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『記憶の森』 Leave The Forest ~失われた記憶と奇跡の始まり~  作者: 彩川カオルコ


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第43話『心の扉』

第43話『心の扉』


砂浜から帰還した二人は、人気(ひとけ)のないロビーからエレベーターに乗り込む。


「うわ……まだ砂が出てきやがる」


服をパンパンとはたく健斗の背中には、くっきりと線が入っていた。


「あ……シャツ、汚れちゃってる」


健斗はさして気にする様子もない。

「ああ、別にいいよ。論文書いてただけで、まだ風呂も入ってねえし」


「でも……ばっちり階段の跡がついてるし。私……全体重で乗っかっちゃったから、打ち身になってるかもよ? 本当に痛まない?」


健斗は肩をすくめた。

「言ったろ? 俺は運動神経も抜群で頑丈なんだって」


「数学の先生って、運動神経が抜群のイメージじゃないけどね」


かれんの言葉に、健斗は過剰に反応した。

「出たよ! そういう偏見。数学が得意な奴は鉛筆以上の重いものを持たないとでも?!  こう見えても俺、バスケの選抜選手だったんだぞ!」


「え? ホントに?!」


「まぁ、選抜だったのは中学までの話だけどな。でも高校も大学もずっとバスケは続けてた」


「そうなの? じゃあNBAも好き?」


「もちろん! 学会でアメリカに行く時は、必ずNBAを観戦してる」


「そうなんだ! 天海先生と一緒!」


「は?」

健斗はかれんから顔を(そむ)けて辟易(へきえき)とした表情を隠す。


「……へぇ? 天海先生ね」


「うん。私もNBA、好きだから」


「ふーん? いつも……そんな話してんだ?」


「いつもってほどお会いしてないけどね。ほら、前にあなたと偶然コンビニで会ったとき、天海先生のご友人のレストランの仕事が決まったって、話してたじゃない?」


「え? ああ……そうだったな。あれ……以来?」

健斗は横目を向ける。


「そうね、たまに連絡は頂くんだけど、今回のイベントの打ち合わせばかりで、全然時間が合わなかったから」


「へぇ……そうか……」


「今度は『RUDE Bar』に行きたいっておっしゃってたから、あなたも来たら?」


「ええっ! なんで俺が?!」


かれんは健斗の過剰反応に不思議な顔をした。

「え……だって、天海先生も学生時代からずっとバスケしてる人だから、二人は気が合うかなと思って……」


「あ! そ、そうだな。めちゃめちゃ気が合いそうだ!」


「そ、そう。よかった」


しばしの沈黙の後、エレベーターが開いた。

今度は同じ方向に向かって歩き出す。


「そういや葉月さんはどうしたんだ? さっきは由夏さんしか見かけなかったけど?」


かれんはフッと笑う。

「葉月はまただいぶ酔っちゃって。で、また私の元カレの話に」


「ええっ……」

健斗が気の毒と言わんばかりに苦笑いする。


「ああ、でも今度はね、さんざん謝られちゃってさ。〝もう全然気にしてないよ〟って背中をトントンしてたら、コドモみたいに寝ちゃったの」


「あはは、そっか。マジで葉月さん、面白れぇな! そりゃ葉月さんだって悪気があってこのホテル選んだわけじゃないんだろ? 〝因縁(いんねん)の場所〟だなんて、知らなかったわけだし?」


かれんがピタリと立ち止まった。

グッと健斗を見上げる。


「ちょっと待って! なんでここが〝因縁の場所〟だって知ってるわけ?」


健斗の息が止まる。

「うっ、ヤベ……」


「わかった! 由夏でしょ!」


「あはは……ま、まあいいじゃん! 誰が見たって、お前変だったし?」


「そんなことないでしょ? ちゃんと笑顔でご挨拶もしてたじゃない!」


「食いしん坊なお前がさ、食事もせずにあんなにサッサと居なくなりゃ、近しい人間なら誰だってわかるさ。言っとくけどなぁ、ちっとも隠せてないからな!」


かれんは上目遣いで見つめる。

「あなたも……ってこと?」


「ま、まあ……そうだな。変だって思って見てたから、それで多分由夏さんが話しかけてくれたんだと思うけど」


「そうなんだ……」


「お前さ、何でも背負い込みすぎなんだよ。頼ってほしいと思う人間を信じて、(ゆだ)ねるのも必要なことなんじゃないのか?」


「ちょっと!」


「なんだよ、間違ってねえだろ?」


「図星……だけど、図星過ぎて……」

かれんが(うつむ)く。


「いや、お前のその〝頑張り家〟っていうか……そういうところはいいんじゃないか? でなきゃここまでの仕事、できねぇからさ」


かれんが顔を上げる。


「もっと(ほこ)りに思えよ。こんなデカい仕事、その細腕で回してるんだから、自分に自信持てばいいだろ?」


かれんが健斗をまっすぐ見上げた。


「な、なんだよ」


「前もそんなふうに……背中押してもらったよね。ありがとう」


健斗は(つくろ)うように視線を()らす。

「そ、そうか。なら良かった。あ……ここ曲がったらお前の部屋なんだよな?」


健斗が自分の部屋を通りすぎる。


「いいわよ、先に部屋に入って」


「たった数歩ごときで気を遣うな。今日を(さかい)に、一人で頑張りすぎないこと! いいな、わかったか!」

そう言ってかれんの頭に手を置いた。


「え……」


かれんの反応に健斗は少し焦る。

「ああ……こ、これは……高圧的に教授だから上から言ってるってわけじゃなくて……俺は単に背が高いだけで……

そ、そう! だから誤解しないように!」


かれんが笑いだした。

「数学教授さんはどうなの? もう論文、書き終わった?」


その言葉に健斗はあからさまに顔をしかめた。

「おい……嫌なことを思い出させるなよ! 行き詰まってるから、外に出てきたんじゃねぇか」


「え! そうなの? だったら早く戻って書かないと!」


「ああ。お前も早く寝ろよ。夜更かしして深酒ばっかしてたら、肌が荒れるぞ」


「うるさい! ふふ。おやすみなさい」


笑いながらそう言うと、彼もドアが閉まるまでそこに立って笑顔を向けていた。


「おやすみ」

心地よい低音のバリトンボイスと共にドアがゆっくり閉まった。




第43話『心の扉』- 終 -

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