第6話『恋愛観』
第6話『恋愛観』
仕事帰りにイタリアンレストランに立ち寄ったかれんは、そこで由夏がスカウトしたモデル候補が誰かに似ているような気がして、ずっと考えていた。
長身で顔が小さく、首が細くて手足が長く、無駄に三頭筋が発達していない『はるとくん人形』のような男性……
そして、思い当たる人物を突き止めた。
思わず「あっ!」と声を上げてしまい、慌てて繕う。
その人物とは、昨日思いがけなく行動を共にすることとなってしまった、藤田健斗だった。
なんか……めんどくさい。
怪我のことを含め、由夏には話さないでいっか。
「かれん、どうしたの?! 足でも痛むとか?」
「ううん、全然」
「もう、強がっちゃって! ねぇかれんさぁ、誰かいつもそばで支えてくれるようなオトコ、ホントにいないわけ?」
「いないわよ! 知ってるくせに。そう言ったら、どうせ〝仕事がコイビトなんでしょう〟とか言われるんだろうけどね」
「そうよ! かれんは生身の人間と恋愛してないもんね。仕事か、もしくは『彼氏のようなコンビニ』だっけ? いや違ったなぁ、『彼氏より優しいコンビニ』って言ってた?! コンビニじゃなくて生身のオトコに癒されなさいよ!」
「ああもう! それ以上突っ込まないでよ! 今が自由で楽しいの!」
「そんなメンズの独身貴族みたいなこと言って! 適齢期の麗しき女子が、〝仕事とコンビニで満足だ〟なんて、ホント悲しいわ!」
「全然平気よ! 毎日とっても充実してるし」
由夏は呆れたように首を振ってから、テーブル越しにグッと顔を寄せて言った。
「そりゃね、私たちってさぁ、周囲にメンズが多いじゃない? いつの間にか、特定の相手をあまり必要としない環境になってるのかもしれないけどさぁ。でもねぇ……」
「そうなのよ。〝淋しいから誰かに側にいて欲しい〟ナンテいうような、ある意味静かな時間すらも私たちにはあんまりないわけだし」
「ん……でもかれんは、ここ何年もそういう状態が続いてるじゃない? ホントに淋しくないの?」
「淋しくないわよ。むしろ一人になりたい時はあっても、って感じかな?」
「え! それってけっこうヤバイ状態じゃないの?!」
「まあ、客観的に見れば私はヤバい方に入るかもしれないけどね。でも由夏は大丈夫だと思うけど?」
「いやいや! そうも言えないのよ。そろそろ本気で自分の恋も探さなきゃいけない時期になってるのにさぁ、私はメンズモデルのスカウトばっかりしてるじゃない? するとね、おのずと目も肥えてきちゃうわけよ」
かれんはパッと顔をあげる。
「由夏、だから〝審議中〟なの?」
由夏は肩をすくめた。
「まあそこは今はなんとも……適齢期っていうのが、もはやネックになってるって感じ」
「そうなんだ? 由夏みたいな即決派でさえも色々考えちゃう案件なんだよね。だったら私なんて到底……」
「まあ、かれんが後ろ向きになる気持ちもちょっとは解るわよ。恋愛ってさ、かなり生活を左右されちゃうじゃない、心のキャパシティを占めるというか、すごく自分が不器用になった気分になるのよね?」
「そうそう。仕事へのスイッチが難しくなったり、今まで平気だった事にも面倒くささを感じたり」
「恋愛だけってわけにはいかなくて、仕事にも時間を割くわけだから、双方のバランスが崩れて、それをまた妨げだと思っちゃったりすると、やっぱり相手ともうまくいかないんだよね」
「あーあ、なんかキャッキャ言ってた大学の時が懐かしいね」
「ホント。今は気軽に恋愛もできないナンテ」
二人はお互いを見合って、クスッと笑った。
「だから結局かれんは『コンビニな彼氏』がいいナンテ言うんでしょ?」
「あはは、そうかも」
「だからってね、かれんは『彼氏より優しいコンビニ』に行き過ぎよ! たまには自炊したり、もうちょっと体のこと考えてもらわないとね!」
かれんは驚いたように由夏を見つめる。
「なに? 急に食生活のお説教?!」
「そう。お節介な親戚のオバチャン登場! うるさいと言われても、社長に倒れられたら私たちもたまったもんじゃないんだから! しつこく言わせて貰うわよ!」
「はいはい、ご心配をかけてすいません。以後、気をつけます」
「わかればいいのよ。じゃあカンパイ!」
かれんはカラカラと笑った。
「あはは。酔ってるわね! 私から言わせると、由夏の酒量も結構心配のタネなんだけど?」
「あー大丈夫大丈夫! お酒の強さに関しては、そんじょそこらのオトコにも負けない自信があるし!」
「ああ、そうでした……」
「じゃあ、カンパーイ!」
「え? またカンパイ? 由夏、飲み過ぎだって!」
「そうかな? ちょっと化粧室に行ってくるわ」
由夏が席を立つと、一気に時間がとろみを帯びるようにゆったりと流れる。
ふと昔話を思い出した。
『彼氏より優しいコンビニ』
それは、今も自宅のすぐ北側の、川沿いの角にあるコンビニのこと。
母と二人暮らしとはいえ、その当時もほとんど母が留守の状態だった。
仕事が軌道に乗るまでは、遅くまで仕事をしている時期が続き、自炊は苦ではなくとも、帰宅してすぐに温かいものが食べたくて、そのコンビニに寄ってから自宅に帰るのが日課になっていた。
三年前。
ようやく仕事が軌道に乗りだした頃、それと同時に、その当時付き合っていた彼氏と別れた。
それについて考えたくなくて、とにかく頭をいっぱいにしようと毎日遅くまで仕事をして、毎晩コンビニに寄って帰る日々が続いた。
そしていつもその時間にいる店員の一人と、時折会話する仲になった。
「今日は寒かったですね」とか、
「桜がもうすぐ咲きそうですよ」とか。
時には「あ、桜の花びらが髪についてます。ちょっといいですか?」と言って腕を伸ばして取ってくれたこともあった。
「今日は大分遅いですね。電車が遅れたんですか?」
「毎日遅いけどお仕事忙しそうですね。大丈夫ですか?」
「昨日いらっしゃらなかったから、ちょっと心配しちゃいました」
そうやって短い会話をしながら、ほんの少しずつ心が触れ合っていくのを感じ、彼の笑顔に癒されて家に帰ることを、心地よく思っていた。
宅急便を持ち込んだときに「三崎かれんさんっておっしゃるんですね」と言われ、その時彼の〝河野〟と書かれた名札を見て「かわのさんって読むんですか?」「いえ、こうのです」という会話をした。
そんな会話が半年ほど続いた時『ファビュラスJAPAN』は大きなサマーイベントを任されて、地方で数日仕事をする事になった。
イベントは大盛況で終わり、しばらくぶりに日常に戻ってゆっくりと出来ることに安堵しながら立ち寄ったコンビニに、河野さんは居なかった。
翌日も、その翌日も。
雑誌を補充している女子店員さんに声をかけて「河野さんは?」と聞いた。
「ああ、別のお店に移られたんです。もともと実家が北陸の方で、そちらで店長をされるみたいですよ」
頭がスッと白くなった。
胸の鼓動も早くなる。
「……そうですか。ありがとうございました」
冷静を装って頭を下げて立ち去ろうとした時、別の男子店員さんが駆け寄ってきた。
「ひょっとして三崎さんじゃありませんか?」
「え? はい、そうですが」
「良かった! 河野さんから預かってるものがあって……待っててくださいね」
そう言って、小さな封筒を持ってきた。
受け取って家に帰ってから、そっと開いてみる。
綺麗なカードが入っていた。
溢れんばかりの花があしらわれたカードの真ん中に、金色で『Thank you』と書かれている。
開いてみると、彼の人柄を思わせるような丁寧な字で文字が綴られていた。
「あなたに毎日会えると思うと、仕事も楽しかったです。いつも遅くまでお仕事をされていて少し心配ですが、これからも頑張ってください。ありがとうございました。 河野 英嗣」
そこには、それ以外なにも書かれていていなかった。
連絡先もなにも。
相手を思いやりながらも、永遠の別れを彼は決めたのだと思った。
それからしばらく、喪失感は拭えなかった。
特に精神的に疲れた日には、コンビニに立ち寄ることを避けるようにもなった。
何気ない日常の中で、気付かないうちに自分の中の大きな場所を占める存在が現れるようなこともあるのだと、この時初めて知った。
そして時間というものが、少しずつ心から淋しさを洗い流してくれることも。
『彼氏より優しいコンビニ』は本当は彼自身をさしていた。
当然、そんなことは由夏も知らない。
もちろん今では、心置きなくコンビニにも行けるようになったが、桜が咲く頃になると、ふと河野さんの朗らかな笑顔を思い出すこともある。
こうして私にとって『彼氏より優しいコンビニ』は『人』ではなく『ハコ』になった。
二十代前半、ほのかな恋の始まりだったのかもしれない……
由夏が笑顔で戻ってきた。
「ねぇかれん、来週の『ワールド・ファッション・コレクション』だけどさぁ、チケットの売れ具合、ハンパないって聞いた?!」
「うん! 東雲コーポレーションの広報部の竹内さんが、わざわざ連絡くれて」
「毎年動員数が増えていくよね。このままじゃハコを変えないといけなくなるかな?!」
「そうね、今年の動員数を見て、また、会議することになりそう」
「そりゃそうよね! トレンドのリサーチに長けてるであろうスポンサー自体が、今年は三割増だからね。大いに期待を持たれてるってのは、肌で感じるわ。それに、ゲストモデルが『レイラ』っていうのもポイント高いしね!」
「うん。そこはやっぱり、由夏の手腕が効いたわね! 毎回そうだけど、今回もいいブッキングだわ。かなり盛り上がりそう! 頑張んなきゃ!」
「じゃ、カンパイする?」
「ううん、やめとく。ほら由夏、もう帰るわよ!」
「はぁい、しゃちょー!」
第6話『恋愛観』 - 終 -