第25話『それぞれの秘め事』
第25話『それぞれの秘め事』
大学の授業を終えて、レイラと健斗は車に乗って、健斗の所有するレストラン『サンセット・テラス』に来た。
奥の個室で二人は向き合って食事をはじめる。
「しっかり食え。たんぱく質を摂らないと、炭水化物ばっかりじゃ太るぞ」
「オヤジ臭いこと言わないでよ。トップモデルのレイラを捕まえて、よくそんなこと言うわね!」
「食事制限とかしてないのか?」
レイラの注文したペスカトーレをちらりと見る。
「健ちゃんはしてる? 食事制限」
「してるわけないだろ」
「私も同じ」
「ふーん、そっか。家系的なもんなんだな」
健斗はオマールエビのテルミドールとフィッシュスプーンとフォークを使って格闘する。
「そんなことより健ちゃん」
「ん?」
「ホントに『JFM藤田ホールディングス』を継ぐ気なの?」
健斗は手を止めて顔を上げる。
「デリケートなことをあっさり聞くなよ! まあ……正直、めちゃめちゃ迷ってるけどな」
「大学は?」
「もし継ぐなら、無理だろうな」
「准教授、辞めちゃうの?」
「まあ、今は議論中だ。俺のゼミは超人気だからな。大学側も簡単には辞めさせないはずだし」
「とかいって、ホントは数学者でいたいんじゃないの?」
「お前、意外と鋭いな……」
「そう?」
いったい何年、健ちゃんのこと見てることか。
どれだけ頑張って勉強して、この大学に入ったと思ってるのよ。
「何だ?」
「別に」
「親父がさ……」
「藤田のおじさん?」
「ああ。もう自分も年だからどうしても会社を継いでほしいって、頼んでくるんだよ」
「へぇ……あのおじさんがねぇ。今まであまり干渉してこなかったよね?」
「そうだな、むしろ俺のやることは何でも肯定的で、応援してくれてた。〝あの日〟から、ずっとだ」
健斗は少し視線を落とす。
「私……小さかったからあまり知らないのよね。健ちゃんに何があったか……」
「そんなの知らなくていいんだよ。とにかく俺、あの頃はむちゃくちゃだったのに、親父は何一つ反対しなかった。思い通りにさせてくれたんだ」
レイラはフォークを置いた。
「あのね健ちゃん、〝むちゃくちゃ〟の使い方、間違ってるわよ。むちゃくちゃって言うのは社会に適合してないことを言うのよ」
「ほお、この俺に世論を説く気か?」
レイラは姿勢を正して座り直した。
「この際、言わせてもらうわね。世間の常識から言えば、健ちゃんは全然むちゃくちゃじゃないのよ。もともとただの〝バスケバカ〟だった中学生が、必死で勉強して日本一の進学校に入って、東大にも入って、博士号も取得して、一流大学の准教授よ! お父さんからしたら自慢の息子でしかないハズよ。文句のつけようがないどころか、そりゃ逆に会社も継がせたくなるのが道理でしょ」
健斗は肘をついてフォークをブラブラさせる。
「ふーん。そうやって客観的に聞いてみたら、確かに立派な息子だな。おまけにイケメンだし?」
「また茶化す!」
「だけどな、ホントに俺、あの頃はひどい状態だったんだ。あんなに支離滅裂だったのに、父さんは何一つ反対しなかった。ただただ信じてくれて、黙って見守ってくれて。そんな親父がさ、初めて俺に頼み事をしてきたんだ。もう二年も待たせてる」
「そう……それで? そろそろ踏ん切りつけるわけ?」
「ん……まあ、一斉に片付くわけじゃないだろうけど」
レイラは溜め息をついた。
「そっか……健ちゃんが大学からいなくなったら、私も大学辞めちゃおうかな」
「なに言ってんだ!」
「だって! つまんないもん」
「就活してないんだろ?」
「だってモデルでやっていけるし」
「大学は出とけ。Mr.ヘイスティングスに心配かけんなよ。それまでは俺もモデルだかなんだか付き合ってやるから」
「なによそれ! まるで〝子供のお守り〟でもしてるつもり?」
「まあ、そんなところだ?」
「失礼ね!」
「で。俺にその〝お仕事〟の話があるってか?」
「そう。もうこうなったらお守りでも何でも、とことん付き合ってもらうからね!」
レイラは山上ホテルのブライダルファッションショーの話をした。
健斗はかれんがそのイベントについて話していたことを思い出す。
「それって、森とコビトの……」
「ええ? そうよ!〝フォレスト&ドワーフ〟をモチーフにって、この前かれんさんが話してたんだけど……なんで健ちゃんが知ってるの? もしかして、もうオファー受けてた?」
「えっ、まぁ……さわりだけ?」
「そっか! 由夏さんでしょ? もう、由夏さんは健ちゃんにゾッコンだから」
「あ……まぁ」
「業界ではね〝ファビュラスの相澤由夏のお眼鏡に叶ったら必ず出世する〟って、有名なのよ! なにを隠そう、この私がいい見本でしょ? 良かったね健ちゃん、もしも社長になれなくても大学教授を辞めちゃっても、モデルで食べていけるって保証されたようなもんじゃない!」
「は! 誰がモデルで食ってくかよ!」
「あはは。まぁ、知ってたなら話が早いわ。よろしくね」
健斗は深く溜め息をついた。
「お前さ、仕事でウェディングドレスなんか着たら婚期が遅れるぞ」
「そんな古代の迷信なんて信じるわけないじゃない!」
「ってか! まさか……俺も真っ白のタキシードとかで出るんじゃないよな?!」
レイラは不敵な笑みを浮かべる。
「わ、やっぱりそうなのか?! あのさ……いい加減恥ずかしいぞ。出なきゃダメか?」
「由夏さんがノリノリなんだけど?」
健斗はガックリと首をもたげた。
「で、正式に受けてくれるわよね?」
「お前的にはどうなんだ? 俺が出た方がいいのか?」
「そりゃ『ワールド・ファッション・コレクション』であれだけ話題になった二人だからね。しばらくカップリングされると思うけど」
「まあいい、わかった。あとしばらくしか遊んでやれないしな」
「もう! また保護者みたいな言い方して!」
「わかったわかった、ほら、食ったらいくぞ」
「ちょっと、待ってよ!」
また長い足を折り畳むようにして、車に乗り込む。
「ヘイスティング邸でいいか?」
「ううん、『RUDE Bar』でいい。健ちゃんも自宅に帰るでしょ?」
「ああ、論文仕上げないといけないからな」
「ホント、大変よね。何が楽しくて数学者になったりするんだろ」
「あ! わかった! お前、波瑠にレポート手伝ってもらう気だろ?!」
「ヤバ、バレたか!」
「お前なぁ、波瑠は忙しいんだぞ!」
「いいじゃない。仕事の邪魔はしないわよ」
「ほら、着いたぞ。降りろよ」
健斗は『RUDE Bar』の真ん前に車を乗り付けた。
「まだ店は開いてないけど、波瑠はもう入ってるはずだ」
「わざわざ通りまで回って直付けしなくても……健ちゃん家の駐車場から歩くのに」
「いいんだ。それより! 波瑠にタカるなよ!」
「人聞きが悪いわね!」
「俺、今日はずっと家で論文やってっから、帰るときに連絡してこいよ。車で家まで送ってやるから。じゃあな」
低音のエンジン音を聞きながら、レイラは健斗の車を見送る。
「ホント、無駄にフェミニストなんだから!」
そう。
なんてイイ男。
なのにどうして、こんなにイイ女がそばにいることに……
気付かないんだろう。
『RUED Bar』の扉を開け、今度はコツコツとヒールの音をたてて、階段を降りる。
「すみません、まだ開店では……あれ?レイラ?」
「波瑠、お疲れ様」
「どうした? あ、わかった! また課題の手伝いをさせられるのか?!」
「ご名答! それもあるけど、今日は……ちょっと相談に乗ってもらいたいことも、あってね」
「へぇ、課題以外の相談ナンテ珍しいな。ん? もしかして恋愛相談とか?」
レイラはにっこりと微笑んで、カウンターに座った。
第25話『それぞれの秘め事』- 終 -




