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『記憶の森』 Leave The Forest ~失われた記憶と奇跡の始まり~  作者: 彩川カオルコ


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第50話『恋のはじまり』

第50話『恋のはじまり』


パーティーも終盤に差し掛かった。

父である『JFMホールディングス』藤田会長の隣に立って壇上に上がった健斗は、それからも多くの関係者に挨拶をするも、さっきかれんが見せた表情が頭から離れなかった。

彼女の小さな顔を手で包んだときの頬の温もりも、口づけた後の潤んだ瞳も……

思い出すと鼓動が高なって心臓を掴まれたような衝撃が走り、息苦しい。

でも脳裏に浮かぶ彼女の表情に癒され、穏やかな気持ちになった。

彼女のそばにいたい。

自然とそんな思いが涌いてきた。



   なかなか重症だな……俺



『May'sカンパニー』五周年パーティーがお開きとなり、来場者と共にフロアを出る。

今日このパーティーに参加したということは、父からの無言のメッセージを受け取ったということに等しい。

ごく近い将来、正式に『JFMホールディングス』のCEOに就任することになるだろう。

大学の事も含め、これからあらゆる取捨選択を迫られ、頭を悩ませることになる。



   そんな時、(かたわ)らに彼女がいてくれたら……



そう思うと心強さを感じ、何でも達成できるような気分にしてくれた。

今日のところはようやく解放されたとホッとしながら、おもむろにスマートフォンを取りだすと、健斗は彼女にメッセージを送る。


「久しぶり。これから会わない?」



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



タクシーで山道を登る。

スマートフォンを取り出しては、何度も彼からのメッセージをなぞる。



   「久しぶり」だなんて……

   さっき会ったばかりじゃない?



自然に笑みがわいてくる。

かれんも同じ気持ちだった。


新緑の山々を臨みながら十五分ほど車を走らせると、待ち合わせのレストランに到着する。


THE() SUNSET(サンセット) TERRACE(テラス)

由夏が先日、商談をまとめたと言っていた人気のレストラン。

いつも若者でごった返していると聞いていたはずだったが、人の姿はなかった。

店に入ると、上品なディレクトール(支配人)が奥のテーブルに案内してくれる。

席につく前に、そのロケーションに圧倒される。



   なるほどね……由夏の目に留まるのも納得だわ



全面ガラス張りの室内テラスから、見事な景色が広がっていた。

山々、そして木々が連なり、その向こう側にはジオラマのような街並みがびっしりと敷き詰められている。

そしてその更に奥に広がる海の水面のコントラストまで、すべてが見渡せる贅沢なその景色はまるでポストカードのようで、かれんはしばし見惚れていた。


エントランスの方で声がして、その声と同時に、カツカツと革靴の音がする。

その音よりも自分の心臓の音の方が大きいのではないかと思うほど、かれんは緊張してめまいがした。

そして、エレベーターで見たそのままの姿の健斗が現れる。

かれんの顔に焦点が合ったとき、彼はにこやかに微笑んだ。


「お待たせ」


その瞬間、なにもかも吹っ飛ぶように、かれんの心も解放された。

二人だけの空間。

視線を合わせたまま、しばしの沈黙が続く。

健斗はかれんに向かい合って座った。


「久しぶり……って感じ、しないか?」


「するかも……」


「ってことは……俺たち同じ気持ちなんだよな?」


彼の目を見つめ、瞳で答えた。

机の向こうから長い手がスッと伸びてくる。


「この手、このまま(つか)んでしまったら、もう離せなくなるかもしれないけど。それでも構わない?」


かれんはゆっくり頷く。

少し冷たい指に触れられると、気持ちが一気に流れ出した。

指先がどんどん熱くなってくる。

大きく力強い手に包まれて、気持ちが通い合うのを感じた。



太陽が傾き、空がだんだんと色づいて来た。

金色の光は、やがて海と街を紅く染め、空には紫のグラデーションを映し出す。


「ほら、こっちに来て」


かれんの手を取り、そっと立たせると、健斗はそのままテラスの方へ導く。

二人は立ったまま、ぼんやりと移ろい行く空の色を見ていた。


「そのドレス、綺麗だな。女性的っていうか。似合ってる。パーティーのときはこんなに華やかなんだな」


かれんはふふっと笑う。

「あなただって、コンビニで遭遇(そうぐう)する時と今とでは、全く別人よ」


「それを言うなって!」


二人で笑い合う。


「なぁ、かれん……って呼んでいいか?」


「……ええ」


「じゃ、かれん、俺のことは健斗で。これからは〝あんた〟って呼ぶなよ!」


かれんは頬を膨らませながらにらむ。


「ああ、怖い怖い。ホント、手強い女だよ。俺にここまでさせるなんてさ」


「どういう意味よ?」


「そう、その顔。初めて見たときは、ホントおっかなかったけどな。今は……」


彼の顔を仰いだ。


「かれん、今は……いとおしくてたまらない」


健斗はその細い肩をぐっと引き寄せた。

「俺のそばにいて」


かれんは静かに頷く。


健斗は子供のような顔をして微笑んだあと、彼女を胸に抱き締めて、頬に手を伸ばした。

そして覆いかぶさるようにキスをする。

紺碧の海が空と同じ色になるのを、彼の肩越しに見ながら、かれんは幸福感に目を伏せた。



眼下の景色はきらびやかな夜景と化している。

二人は向き合ってディナーを楽しんだ。


「かれん」


「なに?」


「今日は口数が少ないね、調子狂うよ」


「だって……」


「わかってるよ」



   そう言ってあなたは微笑むけれど、

   本当にわかってるだろうか?

   胸がいっぱいで、

   普通に振る舞うことも

   食事をすることも精一杯なのに……



平然を装いながら話を切り出す。

「あの……今さらなんだけど……このお店、私たちだけしかいないよね?」


「そうだな」


「今日は土曜日の夜だから、普通なら満席じゃないかなって思ったり……」


「そうだな」


「つまり、あなたが……」


「そう」


「やっぱり! 貸しきったのね」


「っていうか、この店は、俺の……」


「ええっ!? そういうことなの!」


健斗は苦笑いしながらフォークを置いた。

「……そうだな、かれんには色々話さなきゃならないことがある」


「話さなきゃならないこと?」


「うん、俺自身のことも、俺の回りのことも……なにも話してないから……」


かれんもフォークを置いた。

「あなたは大学の准教授でしょ? そして今日も新たに、わかったことがあるわ」


「そう、俺は『JFMホールディングス』の藤田会長の息子だ」


「まだそれだけじゃ……ないみたいね」


かれんは少し(うつむ)く。

「このお店貸しきったり、あなたのあの部屋も……確かに〝ただの先生〟ってだけではない感じだったもん」


「まあ、普通なら不審に思うよなぁ……なぁかれん、これから追々説明していくから、とにかく、俺を信じて! そして(そば)にいてほしい」


「健斗……」



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



二人タクシーで下山する。

かれんのマンションの前で降りた。


「初めて会った日もこうしてタクシーで送ってもらって」


「そう、そしてこうしてここで降りて、ストーカー扱いを受ける、と!」

健斗はニヤリと笑った。


「もう! 根に持ってるのね」


胸を叩く彼女に、笑って応戦する。

「ははは、ぜんぜん!」


「さあかれん、家に入って。でなきゃ、いつまでもここに居たくなってしまうから」


「わかった。じゃあ……」


「あれ? 手が……おかしいな、離れないんだ。どうしてだろ?」


かれんが吹き出す。

「あはは、もう! ふざけすぎよ!」


「おいおい、男の心理がわかってないな! なんなら、このまま俺の家まで引きずっていっても構わないんだぜ?」


「な、なにいってるの」


健斗はかれんの手を引き寄せて抱き締めた。


「冗談だよ。でも本当はここでキスしたいのが本音だ。でも家の前ではさすがにな……俺たちはもう秩序ある大人だ。そして何も焦ることもない。二人の気持ちが確かめ合えたんだ、あとはゆっくり大切に進んでいこう」


健斗はかれんの頭に優しく手を置くと、彼女の肩を持ってくるりと玄関の方に向けた。


「さあ、行けよ」


「うん、おやすみなさい」


「おやすみ」



彼女を見送った健斗は、ネクタイを緩めながら北に向いて歩いていく。

まだかれんを意識していなかった頃を思い出していた。



   この川沿いで肉まんを食べたっけ?

   気の合うヤツだなとは思っていたが、

   女としては……

   あ、でもあのとき……



夜の桜が舞い散るなか、色気もなくビールを仰ぐ彼女の髪に降ってきた花びらが、やけに綺麗に見えたことを思い出した。



   もう始まっていたのかもな。

   やべぇ……

   今日の俺は、やけに素直だ。



頭をかきながら、健斗は足早にアパートに入っていった。



第50話『恋のはじまり』- 終 -

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