第34話『Moon Drops』
第34話『Moon Drops』
全国的にも有名な老舗のJazz Live Bar『Moon Drops』
そのドアを開けると、温かい喧騒に包まれる。
「いらっしゃいませ、藤田さま。お席を用意しましたので」
フロアから一段上がったコーナー席に通された。
パーティションもあり、他のゲストの存在を感じないままにライブ演奏が観られる特等席だった。
ステージを見下ろすと、落ち着いた色調の空間の中に、楽器がまるで演者のごとく、スポットライトを浴びながら佇んでいる。
でもそれらは、あの『Blue Stone』のでようなディスプレイではなく、これからの出番を待っているかのような、活力に溢れているように見えた。
「ねぇ、健ちゃん、なんでこんないい席が取れるわけ? もしかして常連とか?」
「オーナーが知り合いだって言ったろ」
「でもさ、こんなところに誰と来るわけ? 健ちゃんは秘密主義だから普段何してるかわかんないのよね……『musée de cuisine』でもそう思ったんだけどさ、あんな個室を取れるなんて変だなぁって思って……ねぇ健ちゃん、白状しなさいよ! 女の人と来てたりするんでしょ!」
健斗は面倒くさそうに、空を仰いだ。
「ああ、そうかもな。だったらなんだよ」
「はぁ! なに!? どういうこと!?」
「あーあーうるさいな。お前みたいな酔っぱらいがいるから、〝迷惑のかからない席を用意してくれ〟って言っただけだよ」
「ちょっと! 何てこと言うのよ! 恥ずかしいじゃない!」
「バカ、冗談に決まってるだろ!」
「はぁ?! もう! かれんさーん、健ちゃんって酷いと思いませーん!」
しなだれかかってくるレイラを抱き止めて、かれんは笑いながらその背中をさすった。
演奏が始まった頃にはレイラの機嫌もすっかりなおっていて、スタンディングオーベイションで拍手を送りながら跳び跳ねるレイラの腕を、健斗がしかめっ面で引っ張って座らせる姿に、かれんと波瑠は大笑いした。
ライブが終わり、暗くなった店内で、丸いグラスに浮かんだキャンドルの仄かな灯りに照らされた二人の顔を見ていると、どことなく似ているようにも思えたが、かれんにはやはり、兄妹というよりはお似合いの二人にも見えた。
かれんが化粧室に立って、席に戻ろうと廊下に出ると、そこに波瑠が立っていた。
「どうしたの? 波瑠くん」
「いや……かれんさん、結構飲んでるから大丈夫かなと思って」
「なに? 心配してくれたの? ありがとう。でも大丈夫よ」
「なら、よかった」
そういった瞬間に段差につまづいて、波瑠に抱き止められる。
「大丈夫ですか!」
「あ……酔ってるんじゃなくて、段差に気付かなかっただけ。ありがとう」
二人して席に戻ろうと、ステージを横切ったところで、前を歩いていたかれんの足が止まった。
「どうしたんです?」
前方を覗き込んだ波瑠も黙りこむ。
遠目に見えたコーナー席で、レイラが健斗に抱きついていた。
健斗は困り顔で宥めるようにレイラの耳元でなにか話しているが、とても近付ける雰囲気ではなかった。
「かれんさん、このままここを出ませんか?」
「え?」
その言葉に驚いて振り返る。
「レイラ、ああなったら厄介なんですよ。健斗さんしか対処できないですし、ボクらがいたところでどうしようもないですから。だから出ましょう。健斗さんには後から連絡をいれておくので」
店の外はひんやりとして、酔った頭を冷ますにはちょうどいい温度だった。
「かれんさん、寒くないですか?」
波瑠が手にしていた自分のジャケットを、ふわっとかれんの肩にかける。
「大丈夫……でもありがとう。波瑠くんって、紳士よね」
かけてもらったジャケットの襟を持ちながら、人気のない道の真ん中を、コツコツと靴音を響かせながら歩く。
「かれんさんから見たら……やっぱりボクは子供なんでしょうか?」
「え? どうして」
「まるで子供を誉めるみたいに……言うので……」
その拗ねたような横顔を見ると、どうしてもかわいいと思う感情が溢れてくるが、かれんはそれを飲み込んだ。
「正直ね、そう思ってたところもあったんだけど、今日初めてこうして外で波瑠くんと会ってみたら、ずいぶん見方が変わったわ」
「ホントですか!」
「ええ。レイラちゃんへの対応も、年上の藤田健斗への対応も冷静で的確だし、そういった意味では私よりもずっと大人なのかも」
「それは言い過ぎですよ!」
「だって〝仙人〟に会ったのは初めてだから」
「あー! かれんさんまで、そこ、いじってくるんですね!」
「あはは。まぁ藤田健斗が〝お子ちゃま〟だから? 波瑠くんも一緒にいると大人にならざるを得ないのかもね」
波瑠が口を押さえて吹き出した。
「あはは、気分いいなぁ! ボクだってかれんさんがこんなに面白い人だとは思いませんでした。ねぇかれんさん、良かったら『RUDE Bar』に戻って飲み直しません?」
「え? 今から開けるの?」
「もちろん〝CLOSED〟のプレートをかけたままですよ。かれんさん貸しきりで!」
「え! いいの!?」
「もちろん! じゃあかれんさん、行きましょう!」
波瑠はエスコートするように大通りまで出てタクシーを拾った。
第34話『Moon Drops』- 終 -