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『記憶の森』 Leave The Forest ~失われた記憶と奇跡の始まり~  作者: 彩川カオルコ


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第31話『心温まる思い』

第31話『心温まる思い』


川沿いの道を、ゆっくりとかれんのペースに合わせて下っていく。


徐々に口数が増えてきたかれんが、健斗のすぐ側で首をかしげる。

「ねぇ、でも『RUDE(ルード) Bar(バー)』ってご飯出してたっけ?」


健斗を見上げて不思議な顔をした。


「いや、〝まかない〟みたいなもんさ。波瑠は自分で作って自分で食ってんの。これが結構イケるんだよ。ランチタイムに店を開けようかなって思うぐらい」


「そうなんだ? 波瑠くんはホント器用なのね」


「なんか限定的な言い方だな? 俺への当てつけか?」


「そんなこと言ってないじゃない。っていうか……いくら常連だからって、私たちが波瑠くんにまかないをオーダするなんて、ちょっと図々しいんじゃない? 波瑠くんとそんなに親しいの?」


「……ああ、まぁな。俺のこと、兄貴みたいに慕ってるしな。学部は違うが、俺の大学の生徒でもあるし、俺のことを尊敬してるんだ」


「そうなの?」

不思議そうな表情で覗き込むかれんに、健斗はばつの悪そうな顔をしながらもゆっくり歩幅を合わせて、二人は『RUDE Bar』の前にきた。


ドアを開けようとした時、かれんが健斗の袖を(つか)む。


「どうした?」


「今日は……本当に……」


「気を遣うな。何度も言ってんだろ? 傷ついたのはお前なんだから、俺に気を遣う余裕があったら、早く元気になってくれ」

半ば背中を向けながら健斗は言った。


「ほら、入るぞ」


「健斗さんおはようございます。あ!かれんさんでしたか」


波瑠の顔がパッと明るくなった。

かれんもつられて笑顔になる。


「今日は……ずっと一緒だったんですか?」


健斗がかれんにカウンターチェアを引いてやってから、自分も座る。

「今日俺はモデルだったんだ! こいつの主催でな。ったく、白いタキシードなんか着せられてさ……ホンっト、マジで恥ずかしかったぞ!」


波瑠は豪快に笑った。

「えー見たかったなぁ。かれんさん写真撮ってないんですか?」


「ああ、広報の子が撮ってるはずよ」


「絶対に見せてくださいね!」


「うん、わかった!」


「波瑠、やめろ! とにかく腹減った! なに作ってくれたんだ?」


「シーフードピラフにしましたよ。それに、オニオンスープと野菜ディップ」


「すごい波瑠くん! この短時間で?」


「野菜ディップはもともとここで出してるものですから。ピラフはよく作りますよ、まかないで。オニオンスープはね、ボクの〝酔い覚まし〟なんです。いつも大概(たいがい)作ってますから」


健斗が感心したように言う。

「お前、厨房一人で回して忙しいのに、そんなことまで出来るのか? ホント器用なヤツだな!」


爽やかに笑う波瑠、その雰囲気にかれんは救われた。

ようやく体から無駄な力が抜けていくのを感じる。

おそらく彼は、こうなることをわかってここに連れて来てくれたのだと思った。


「ごめんね波瑠くん、いくら常連だからって、まかないをオーダするなんてちょっと図々しいんじゃないって言ったんだけど……」


「いいんですよ! それで……健斗さんはなんて?」


「ああ、〝俺のこと兄貴みたいに慕ってるしな〟って……」


健斗がばつの悪そうな顔をしながら割って入る。

「その話は……もういいだろ!」


波瑠とかれんは目を合わせて笑いだした。

健斗は意味深な波瑠の視線をかわしながら、きまりの悪い表情で咳払いする。


バッグの中のかれんの携帯電話が鳴った。

慌てて取り出してみる。


「あ、由夏……」

そう呟いて画面を見つめた。


「ねえ」

健斗の方に向く。


「お願い。由夏にはさっきのこと、言わないで」


「は? まさか言わないつもりか?!」


「ええ」


「なんで!?」


「とにかく、絶対よ」


そう言って携帯電話を持ったまま、早足でドアの外に出て行った。


沈黙の中、波瑠が閉じたドアから視線を戻す。


「何かあったんですか?」


「ああ」


「そうでしょうね。ここでご飯食べるなんて珍しいし、それに入ってきた時の二人の顔……何かあったんだろうなって、一目瞭然でしたから」


「やっぱ波瑠にはかなわないね」


健斗は今日あったことを大筋で話した。

波瑠の表情がみるみる曇る。


「健斗さんがいて本当に良かった……でなければ……かれんさんは……」


波瑠の表情から怒りを感じる。

こんなに荒々しい波瑠の顔見たのは初めてだった。


ドアチャイムが鳴ってかれんが戻ってくると、波瑠は表情を変えて、優しく微笑みかけた。


「かれんさん、由夏さんや葉月さんもまた連れてきて下さいね。葉月さんなんて、ホント面白かったですし」


「うん、伝えておく! 由夏も葉月も波瑠くんがそんな風に言ってくれてるって聞いたら大喜びすると思うわ!」


かれんの顔がまたパッと明るくなった。

和らいだ表情を横目で見ながら、健斗も少しホッとする。



時計の針が十二時に近づいていた。

かれんが時計を見るのを確認して、波瑠が切り出す。


「かれんさん、ボク、コンビニで買い物があるんです。ちょっとチーズが足らなくなって……なので買い物ついでで申し訳ないんですが、一緒に出ませんか? かれんさんをお家まで送ってきますよ」


「え、近所なんだし大丈夫よ?」


「シンデレラは十二時までに帰んなきゃね! でしょ? ほら急ぎますよ! 健斗さん、ちょっと留守番しててくださいね。今日はもうお客さん来ないみたいだし」


そういって波瑠は、かれんにバッグを手渡して階段に促す。

「さ、行きましょう」


バタンとドアが閉まり、静まり返った店の中で、健斗はキョトンとした表情でカウンターに取り残された。


「なんだあれ?」


波瑠にせっつかれて階段を上るかれんの表情が、すっかり明るくなっていたのを思い出す。


「波瑠はたいしたタマだな。若いくせに、(すえ)恐ろしいぜ」


健斗は手酌(てじゃく)で、ロックグラスになみなみと液体を注いだ。



「ありがとう。波瑠くんって、ホント優しいのね。ご飯も美味しかったし、波瑠くんのカノジョは幸せ者ね!」


「いませんよ。そんな人」


「あら? 意外。お客さんなんて若い子はみんな波瑠くん目当てなんじゃないの? まぁ、由夏もその一人か。若くはないけど」


二人で笑いながら川沿いの道を下る。

かれんのマンションについた。


「今日はありがとう! ちょっと色々あったから気を遣わせちゃったけど……もう大丈夫だからね! 一人でこの距離が帰れなかったら、社会人失格だもんね」


波瑠が(うつむ)きながら声を発した。

「……ボクじゃダメですか?」


川の流れにかき消されるような小さな声だった。


「なに?」


「いえ……良かったらもっと頻繁に来てもらえたらなって。ボクの料理、誉めてもらったし、今度は新作カクテルにも、ご意見頂きたいなって思ってて」





   可愛いな!

   波瑠くん。





気持ちがほっこりするのを感じた。


「うん。是非! 楽しみにしてるね」

ありがとうと手を振りながら、かれんはマンションの中へ消えていった。


「まだ相手にもされていない段階だな……」




波瑠はコンビニに行って、不要なチーズを幾つも買って『RUDE Bar』に戻り、かれんは自宅マンションのエレベーターを降りて、玄関を開ける。

真っ暗な空間についた照明がやたら(まぶ)しく思えた。

母は帰っていない、また一人だ。

がらんとした自室に入ると、またほのかに頭痛がする。

今日はさすがに一人で居たくないと思った。


ベッドに入っても、寝付けなかった。

あの社長の目つきや首に当たった息づかい、縛り上げるように強く掴まれた手首の痛みが甦ってきて、恐怖心と嫌悪感が交互に襲ってくる。

首を振ったり布団に潜ったりもしてみたが、なかなか払拭(ふっしょく)出来なかった。



   無理に寝ようとしても無理なら、

   もう起きておく方がいいかも。



ベッドから降り立ち、リビングに行こうとした時、携帯のバイブレーションが鳴った。



   え、こんな時間に?

   知らない番号だ。

   どうしよう……



すぐに切れたのが逆に気になる。



   間違い電話?

   誰だったんだろう?



また鳴ったので、とっさに出てしまう。

恐る恐る耳に当てた。


「あ、俺! 藤田健斗」


その声に安堵した。

「ああ」


「もう寝てるかと思ったんだけど」


「いえ……眠れなくて」


「そうか。今日も一人なのか?」


「うん」


「……大丈夫か?」


「うん」


「〝うん〟ばっかりだな」


「うん」


「おい! なんだよ!」


「あ……電話番号、どうして知ってるの?」


「ああ、お前らが出ていってすぐくらいかな、由夏さんから電話が入って。もちろん今日の事は話してないけどさ、由夏さん、その前に電話で話したときのお前の様子がちょっと変だって思ったみたいで。よかったら、また電話してやってくれって言われて……それで番号をな」


「そうなんだ。由夏は(あなど)れないか……それであなたも心配してかけてきてくれたんだ。ありがとう」


「いや。こんな時間に悪かったな。大丈夫ならいいんだ、じゃあ……」


「待って! 大丈夫だけど……なんか今夜は眠れなくて……布団から出てきちゃってて」


「そうか……なら、眠くなるまで話す?」




かれんにベッドに入るように言ってから、健斗は由夏が帝央大学のキャンパスでどんな風にスカウトしてきたかという話から始まって、レイラが意外と大雑把(おおざっぱ)であることや、彼女のおしゃまな幼少期のエピソードや、そんなレイラが難関の帝央大学に入学してきて驚いたことなど、ありとあらゆることを面白おかしく話した。

かれんは、身体中に血が巡るような温かい感覚に包まれながら、健斗の心地よいバリトンボイスに相槌を打つ。


「うん」


「そう……なんだ?」


「う……ん」


「……」


広いすり鉢状の自室のリビングの真ん中に位置するソファーに座った健斗は、無音にした巨大スクリーンの映像を照明代わりにしながら、以前かれんが宿泊代と称して置いていった缶ビールをあおっていた。

相槌の間隔が開いていき、ついに何も聞こえなくなってから、健斗は赤いボタンを押す。

手にした缶を飲み干してスクリーンのスイッチを切ると、窓から月明かりが差していた。


「朝までかかんなかったな。相当疲れてんだろうな。でもよかった、眠れて……」


健斗は思い出したように大きくあくびをすると、寝室に引き上げていった。



第31話『心温まる思い』- 終 -

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