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第69話『母からの祝福』

夏が近付くと人々は、この夏をいかに有意義にしようかと考えを巡らせながら、わくわくと気持ちを高める傾向にある。

クライアントの意向のみならず、開放的になる人々のその高揚感を満たすためにも、イノベーションのもと、ニーズに合わせたイベントを用意するのが自分の使命だと思ってこの仕事をやってきた。

この春から初夏にかけては、特にこの夏のイベントの準備をメインに時間を割いてきた。

『ファビュラスJAPAN』にとって、夏は勝負の時。

かれんにとっても今年は特別な夏になると予感していた。



仕事と恋を両立させることに充実しつつも、いつも心の片隅に不安を抱えている。

昨夜も打ち合わせが長引いて健斗とは会えなかった。

自分だけではなく健斗も今、人生の分岐点にいて、寝る間も惜しむほど多忙な毎日を過ごしている。

しばらくは二足のわらじを履きこなす予定である彼は今日、正式に『JFMホールディングス』のCEOに就任することとなり、その就任披露パーティーを迎える。

来年に控えた披露式典という大々的なプロモーションに先立って、今回は『ファビュラス』の仕切りのもと、少人数で行われるそのプレパーティーを由夏が担当した。

他のイベントの担当と重なったかれんは参加する予定ではなかったものの、『ファビュラス』の責任者という立場で会場に出向き、少し早い時間に控え室を訪れる。

健斗の姿がないことは承知の上で、彼の父である藤田公彦(きみひこ)会長に挨拶とお祝いの言葉を送った。

そして参列者としてその会場に居合わせた自分の父の東雲(しののめ)亮一(りょういち)と短く話をし、由夏と葉月には別会場に移動する旨を伝えてから、かれんはその会場を後にした。



仕事を終えてオフィスに戻るも、由夏も葉月もまだ戻っていなかったので、珍しく先に帰宅することにした。

正直、健斗の就任パーティーについて聞きたいことはたくさんあったが、まずは本人から直接感想を聞きたいという思いもあったので、それも早い帰宅の要因となった。


資料の詰まった重たいカバンを下げながらも『カサブランカ(かれんの)レジデンス(マンション)』の前を通り過ぎ、『彼氏のコンビニ』へ向かう。



   『彼氏だった……』もしくは

   『元カレの……?』ナンテね!



一人でそんなことを考えながら微笑む。

この川沿いの道を北に上がる機会は増えたが、このコンビニに立ち寄る回数は減っていた。

今夜は久しぶりにゆっくり店内を回って、自分を甘やかすメニューで空腹を満たすのもいいだろうと思った。


「あは……ちょっと買い過ぎたかな? まぁ、いいか」


重いカバンとレジ袋を下げ、マンションに向かって道を戻る。

七階のエレベーターを降りて鍵を差し込むと、玄関ドアは施錠(せじょう)されていなかった。


「あれ?」


照明のついた玄関に並ぶ、見覚えのあるフェラガモのパンプスがかれんを出迎える。


「ママ! 帰ってたの?」

そう声をあげながら、リビングへと足を早めた。


「かれん! おかえり。あらら?」


意味ありげな上目遣いを向ける母に苦笑いした。

「なによ、ママ」


「今日はずいぶんお洒落じゃない?」

ロイヤルブルーのプリーツカットソーに純白のタイトスカート姿のかれんを、母は見定めるように眺める。


「もしかして、デート?」


「いいえ。残念ながら」

かれんは大きなビジネスバッグをドンとテーブルに置いた。


「ああ重かった……今日は挨拶回りとイベントと打ち合わせで、あっちこっち駆けずり回ってたのよ」


「なるほど。確かに表情には色気はないわね? その節操のないスイーツとお酒の数も」


じとっと横目でレジ袋に視線を向ける母に、かれんはプッと頬を膨らませる。


「ふふ、仕事、うまくいってるみたいね」


「ええ、大忙しよ」


買ってきたものをテーブルに並べて吟味する娘を、母はにこやかに見つめている。


「なに笑ってるの! ママも食べるでしょ? このスイーツ、この前『ファビュラス』がプロデュースしてから大人気なんだから! まぁ、私もハマっちゃってるんだけど」


「そう。嬉しそうな顔しちゃって」


そう言いながら母が耳元に近付いた。

「ねぇかれん、いい人、いるんじゃない?」


「えっ?」


その言葉に、かれんはゆっくりと顔を上げる。

「……どうして?」


「なんかかれん、キラキラしてるから」


向かい側に座って頬杖をつきながら優しい表情で覗き込んでくる母に、かれんはスイーツから手を引くと姿勢をただして向き直った。


「ママ。実は私……好きな人ができたの」


「ホント?!」

母は立ち上がってまた娘の(そば)に回り込んで、肩を抱き頭を寄せた。


「ちょっと……そんな大袈裟な……」


「よかったじゃない! なんかそんな感じがしたのよ! かれん、すごく充実した顔してるし、幸せそうだもん」


かれんは少し頬を赤らめる。

「ママ……」


「自分から言ってくれるなんて嬉しいな! おめでとう」


かれんは身体が軽くなるのを感じた。

恋愛に関しては親友に対しても気恥ずかしく、どうしても胸のうちを全てあかせない自分がいた。

でも、こうして自分の予想を遥かに上回るほど母が祝福を送ってくれたことで、ようやく本音で話せると感じて素直に嬉しかった。


「今、幸せなの。本当に好きな人に出会えたって、そう思ってる」


母はまた、かれんの肩を抱いた。

「そう! じゃあ早速、一緒にお食事にでも行く?」


かれんはパッと顔をあげる。

「うん! 会ってほしい!」


「分かったわ! いいお店、予約しなきゃ! 日程を教えて。楽しみにしてるね」


そう言ってかれんの買ってきたスイーツのひとつを手にした母が立ち上がった。



時差ぼけで眠れそうにないから今から韓流ドラマを見ると言って部屋に向かう母の背中を見送りながら、かれんもフォンダンショコラにスプーンを突き立てる。

甘くビターな香りが口の中に広がって、濃厚な甘さが脳幹に沁みるようだった。


「ん……最高……」


母に〝おめでとう〟と言われたことが、本当に嬉しかった。

一人の大人としても、女性としても認められたような気分だった。

同時に、それまで抱いていたほんの少しの不安が一気に吹き飛ぶのを感じる。

今日という多忙な一日を終えた彼に〝今夜はLINEだけでいいよ〟と伝えるつもりだったが、どうしても母が言ってくれた事を彼に話したくて、かれんはさっさと入浴を済ませ、毎日くれる健斗からの電話を今夜も心待ちにしていた。


スマートフォンが振動して、それに飛び付く。


「あ、もしもし健斗? CEO就任、おめでとうございます。うふふ、お疲れさま! 家に戻ったの? あ……まだなんだ……大丈夫? そう。無理しないでね。え、私? これから少し資料を整理してから寝るわ。ねぇ健斗、実は今日ね、ママに私達のこと話したの! うん! そしたら会いたいって! 日程教えてって。うん! 嬉しかったわ! じゃあ明日相談しましょう! しっかり休んでね。おやすみなさい」


途切れたスマートフォンを胸に抱くように、かれんはその満面の笑みを浮かべたままベッドに転がった。



第69話『母からの祝福』- 終 -

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