第42話『A Starlight Night』
第42話『A Starlight Night』
葉月が酔いつぶれたタイミングで『ファビュラス3』の打ち上げは〝お開き〟となった。
かれんと由夏は自室には戻らず、夜の海を見にビーチに出る。
月夜に照らされながら、話し込んでいたかれんは、由夏と一緒に砂を蹴りながらホテルの建物まで戻ってきた。
もう少しここにいると言ったかれんは、エレベーターホールに向かう由夏を見送る。
一人きりになると波の音がいっそう大きく聞こえた。
昨夜と同じように月は大きく、煌々と光を放っていても、不規則に揺らめく漆黒の海には、飲み込まれそうな恐怖心さえ感じる。
ビーチに下りる階段で耳鳴りのような音がした。
そうか、ここはとっても静かなのね
頭がぐらぐらして、けっこう酔いが回っていることに気付く。
同時に、やはり親友の前でも気を張っていたんだとも気付く。
また叱られちゃうわ。
大きく息をはいて階段に腰をかけると、そこが三年前もこうして自分が座り込んだ場所だったことを思い出す。
苦笑いで済ませるつもりが、少し息が上がった。
こんなに静かな美しい場所で、お互い一方通行の思いをぶつけ合い、傷付け合った。
信頼していたと思い込んでいたとはいえ、尊重を欠く言葉の攻防に疲れきった中で、その行為自体どれほど甘えていたのかと絶望したあの時……
思い出すだけで、今も胸がグッと苦しくなる。
もう、誰のことも想ってはいないのに……
どうしてこんな気持ちになるんだろう……
そんな心の虚しさなどお構いなしに、波の音は規則的に時を刻む。
ちょっと冷えてきたかも……
もう行かなきゃ。
立ち上がってみると、全ての血が下がったかのように、急な目眩に襲われる。
視界が閉ざされたと同時に、頭の中が真っ白になって、また奇妙な光景が脳裏に浮かぶ。
森……の中?
男の子が二人と、そして
小さな女の子……
泣き叫んでいるのは……
誰なの?
グラッと体がよろめいた。
目が開いて、階段の上だと気付く。
「ああっ!」
「危ない!!」
落ちると思ったその瞬間、誰かが支えてくれた。
「しっかりしろ! 三崎かれん!」
「えっ?!」
その声で、遠退いていた意識がふうっと戻った。
顔を上げて、声の主に目をやる。
「藤田……健斗」
気が付けば、彼に抱き抱えられていた。
「お前……どうしたんだ!?」
「あ……ご、ごめん。ありがとう」
かれんは繕うように身を起こす。
「何かあったのか?」
健斗はかれんを支えたまま、顔を覗き込んだ。
「こんな所で転んだら大怪我だぞ! 気を付けろよ」
「うん……」
「ん? お前、酔ってんな?!」
「ああ……まぁ」
健斗は大きく溜め息をつく。
「あのなぁ、いくら宿泊客が知り合いばかりとはいえ、こんな深夜に酔っぱらい女子が一人でこんな所で……」
「あ……さっきまで由夏も居たのよ」
「ああ、ロビーで見かけた。声は掛けなかったけど、砂を払うように歩いてるのを見てさ、俺も海を見ようと思って出てきたんだ。そしたら……このザマだ」
「そう……」
「目を覚ませよ! ほら、これでも飲んどけ」
健斗はかれんをもう一度そこに座らせてから、ロビーの自販機で買ったミネラルウォーターを手渡した。
「ありがとう」
かれんはゆっくり流し込むように持ち上げると、大きく息をついた。
健斗はまた溜め息をつきながら、その横顔をじっと見つめる。
「なぁに?」
「さっきのお前の表情がさ、なんて言うか……〝あの路地裏〟で初めてお前を見かけたときの表情と、同じだった。大丈夫なのか?」
「え……」
「また……なんか、見たとか?」
「あ……まぁ」
「そっか……厄介だな。そういえば、この前の……その……山上ホテルの」
健斗は言いにくそうに下を向く。
「その……森の中でもさ、さっきみたいな顔して〝なにか思い出した〟って言ってたろ? 覚えてるか?」
かれんは記憶の糸をたぐり寄せるように、思いを巡らせる。
「ん……そう口にしたことはなんとなく覚えてるけど……何を思い出したのかはわからない」
「そうか。いいよ、無理に思い出さなくても。ってか、もう遅いし、けっこう冷えてきたぞ。そろそろ部屋に戻った方がいいんじゃないのか?」
「そうね」
そう言って立ち上がったかれんは、またふらついて健斗に支えられた。
「ああもう! まさか、また捻挫したりしてないだろうなぁ!」
「大丈夫よ」
「何が大丈夫だ! もし俺がここに来てなかったら、お前一人で部屋に戻れてたか? 朝になってから〝冷たくなって発見〟されてたかもしんねーぞ!」
「ええっ? あ……あははは」
それを聞いたかれんは、妙な想像が頭に浮かんだせいで、しばらく笑いが止まらなくなった。
「お、おい! そこ、笑うとこじゃねぇだろ?! お前……マジでヤベぇ酔っぱらいだぞ。ったく、どんだけ飲んだんだ? 由夏さんはスタスタ歩いてたけど、まぁ彼女は並外れた酒豪だからなぁ……」
かれんが更に笑い出す。
「あーっ、そんな言い方して! 由夏に言いつけてやろっと!」
「や、やめろよ!」
「やだ! 由夏にビビってるの?! あははは」
健斗がめんどくさそうに額に手をやる。
「あのなぁ! こんな所に二人で居たって言ったら? なに言われるか……」
「あ……確かに。だって由夏は……」
「お見合い斡旋オバサン!」
「お見合い斡旋オバサン!」
同時に言って、今度は健斗も笑いだした。
「あはは。それも言いつけてやろっと!」
「なんで! お前が言ったんだろ!」
「あなた、そのワードよく覚えてたわね? ということは? 由夏のことをずーっとそんな風に思ってたんだ!? わぁ……罪深い!」
「お前、マジでひどいヤツだなぁ! このまま置いていってやる!」
「やだ! 待ってよ!」
階段を上がるそぶりを見せる健斗に、かれんは立ち上がってそのシャツの裾をつかんだ。
「わっ!」
バランスを崩したかれんを受け止めるように、健斗は階段に仰向けに倒れ込む。
「痛ってぇ……」
かれんは仰向けになった健斗の腕の中に抱き締められた。
「わ! ご、ごめん! 大丈夫?!」
慌てて飛び起きて、健斗を起こそうと腕を引っ張ろうとしたかれんの肩を、健斗はグッと引き寄せた。
「え!?」
「ほら、見てみ」
健斗が自分の胸の上で、かれんの身体を仰向けにした。
そこには視野一面に星が点在し、どこに目をやっても、無数の星たちが瞬きながら、あらゆる光を放っていた。
「凄い……」
どれほど遠く、どれほど時が経っているのかも想像もできない壮大スケールの天空から、今こうして自分のもとまで光が届いている。
自然の営みの中に、自分が存在していることさえも不思議に思えた。
「星が降ってきそう……」
「ホントだな。星以外なんにも視野に入らない……」
波の音をバックに、視野いっぱいの星の瞬きを堪能しながら、背中から伝わる健斗の温もりと規則的な心音が、かれんを安らぎへと導いた。
健斗の手が、そっとかれんの腕に触れ、かれんの鼓動が高まる。
「わ! 冷てぇ! 風邪引いちまう。帰るぞ!」
「え?! あ……う、うん」
拍子抜けするような健斗の言葉で、かれんは目が覚めたように起き上がった。
気まずさを隠すように、かれんは健斗に向き直る。
「あ、あの……さっき倒れたときに、どこか打ったりしてない? ごめん……」
「いや?」
「だって、痛いって言ってたし……」
「俺は運動神経も抜群だし頑丈にできてるんだ、なんともない。なんならここで、脱いで見せてやろうか?!」
かれんは慌てて首を横に振る。
「あはは。ビビるなよ! それより、二人とも砂だらけになったな」
そう言ってかれんの肩や袖についた砂を払う。
「あ、あなただって、背中一面砂だらけよ」
かれんも健斗の背中に手を回して砂を落とした。
同時に上げた顔の距離が近くて息を飲む。
視線が絡み合った。
息が止まる。
健斗がかれんの肩に手を伸ばした。
「ほら! 部屋へ帰るぞ。歩けるか?」
再度拍子抜けした言葉に、かれんはハッとしながらも頷く。
「うん……大丈夫」
「じゃあ行こうか!」
健斗はかれんの腕を引き上げた。
建物に入ると、健斗は支えていた手をスッと外す。
エレベーターの階数表示を見つめながら、その数が増えるごとに頭が冴えてくる気がした。
同時に、すぐ側にいる彼を直視できなくて俯く自分に、かれんは困惑した。
- 終 -




