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『記憶の森』 Leave The Forest ~失われた記憶と奇跡の始まり~  作者: 彩川カオルコ


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第57話『Get out of the Misty』

第57話『Get out of the Misty』



神秘性さえ感じる健斗の自宅ライブラリーの螺旋階段を上りきったところで、健斗がかれんに提案する。


「じゃあ! この重たい本を置いて、ちょっと出かけるぞ」


「え、どこに?」


「近くのバルだ。少し早いけど晩飯にしよう!」


健斗は書斎の机に本を重ねて置くと、かれんの手をとって玄関に向かった。



アパートメントを出ると、夕闇がすぐ近くまで来ていた。

オレンジ色の太陽の周りを紫の空が(おお)って、美しいコントラストをみせている。

二人は、今は若葉で生い茂る桜並木の川縁(かわべり)をそのまま北上する。

向こう岸に渡る橋の先に、ポツンと明かりが見えた。

近付いていくと、木造のスペイン風の空間があって、かれんは驚く。


「え、こんなところにバルが?!」


「昼間は開いてないから、わかんなかったろ? ここの肉、ウマイぞ! 飲み物がビールかコーヒーしかないけど。まあ、飲むのは家に戻ってからでもいいだろ?」


大きな(たる)をテーブルにして、そのカラフルなクロスの上でメニューを見る。


「うわぁ、本格的!」


色めき立っているかれんを見て微笑む。

「さあ、ご注文は?」


「そうね……ラクレットチーズと……リブロースグリル! スペイン風オムレツもいいな。あ、アヒージョも!」


「……お前なぁ、ブタは連れて帰らねぇぞ!」


「大丈夫よ、二人で食べるんでしょ。ビールは一杯だけにしとくからぁ!」


「あーもうわかったから、全部頼めよ!」


「やった!」


ため息をついて見せながらも、自然と頬がほころんでくる感覚を不思議な思いで受け止める。

彼女と一緒に居るだけで、こんなにも幸福感に包まれた時間が流れていく。


一人が気楽だと、ずっと思ってきた。

誰にも迷惑をかけず、背負わず、誰にも寄りかかることもなく、心乱されることもなく生きていく事が最良だと。

そう、あの日からずっと……

だから今、幸せを感じる中に少しの恐怖心が見え隠れする。

何かを守ることの難しさと、何かを失うことで生まれる果てしない失意を、知ってしまっているから……


「健斗! なにボーっとしてるの? これ、ホントに美味しいわよ!」


目の前のリアルな幸せが、こっちに向いて話しかけてくる。

その言葉で、目で、その表情で、いつも求めてくれる。

これから大変になるであろう大学の事も、会社の事も、(かたわ)らにかれんが居てくれたら、うまく乗り越えられそうな気がした。

彼女の存在は、言わば〝幸せのinvitation〟だと思った。



   いいのか? 本当に……

   俺が受け取ってしまっても。



「どうしたの?」


「え、なにが?」


「私と一緒に居るのに考え事してるなんて、ひどいんじゃない?!」


「あ……いや、かれんがあまりにもガツガツ食べるから呆れてただけさ」


「もう! ウソつき! いつもそうやって誤魔化してばかりなんだから!」


怒って見せる顔もまた、愛おしいと思った。

「かれん」


健斗がかれんの手を取った。

あのテラスレストランで、美しい景色を見ながら、初めて本当の気持ちを告げた時のように、その指に力を込めて真っ直ぐ彼女を見つめた。


「二人きりになりたい。行こう」


かれんはその艶やかな視線に言葉を失う。

頷くのが精一杯だった。



二人は指を絡めながら、言葉少なく川沿いの道を下っていく。

部屋に到着して、まごついているかれんの頭をポンと叩いた。


「何を緊張してるんだ。ほら、こっちに来て」


健斗はかれんの手を引いて、ダイニングの手前の扉を開けた。


「ほら!」


そこはパントリーになっていて、大きなワインセラーがあった。

コンプレッサーの音が響いている。


「うわぁ、凄い!」


「さぁ! なに飲みたい?」

健斗は温かい笑顔を向ける。


「シャンパンならこの冷えてる方だ、スパークリングワインもあるぞ。赤はこっちで……そっちは白とロゼ。好きな銘柄、選んでいいぞ!」


かれんが感心したように健斗を見上げる。

「ワイン、詳しいの?」


「いや、親父(おやじ)の受け売りだよ。いつも一人で飲むからさ、結局開栓したら冷蔵庫に入れて、洒落っ気なく毎夜の寝酒になっちまうんだけどね」


「贅沢ね」

かれんが微笑む。


「今夜は、やっぱりシャンパン?」


「そうね」


「じゃあ好きなの選んできて。俺はグラスを用意するから」


かれんが選んだワインをもってダイニングに戻ると、健斗はチーズと生ハムを用意していた。

かれんの手からボトルを受けとる。


「さあ、何を選んでくれたのかな?」


「ノクターンよ」


「夜想曲か、いいね」


健斗は器用な手つきでコルクを抜いて、氷いっぱいのワインクーラーにそのボトルを突き立てる。

二人してリビングソファーにそれらを運んだ。

健斗は照明を落として、スクリーンにプロジェクターからライブ映像を投影する。


「えっ?! モントルージャズフェスティバル?! すごい! こんな古い年度の映像、よく手に入ったわね!」


「イギリスにいる友達が送ってくれるんだ。音楽センスのいいヤツで、趣味が高じて今はコンポーザーやってるんだよ。どんなのが好き? 色々あるけど……」

メニュー画面を見せる。


「あ、東京ジャズフェスティバル。マーカスミラーとデヴィッドサンボーン! これ見たかったの……あ! アニタベイカーのライブもある! ダイアンリーヴスも……どうしよう!」


「かれん? ずいぶん盛り上がってるけど……」


覗き込む健斗に、かれんはいきなり向き合った。

「健斗!」


「ど、どうした?」


「撤回!」


「は?! 何が?」


「ライブラリーで〝私と健斗じゃ頭の作りは違う〟って言ったけど、音楽の趣味に関しては大いに合致してるわ! 素敵すぎる!」


いきなり首に手を回されて、抱きつかれた健斗は面食らって固まる。



   音楽の力は凄い……

   壁も垣根も一瞬にして越えてくるんだ、

   ただのコミュニケーションツールとは言えない。

   これはさすがに、どんな数式を使っても

   解けそうにはないな……



「か、かれん、落ち着いて! とにかく……シャンパンを飲もう」


かれんは健斗から腕をほどいて、ボトルを持ち上げる。

健斗はボトルを受け取る代わりに、かれんにシャンパングラスを持たせた。

シュワッという音と共に、傾けたグラスが金色に輝く。

ほとばしるように弾けたそのグラスをぶつける音に微笑みながら、二人は同時にグラスの華奢な足を持ち上げた。

ゆっくりと体に染み込んでいくのを感じながら、『ジョージベンソン』のメロウなギターが始まる。

かれんはうっとり聴き入りながら、健斗の肩に頭を置いた。


「いいわ……」


胸の内側が灼けるように熱い。

シャンパンのように沸き立つような感覚になってどんどん苦しくなる。


「健斗、助けて……」


かれんの潤んだ目を見下ろすと、その瞳に吸い込まれそうになる。


「ああ、いいよ」


健斗はかれんの髪をかき上げ、慈しむようにキスをした。

激しくなる動悸と沸き上がる血の音で、音楽が遠退いていくのを感じた。


その時、曲が変わった。

流れてきたのは、『Misty』

健斗に組敷かれているかれんの身体が、微かに固くなるのを感じた。


二人の脳裏に同じ光景が浮かぶ。


あの地下のジャズバー『Blue Stone』での、あの夜……

かれんを強引にさらおうとした〝ヤツ〟が彼女のこの頬に触れたあの指を思い出す。

健斗の中で激しい感情が沸き立った。

閉じていた目を見開いて、不安気にスクリーンに視線を向けるかれんの頬をしっかり包んで自分の方を向かせ、その視線を捕らえる。


「かれん……」


しっかりと見つめあった。


「もうアイツとの記憶は消える。今からこの曲は、俺との思い出になるんだ。ちゃんと、忘れさせてやるから」


健斗の熱い吐息を耳に感じ、かれんは再びそっと目を閉じた。


   Look at me (私を見て)

   I’m as helpless as a kitten up a tree

   (まるで降りれなくなった子猫のようになってしまうの)

   And I feel like a clinging a cloud

   (そして雲にしがみつくような、不安定な、そんな感じ)

   I can’t understand(何故かわからない)

   I get misty just holding your hand

   (ただあなたと手を取り合っただけで

            霧の中に迷い込んでしまう……)

    『Misty』



第57話『Get out of the Misty』- 終 -

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