第65話『大切な思い』
天海医師を玄関で見送った健斗は、踵を返してかれんが居る寝室に向かった。
ドアの前で一息ついてから、静かに部屋の中に入る。
かれんは横たわったまま、健斗の方に顔を向けた。
「健斗……天海先生は……」
「帰ったよ。もう大丈夫だって、心配ないってさ」
そう言って、健斗はかれんに歩み寄ると、布団の上から抱きしめた。
「健斗……心配しなくていいんでしょ? なら健斗も、もう心配しないで」
「だってさ!」
不意に上げた声が思いの外大きくて、健斗はばつが悪そうに頭に手をやった。
「あ……いや、そうだな」
かれんが力なく笑う。
「健斗、帰ってきてそのままなんでしょ? ジャケットも脱がないで私の側にいてくれたのね。汗だくよ。気付いてる?」
「あ、そうだな……」
「シャワーでも浴びてきて。私は大丈夫だから」
健斗はかれんの腕をつかんで首を振る。
「ダメだ、かれんを一人にはしたくない」
かれんは半身を起こして言った。
「ほら、もうすっかり回復したわ。そうね……じゃあ、なにか飲み物を持ってきてもらってもいいかな? それで私が無事だったら、お風呂に入ってきてくれる?」
いたずらっぽく微笑んだかれんの頬には赤みが差し、その表情も明るくなっていた。
「……わかったよ。何が飲みたい?」
「じゃあ、お水をお願いします!」
「かしこまりましたお嬢様。少々お待ちください」
そう微笑んで部屋を出るも、ドアが閉まるや否や健斗は小走りでキッチンに向かい、冷蔵庫からミネラルウォーターを取って手早くコップに移した。
平静を保ちながらも足早にベッドルームに戻ると、かれんはふわっと笑って迎える。
「早ーい!」
その声の明るさに、心底安心する。
「そんなに急がなくても良かったのに……ねぇ健斗、荷物とか……どうしたの?」
「ああ……リビングに転がってたな……」
苦笑いする健斗に、かれんは微笑みつつ、少しうつむき加減に言った。
「やっぱり……健斗らしくないよね。ごめんね、脅かせちゃって」
「なに言ってる!」
健斗はかれんの手をとった。
「心配するのは当然だろ! 謝る必要なんてないだろ?」
「うん。そうね。ねぇ健斗、私わかったことがあるの」
「なに?」
「私が元気でないと、健斗も元気になれないってこと」
「そうだな」
「だからごめんね。こんな事になって……ちょっとしたことで今後も健斗が心配症になっちゃうかもしれない。それは困るわ」
健斗はフッと笑う。
「もう遅いかもしれないぞ。ものすごく過保護になっちまいそうだ」
「そう言わないで。ほら! 健斗が戻って来るまではここでおとなしくしてるから。さあ、健斗はお風呂に入って、荷物も片付けてきてよ」
健斗は渋々頷く。
「わかったよ。ちゃんとイイ子にしてろよ!」
「はーい!」
かれんは笑って見送った。
パタンとドアが閉まり、ひとりきりになると、微かな耳鳴りが気になりはじめる。
ドアから目をはずし、手元を見つめると、さっきライブラリーで最後に手にした絵本の感触が蘇ってくるようだった。
フラッシュバックのようなあの光景を思い出そうとすると、とたんに動悸が上がってきて、慌てて打ち消す。
一体何を見て、何を感じたのか……
同じような場面が前にもあったような……
だめだ、健斗がここに戻って来た時は、
元気いっぱいでいなくては。
しばらく忘れよう。
かれんは首を振りながらまた枕に頭を置く。
もうひとつ、脳裏から離れないものがあった。
それは天海の優しくも寂しげな眼差しだった。
自分からちゃん話そうと思っていたのに……
こんな形で知らせることになってしまうなんて……
そう思うと胸が痛む。
優しさの中に憂いを帯びた天海の表情は、かれんに罪悪感をもたらせた。
同時に波瑠やレイラの顔もちらつく。
自分達の行動によって人に多大な影響をもたらせる事が、実際にあるのだと、ここへ来て思い知らされた。
ドアが開いて健斗が戻って来た。
かれんは努めて明るく笑いかける。
「やだ健斗、めちゃめちゃ急いだんでしょう?! 早すぎ……」
その言葉を遮るように、健斗はかれんを抱き締めた。
「健斗……」
「よかった、無事で」
「ホントにごめん。こんなに心配かけちゃって……」
健斗はかれんに寄り添うようにベッドに座りなおした。
「いいよ。元気な顔が見られれば」
二人はようやく普段通りの表情で微笑みあった。
「天海先生に、連絡してくれたのね」
「……うん。どうしていいか、わからなかったから。ごめんな、俺からバラすようなことになって」
「健斗はなにも悪くないよ。タイミングをみようとした私がいけないの。ホントに申し訳ないことしちゃって……」
「天海先生、潔い人だな。自分から話してくれたよ、かれんへの気持ちを」
「えっ……」
「俺とかれんがこうなるって、予感してたって言われた。〝初めて出くわしたあの日に〟だって。〝だから彼女が望んで君のそばにいるならもう邪魔はできない〟って……優しい顔でさ」
「宗一郎さん……」
「俺の方が惚れちまいそうだったよ。かれんが見てなくてよかった」
そう言って健斗はかれんの肩を抱く。
「ねぇ健斗」
「ん?」
「私たち、ちゃんと認めてもらおう。私たちの周りの大事な人たちを、もう傷つけたくない」
健斗がかれんの顔をじっと見ながら、その頬に手を伸ばした。
「俺も同じこと考えてたんだ。以心伝心だな」
健斗は手繰り寄せるように、その胸にかれんの頭を引き寄せて、更にもう一度強く抱きしめた。
第65話『大切な思い』- 終 -




