第23話『健斗の部屋』
第23話『健斗の部屋』
自宅に居るはずの由夏と葉月が寝てしまったせいで、閉め出しを食らったかれんはやむを得ず、健斗の家で一夜を過ごすことになった。
外観からは想像も出来ない、信じられないほどハイセンスで広大なその空間にたじろいでいたかれんは、ようやくリビングの中央に位置するソファーに降りてきたものの、懲りもせずビールをあおる。
そんなかれんに半ば呆れながら、健斗もソファーに腰を据えた。
ポケットから財布とカードケースを出して、いつものようにポンと机に置くと、それにかれんが反応する。
「あ、これ……」
「ああ、拾ってくれて助かったよ」
「これが間違って私のカバンに入ってたせいで、この辺を探検する羽目になっちゃったのよ!」
かれんは、まだ足首の捻挫が癒えていないのにもかかわらずこのアパートの階段を上り下りしたことを、冗談混じりに恨みがましく話した。
「一階も二階もくまなく見て、いざ三階まで上がってきたら、どこまで行っても扉がみつからないから驚いたわ。一階と二階はワンフロアに四室ずつあるのに、この三階は壁ばかりなんだもん。〝どうなってるの?!〟って。このフロアはあっちの端までぶち抜いてあるって事よね?」
「まあ、そうだな。大屋さんだから成しえるワザだ」
「ここだけでもかなり広いしね」
「気付いていないかもしれないが、玄関の位置はもともと四階だったんだ。今いるこのリビングは、階段を降りてきたから三階部分ってワケ。凄いだろ」
「凄い……」
「お! やけに素直だな。室内も探検したいか? ここに住みたくなっちまうかもしれないぞ」
「あ、それはないのでご心配なく!」
「なんだそれ! そうかなぁ? 普通は興味湧くだろ? 他に質問がある者は挙手を!」
「やだ、先生みたい」
「だから! リアルは先生だっつーの!」
「そう! 信じられないことと言えば、あのポストに入ってたインビテーションカード! まるでキツネにつままれたみたいに、不可解で仕方がなかったわ。うちの会社の主催なのにプロデューサーの私が知らないんだもの。びっくりしたわよ。あれって由夏が入れたのね?」
「ああ。俺だって、大学で由夏さんに声をかけられた時にはびっくりしたぞ。まさか〝モデルをやれ〟なんて言われるとは思ってもみなかったし」
「私にも当日まで知らせないんだから、由夏も人が悪いわよね。どれほど驚いたか……」
「驚いたのはステージでイケてる俺を見たからだろ?」
健斗がニヤリと笑う。
「……あまりに違って見えたからよ」
「おおっ!〝イケてる〟ってところは否定しないんだ? キュンと来たか?」
「それより! あなた、私に「初めまして」って言ったでしょ! あれで余計にパニックになったんだから!」
健斗がめんどくさそうな顔をした。
「ああ……あれはさ、レイラとも親しそうだったから、色々説明すんのが面倒だなと思って……」
「やっぱり。お陰で未だに由夏に事故の日の事、話せてないんだからね!」
「そりゃ悪かったな」
机の上のカードケースを見つめる。
「ちょっと、見ても……いい?」
「ああ、いいけど? 何か興味のあるもんでもあったか?」
「写真」
「ああ……幼馴染みの?」
「やっぱりそうなのね? 最初に見た時は一瞬、〝子供がいるのかな〟って思ったけど」
そう言いながら、かれんはページをめくっていく。
「は? 俺が子持ちに見えるか?!」
「全然。だから変だなって思ったの。今見たら、この背が高い男の子はどう見たってあなたよね?」
写真のページを開いたかれんは、それを目の高さまで上げて、健斗と見比べた。
「うん、間違いないわ! 全然進歩してないもん」
「お前なぁ!」
かれんは朗らかに笑った。
「いい景色よね。この対になってる山の写真も素敵だし。深緑の森かぁ、草木の呼吸が聞こえるような……二人の後ろに見えてる洋館も素敵ね! 異人館みたい」
「そうだな」
健斗もかれんの横に座って、写真をしみじみ眺める。
「今度ね、山頂のホテルでブライダルファッションショーの企画があって、見晴らしのいいテラスでの演出を任されてるの。今日はちょうどその打ち合わせに行ってたんだけど、なんかこの写真見たらイメージが湧いてきたわ! 森と子供か……リングボーイに可愛い子を何人か呼んで、ランウェイを歩いてもらうわ。フォレスト&ドワーフをモチーフに企画を出してみる!」
健斗が怪訝な表情で、首を捻った。
「あのさ……もしかして、可愛いドワーフと共に、俺も呼ばれたりする?」
「あ……その可能性は高いわね……レイラちゃんも出るし」
頭を抱えた健斗が、のけ反るようにソファーに体を倒した。
「ああ……やっぱ呼ばれんのか」
「あら? 迷惑だった?」
健斗はバッと体を起こして抗議する。
「俺、信じてないんだろうけど准教授なんだぞ。これでも論文も抱えてる忙しい身なんだ。モデル業なんて管轄外なのに……そりゃ気持ちは解る、俺がイケてるわけだから、仕方ないんだろうけどな」
かれんは横目で睨む。
「なかなか嫌みな人ね」
「そっちこそ、こんな夜中に仕事モード全開だな」
「だってアイデアが降ってきたんだもん」
「俺の可愛い写真を見たからだろ?」
「はいはい、そうかもね! ねぇ、この隣に写ってる子は……」
かれんの携帯が鳴る。
「あ! 絶対由夏だ!」
カードケースを健斗に手渡して、すかさずスマホを取り出した。
「もしもし由夏、締め出しするなんてひどくない?! もう!」
健斗がニヤニヤしながら大袈裟にジェスチャーするのを、かれんは眉をしかめながら口の前にしーっと指を立てて制す。
白々しく同じポーズを取って見せてからかう健斗に、かれんは更に目をつり上げた。
「え? 今? あ……えっと……『RUDE bar』よ。そう! マンションからまた戻ったのよ! うん、今から帰るから。今度は絶対に開けてよね! じゃあ」
「あははは」
健斗が笑い出す。
「いい加減にしてよ! 子供じゃないんだから!」
「さすがに俺んちだとは言えないか?」
「言えるわけないでしょ!」
「だな?」
「じゃあ、私帰るわ。今日は色々ごめんなさい、お邪魔しました」
かれんはあっさりとそう言いながら、パタパタと片付けて身支度をした。
「ちょっと待てよ。送って行くから」
「送ってくれなくてもいいって。 すぐそこなんだし」
「真夜中だぞ。それに、また由夏さんが寝ちゃってたら大変だろ? 送ってくって」
「さすがにそんなことはないだろうけど……でも、ありがとう」
「ほら、行くぞ」
外へ出ると、身体に冷たい空気が纏わりつく。
かれんは見上げるように玄関を振り返った。
「どうした?」
「あなたの家、外観と内装が違いすぎて」
「素敵だと思ったとか!?」
「ええ、まあ」
「初めて誉めたな! ようやく俺のセンスを認めたか!」
「いや、ますますワケわからなくなったわ」
「なんだそれ?」
「准教授? そして大屋さん? 一流のファニチャーに囲まれた家に住んで……あなたはいったい何者なの!?」
「そっちかよ……」
川沿いの道に出ると、いつもよりも水の流れる音が大きく聞こえて、より静けさを感じた。
大通りにはほとんど車も通っておらず、その帰路はコンビニの明かりと信号だけでひっそりとしていた。
今度はゆっくりと横断歩道を渡って、かれんのマンションに着いた。
「由夏さんと葉月さんによろしくな!」
「ありがとう」
今日の藤田健斗は、後ろ手をふらふら振って立ち去らず、ガラス張りのエントランスの向こう側でかれんの乗ったエレベーターが閉まるまでそこに居た。
小さく手を振ると、彼も片手を小さく振って微笑みを返す。
ほんの少し、関係性が変わってきていることを感じたかれんは、その清々しい思いを素直に受け入れた。
第23話『健斗の部屋』 - 終 -