージーを勧めたんだけどね、かれんと全く同じ事言って断られたのよ。
〝ビビッドカラー〟だとか〝お弁当に合わない〟とか言ってたの。意外とかれんと気が合うんじゃない?」
かれんは首をひねる。
「いや、そんなことないんじゃない?」
控え室のドアが空いた。
「後半のシーンのモデルさん、ランウェイに揃いました」
「あ、わかったわ。すぐ行く!」
スタッフにそう告げて由夏は立ち上がった。
「じゃあお先に! かれん、働きすぎるなよォ!」
「はぁい。了解!」
「ウソつき!」
「あはは。由夏も!」
あわただしく出て行く由夏を、葉月と二人で見送った。
葉月とアイコンタクトをとる。
「いやいや、あのグロテスク……いや、ビビッドカラーのスムージーは誰だって敬遠したいんじゃない?」
「ホントよ。それにエリート大学の准教授となんて、気が合うはずもないわ!」
二人で肩をすくめて笑いながら、かれんはお弁当をほおばった。
第7話『春:ワールド・コレクションの前日』 - 終 -