第32話『意外な参加者:ミュゼ・ド・キュイジーヌ』
第32話『意外な参加者:ミュゼ・ド・キュイジーヌ』
『ファビュラス』の広告として、駅張り用と赤文字系に向けた撮影のためにスタジオに入ったかれんは、カメラマンとディレクターと共に、最終の画像チェックを行う。
チェックを終え、スタッフが撤収作業をしている間に、かれんはモデルのもとを訪れた。
「レイラちゃん、お疲れ様。今日も良かったわ、ありがとう」
「かれんさん、ありがとうございます」
「レイラちゃんはこの後も、次のお仕事があるのよね?」
「ええ、CM撮影の打ち合わせが」
「あ、もしかして『Allurer』の?!」
「はい!」
「そうなんだ! おめでとう! レイラちゃんもついにムービーデビューか! 何だか感慨深いわ」
「ファビュラスさんのお陰ですよ。まさか『Allurer』からオファーを頂けるなんて、ファビュラスのショーに出てなかったらありえませんでした」
「うれしい! そんな風に思ってくれてたなんて!」
「いつも感謝してるに決まってるじゃないですか! 私のラブコール、届いてるでしょ?」
そう言ってレイラは子供のように屈託のない笑みを向けた。
「レイラちゃん! お祝いに美味しいもの食べに行きましょう!」
「わぁ! ほんとですか?!」
「行きたいお店ある? 高級店でもいいわよ! 遠慮しないで」
「じゃあ……実は気になってるお店があって。『ミュゼ……』何だっけ?」
「あ、もしかして『musée de cuisine』? 知ってるわ! 昔よく行ってた。いいお店よね?」
「とっても素敵だって話には聞いてたんですけど、老舗だから敷居が高くて……まだ行ったことないんです」
「じゃあ、そこにしましょう!」
「ホントですか、嬉しい! じゃあ私が予約しておきますね!」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
『musée de cuisine』はその名のごとく、美術館のような佇まいで、褐色の美しいフォルムのインテリアに囲まれた、落ち着いた雰囲気の空間だった。
久しぶりに店内に足を踏み入れたかれんは、数年前に思いを馳せる。
あの頃はもちろん元カレと来たこともあったが、葉月の周りにいる様々なジャンルの有名人と一緒に、お忍び気分で来店したこともあった。
まだ学生だったかれんが、業界のスタンダードからコアな話まで見聞し、後に起業する際にはその知識が大いに役に立ったという局面もあった。
いつしかまた来たいと思いながらも、『ファビュラス』を立ち上げてから何故か来る機会がなかったのは、連れて来たい相手が見つからなかっただけなのかもしれない。
『musée de cuisine』の看板をくぐり、重厚な扉を開ける。
名前を告げると奥の個室に通された。
二人きりなのに わざわざ個室を取ってくれたんだ。
レイラちゃんは今や有名人だからね。
顔がささない方がゆっくり食事もできるか?
約束の時間までにはまだゆとりがあったので、手帳とタブレットを取り出してテーブルに広げ、照らし合わせながらスケジュール確認をしていた。
視野の端で扉が開いたのが見え、レイラが入ってきたのだと思ったかれんは、手帳とタブレットをカバンに戻して振り返ろうとする。
すると、背後で意外な声がした。
「あ? なんでお前がいるんだ?!」
かれんは驚いて顔を上げる。
「えっ!? なんで……」
そこにはいつものジャージ姿でも、白シャツのタッグアウト姿でもない、イタリアントラッドに身を包んだ健斗が立っていた。
「どうして」
「どうして」
同時に言った二人は気まずそうに俯く。
健斗はお構いなしに大きなストライドで入ってきて、かれんの向かい側の席にどっかと座った。
「チッ、レイラめ! どういうつもりだ」
「どういうこと?」
健斗は面倒くさそうに、溜め息をついた。
「アイツにさ、〝仕事が忙しくなっても大学をやめるな〟って言ったら、約束するから高いメシを奢れって言われたんだ。で? お前はなんでここに?」
ドアが勢いよく開いてレイラが登場した。
「私のムービーデビューをお祝いしてくれるって、かれんさんが」
「レイラちゃん!」
「はぁ? なんだよ、だったら最所からそう言えっつーの。あ! だから俺にここを予約させたのか」
気怠そうにドアの方を向いた健斗が、急に怪訝な顔をした。
「あれ?!」
その顔を見たかれんも同じくドアに視線を向けてみる。
するとレイラの後ろにいた人影が、ひょこっと顔を出した。
「波瑠くん!」
にっこり笑ったレイラは、長い脚でスタスタとテーブルに近づくと健斗の横に座り、後ろをついて来た波瑠はかれんの隣に座った。
「私のお祝いならこのメンバーが良いなぁって思って。勝手に増員しちゃったんで、スポンサーを連れてきました!」
ニコッと笑うレイラの横で、健斗が呆れたように空を仰ぐ。
「で? 波瑠はどうした?」
「あ……ボクは〝単位取れたお礼をしてなかったから〟って言われて」
健斗が目をつり上げる。
「レイラ! お前、やっぱり課題を波瑠に押し付けてたんだろう!」
「バレたか!」
健斗が、やれやれというように額に手を置く。
「波瑠……こいつのわがままに付き合わなくていいって言ってんだろ!」
レイラは膨れっ面を見せた。
「うるさいなぁ! 健ちゃんだって私に大学続けてもらいたいんだから、いいじゃない!」
かれんが首をかしげる。
「あの……波瑠くんとレイラちゃんて?」
波瑠が慌てて説明する。
「ああ、学年は違うんですけど帝央大学の同じ学部なんです。レイラは要領がいいから、ボクがとってた講座をそのまま選択して、ボクにテスト内容をリークさせたり、課題を手伝わせたりるんですよ」
「やだ波瑠! そんな言い方しないでよ! 普通にモデル業と学業の両立ってみんなが思ってるほど簡単じゃないんだからね!」
「そりゃそうよね」
「ほら! かれんさんはいつも私を理解してくれるんだから! ホント、かれんさん大好き! さぁ、スポンサーもいることだし、遠慮なくおいしいものいーっぱい食べちゃいましょう!」
健斗がレイラを睨み付ける。
「お前なぁ!」
かれんも涼しい顔で、レイラに同調した。
「そうね!」
「はぁ? お前もかよ!」
波瑠はそのやり取りを見ながら終始笑っていた。
銀の匙に乗せられた色鮮やかなアミューズは、口に入れた途端サーモンとオリーブの香りが広がって食欲をそそるものだった。
そこから、目でも楽しめる7種類ものオードブルと、レンズ豆のスープもこの上なく美味で、その場が一瞬静かになるほど、皆が堪能した。
横から皿にコロンとミニトマトをのせてくるレイラに、健斗は呆れた表情を向ける。
「おい、お前さぁ……その歳になってまだトマト食べられないのか?!」
レイラは煙たそうな顔をした。
「うるさいなあ……トマトなんか食べなくても死なないわよ!」
「だったら、もしトマトのCM来たらどうするんだ? 断んのか?」
「それは食べるわよ。プロなんだから」
「だったら今から練習しとけ! 肌にもいいぞ、ビタミンたっぷりだ」
「もう! ママみたいにくどくど言わないでよ!」
レイラと健斗がじゃれ合うように会話しているのを見ながら、波瑠がホッと息をつく。
「いつもこんな感じなんですよ。ホントの兄妹みたいでしょ?」
その言葉にかれんは、健斗と初めて会った日のこと思い出した。
同じく初対面の天海医師に〝仲の良い兄妹みたいだ〟と言われたあの日から数ヶ月、全くの他人だった人物と、今はこんな近くで同じテーブルを囲む間柄になるなんて、人の縁とは不思議なものだと思った。
「波瑠くんとこうして外で食事してるのも、なんだか不思議な気持ちだわ。『RUDE Bar』にも何年か通ってたはずなのに、波瑠くんの名前を知ったのもつい先日だったなんてね」
「かれんさんはきっと、ただの若いバーテンダーって思ってましたよね? あーあ、ボクの方はかれんさんに一目置いてたのになぁ」
かれんがクスッと笑う。
「ウソ! 女性客に人気の有名店よ? そのお店の人気バーテンダーが何言ってるの! あ、分かった! それこそが人気の秘訣なのね」
波瑠は口を《とが》尖らせる。
「ひどいなぁ! そんなチャラいイメージだったんですか?! そんなの、健斗さんだけで充分でしょ?」
波瑠の言葉に健斗が反応する。
「こら! そこのお前! 聞こえてんぞ!」
またかれんが、カラカラと笑う。
レイラが、くるっと二人に視線を向け、交互に見つめた。
「なんかこうしてみると、かれんさんと波瑠ってお似合いかも?!」
「えっ?」
かれんが驚いて眉をあげる。
「このツーショット、新鮮だなぁとは思ったけど……ねぇ見てよ健ちゃん! ほら、なんかしっくり来ると思わない?」
レイラに執拗にせっつかれた健斗は面倒くさそうに答える。
「あーあー。そうかもな!」
第32話『意外な参加者:ミュゼ・ド・キュイジーヌ』- 終 -