第51話『Share happiness』
第51話『Share happiness』
健斗との初デートを終えたかれんは、彼の優しい表情に見送られ、後ろ髪を引かれながらエントランスに入った。
もうあの〝後ろ手のゆらゆらバイバイ〟を見ることはないのだろう。
そう思いながら、最後まで手を振る。
エレベーターに乗り込み『7』のボタンを押すと、息をついてその壁にもたれ掛かった。
昼間とは全く違う心情で同じ行動をしていることを不思議に思う。
彼が触れた肩や頬に、その温もりが残っていた。
静かに玄関を解錠したかれんは、母が帰っていないことにホッとする。
今の自分の顔を見たら、勘の鋭い母はなにか察知するかもしれない。
テーブルに置いたカバンについたキーチェーンに目をやる。
彼との出逢いは
まさしくこのキーチェーンのおかげよね?
やっぱり、幸せを呼んでくれる
お守りだったんだ!
かれんは改めてそのパワー実感し、カバンを抱えるように持ち上げると、その『ポラリスチェーン』にキスをした。
いつものように、バスタブにダマスクローズのオイルを入れ、甘く芳醇な香りに包まれながら目を閉じた。
長く浸っているわけでもないのに、今日はのぼせるような火照を感じる。
思い起こせば壮絶な一日だった。
父に呼ばれたパーティで、偶然彼を見つけたとき、そして彼が『JFM』の御曹司だとわかったときは、何だかすべて裏切られたような、そんな気がした。
そのショックで、エレベーターに乗るまでの行動はあまりよく覚えていない。
〝帰る〟と告げたときの父の寂しそうな表情だけが記憶に残っていて、妙な態度をしなかったかと少し心配になった。
彼がエレベーターに乗り込んできたときはパニック状態だった。
今思えば、健斗があのタイミングで会場を抜け出すのはきっと大変だったに違いない。
それでも、捕まえに来てくれた。
そして、心ごとさらってくれた。
自分から告白はしてくれたけど、
私の心から本当の気持ちを
引き出してくれたのね
あの素敵な夜景のテラスでの彼は、もうこれまでの〝藤田健斗〟とは違って見えた。
彼は、あらゆる疑念から心を解き放ち、全部の思いで抱き締めてくれた。
送ってもらったときも、なにも次の約束はしなかったが、彼がすぐに連絡をくれることはわかっている。
きっと彼も同じ気持ちだと、言葉がなくても信じることができた。
ついさっきわかれたばかりなのに、もう心が彼一色になっていることが、とても照れくさい。
思い出すだけで胸が熱くなるあの眼差しが甦ってきて、かれんはまた目を閉じた。
バスルームから出て、ミネラルウォーターを取り出しつつ、冷蔵庫に顔を突っ込むように火照った頬に冷気を当てる。
携帯の通知が光ってドキッとするも、画面を覗くと由夏からだった。
息を整えて、スマートフォンのスピーカーをタップする。
「もしもし、由夏」
「ああ、かれん。今日は『MAY'S』のパーティーに行ってきたんだよね? パパに会えた?」
「あ、うん。パパにも会えたけど……」
「ん? どした?」
「あ……『JFM』の会長がスピーチしてて、その横に……」
そのかれんの言葉にすかさず由夏は声を上げる。
「かれん! ごめん!」
「え……なんで由夏が謝るの?」
「だって……藤田先生が御曹司だってこと……」
「ええっ!? 由夏、知ってたの?!」
「ごめん! ホントにごめん! でも一応、藤田先生本人とも相談したのよ! 彼もちゃんとかれんとのこと考えてて……〝時期をみて話す〟みたいな……だから次の〝CEO就任パーティー〟が決まったらきっと話すんだと思ってたから……だから私からは言えなくて」
「ちょっと待った! 健斗と相談?! 就任パーティー?! なんのこと?!」
「……ああ、もう、まとめてごめん! ちゃんと説明するから、怒んないで聞いてよね」
由夏は、かれんの父の東雲会長が友人の宴をプロデュースしてほしいと、かれんではなく直接自分にオファーしてきたことと、その内容が『JFMホールディングス』の藤田会長の一人息子がCEOに就任するため、少人数のVIPを集めたお披露目会だと言うことを説明した。
更に、別件の打ち合わせで健斗に会った際に、その事実確認と、かれんにはどう伝えるかを相談したことも話した。
「彼ね、あなたを混乱させたくないからって、言ってた。就任パーティーの日取りが決まってから、言うつもりたったんじゃないかな? まさか今日、『キングスウェイホテル』で鉢合わせ
するとは……彼も思ってなかったのよね」
「そうなんだ……」
「ねぇかれん……もしかして?!」
「……うん。付き合うことに……なった」
「えっ!! ホント?! ヤッター! かれん! おめでとう! 私こうなることを願ってたわ!」
「ホントに?」
「当然よ! あなた達、本当にお似合いだから」
「そうかな? 喧嘩ばっかりしてたけど……」
「藤田先生はかれんでないとダメなのよ! かれんだってそう! お互いにシンパシー感じあってると思ってたの。これで私も〝お見合い斡旋おばさん〟卒業だわ!」
二人して笑った。
かれんは由夏に今日の経緯を話した。
「パーティのあと二人で食事して、そこで話してくれた。今まで彼は謎が多いって思ってたけど、彼の話を聞いたら腑に落ちる事が色々あったわ。私たちがこうなったことは、表立って公表するつもりはないけど、由夏と葉月にだけはちゃんと言わなきゃなと思ったから」
「聞けてよかった! ホントに嬉しいよ!」
「葉月への報告は明日にしようかな」
「そうね、土曜日の夜だから、今夜はあの彼氏とデートだろうし?」
「そうね!」
「あのさぁかれん、さっきから……ひとつ気になってるんだけど……」
「なに?」
「今日は土曜日よ、葉月もデート。かれんも明日は会社もないし、センセイも大学は休みよね?」
「うん……そうね」
由夏はじれったそうに声を上げる。
「あのさ! 大の大人が、ディナーの後にまっすぐ帰ってきちゃうって、どうなんだろ?! そこはもう……感情の赴くままに、一晩過ごして一緒に朝を迎えるもんじゃないの?!」
「な、なにいってるの! やだなぁ由夏ったら! 由夏はそうなわけ?」
「私なら……いや! 私のことはどーだっていいのよ! だってさ、やっと想いが伝わったのよ! なんで中学生みたいに帰ってきちゃうかなぁ!?」
かれんは苦笑いする。
「あ……彼はこれから急激に忙しくなるみたいだし、いくつも論文を抱えてるらしいから……」
由夏は溜め息をつく。
「……まあ、焦ってないってことを証明したい気持ちがあるのかも知れないけどね。そういう男の心理もわかるけど?」
「ふふ。ねぇ由夏」
「なあに?」
「ホントにありがとね。今まで色々と、ご心配をおかけました」
かれんの改まった口調に、由夏は笑う。
「いいえ、こちらこそいい話を聞かせて頂きまして! あー良く眠れそうだわ! じゃあかれん、また月曜日ね!」
祝福してもらうことが、こんなにも嬉しいことなんだと、初めて知った。
心が芯から温まるような幸せな気持ちに溢れている。
間髪入れず、電話が鳴った。
今度は健斗からだと確信したかれんは、今度はスマートフォンを耳に当てる。
「もしもし、かれん。元気か?」
「ふふ、〝元気か〟って……さっき会ったばかりじゃない?」
「そうだけど……もう会いたくなってる」
かれんは赤くなって、思わずスマートフォンから顔を外した。
「……あなたって、そんなにロマンチストだっけ?!」
「えっ! あ……あんまり言わないでくれ! 俺も自分で柄じゃないことぐらいわかってんだ! けど……素直にそう思っちまうんだから……しょうがないだろ!」
拗ねた子供のような健斗の声に、思わず〝かわいい!〟と言いそうになった。
どんな顔をして話しているのだろうと思うと自然に笑みが涌いてくる。
「……それよりさ、俺さっきから何回か電話してたんだけど、話し中だったぞ! ちょっと心配した……」
かれんは笑い声になりそうなのをこらえて聞く。
「何の心配をするわけ?」
健斗は小さく息をつく。
「ギブアップだ! 意地悪はよせよ。誰と話してたのか……聞かせてくれるか?」
かれんは我慢ができなくなって吹き出した。
「あはは! ごめんなさい、由夏よ」
健斗の大きなため息が聞こえた。
「あー、もう! くそっ! で? 由夏さんに俺たちのことを?」
「うん。報告した。すっごく喜んでくれて。私もホント嬉しかったわ」
「そうか、良かった。さすが〝お見合い斡旋おばさん〟だな」
「あはは、〝もう卒業だ〟って、そう言ってた」
「あはは、世話かけたな! 今度何かご馳走しなきゃな」
「ええ!」
心温まる時間だった。
繋がっていること、素直に本心を話せることがこんなにも幸せな気持ちになることを、もう何年も忘れていた。
「ねぇ、あなたとの出会いも、結局キーチェーンがきっかけなのよ! すごいと思わない?」
「まぁ……そう思うと凄いな。あの時は俺、かれんに怒鳴り散らしちまったけど……」
「あはは、ホント怖くて変な人と思ったわ。でも考えてみたら、あんなに純粋に私のこと心配して、あんなに叱ってくれた人なんて、今までいなかったから、私もびっくりしたのよね。でも新鮮だったって感覚もあったわよ」
「は! かれんは嘘つきだな! 初めは天海先生に惚れてたろ?!」
「あ……そこはノーコメントで!」
「コイツ! 否定しろよ! むかつく!」
「あはは」
楽しい攻防戦が続くなかで、〝この人を好きになって本当に良かった〟と、かれんは心からそう思った。
第51話『Share happiness』- 終 -




